ボダボダはそこにいる|ウガンダ生活
今週もこんにちは。関東は今週後半から急に暖かくなりました。みなさん、お元気でお過ごしですか。
ウガンダで道を歩いていると、ヒュイッ! と口笛を吹かれることがあります。振り返ってみるとバイクの兄ちゃんが親指を立てている。「乗っていかないか?」とボダボダ(バイクタクシー)に誘われているのです。
ボダボダはウガンダ人にとって自転車やバスより身近な移動手段。バイクの後ろに乗って料金を支払い、運転手に好きなところへ連れて行ってもらいます。首都カンパラでは、嘘か本当か、人口150万人に対して14万人のボダボダ運転手がいるというからすごいです。カンパラの様子はこんな感じ↓↓
いいことばかりではありません。歩いていて困るのはこのボダボダの多さ。運転が荒い人も多いし、横断歩道を渡るのも要注意。でも、なくてはならない存在でもある。今回はそんなボダボダからウガンダ社会を覗いてみようと思います。
ボダボダのはじまり
ボダボダは1960年代にウガンダとケニアの国境で生まれたそうです。国境を越える人びとに客待ちの運転手が「Border-Border!」と声をかけていたことからこの名前になったとか。
そもそもアフリカ諸国の都市部では、20世紀前半は政府が公共バスを運行していました。それが1990年代に入って政府部門が縮小され、代わりに移動手段としてバイクタクシーが広まったと言います。
バス縮小の背景にあったのは、1980年代の世界銀行・国際通貨基金による構造調整プログラム。構造調整とは、要するに「条件付きの金融支援」のことです。
これらの国際機関は、特定の政策を受け入れることを条件に、財政難に苦しんでいたアフリカ諸国を支援しました。この構造調整プログラムでアフリカ諸国に押し付けられた政策のひとつが、公共バスを含む公的部門の縮小だったのです。
アフリカ諸国の政府は公共の移動サービスを提供できなくなり、ボダボダがその需要を埋めた。マクロな政策とミクロな生活のつながりがここに見えます。
ボダボダにのる
街でボダボダに乗るには、道端で流しのボダボダを見つけるか、運転手たちが待機しているステージ(タクシー乗り場みたいなもの)に行きます。ステージは公的に認められた場所とそうではない場所がある。各ステージに規則があり、新規参入や運転手間の競争をコントロールしています。
運賃は近場なら2,000シリング(約80円)程度。ただ、ボダボダは決して安全な乗り物ではありません。安全上ヘルメットは必須(付けてない人が多いけど)。首都カンパラだけで1日20件も重傷者が出ているし、運転手に強盗される治安面の危険もあります。
ただ、最近はシステムに登録されたボダボダだけを呼べるSafeBodaというライドシェアリングのアプリも普及して、治安面は改善傾向。相手の素性がシステム上にあれば、たしかに素性の分からない流しのボダボダに乗るよりは安心です。
それでも、農村部ではスマートフォンの普及率も低いので、SafeBodaのようなアプリが完全に普及するのはもう少し先のこと。街の人たちはお気に入りの運転手と電話番号を交換してお迎えを頼んだりしています。
広がりつづけるボダボダ
ボダボダの用途は単なるタクシーにとどまりません。最近だとUberEatsのようなテイクアウトや政治の場でも使われます。与党のTシャツを着た運転手たちが列を組んでボダボダを走らせれば、たしかに広告効果はかなりのもの。
ウガンダで1986年(!)から実権を握り続けているムセベニ大統領はボダボダ好きで、バイクを寄付したり、規制を先延ばしにしたりしてきました。でも、それは政府が他の公共交通機関を整備してこなかった埋め合わせじゃないかという意見もあります。
そもそも、ボダボダの運転手って儲かるんでしょうか。手元で簡単に計算してみましたが、1日15人25日間乗せたとしても、月収は数万円でした。ただ、農村部では年収が数万円という人も多いので、バイク一台で始められる(それも大きな資本投下ですが)ボダボダの運転手は比較的身入りの良い仕事だと思います。
庶民の足として、整備された公共交通機関がないという課題の結果として、比較的手軽に始められる商売として。ボダボダはウガンダ社会に深く組み込まれた仕組みのひとつなのです。
今週もありがとうございました! みなさん、良い日曜日を👋
(おわり)
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