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マリエレ・フランコというひと【ファベーラ滞在記】

今週もこんにちは。関東はあたたかい春の雨です。

1. このシリーズについて

このマガジンは、ファベーラ(ブラジルのスラム街)の滞在記です。スラム街と聞くとこわい場所のようですが、そうではなく、普通の人が普通に暮らすまち。その面白さを毎回一話完結でご紹介します。

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2. マリエレ・フランコというひと

今週は、マリエレ・フランコという暗殺されたブラジルの人権活動家について書こうと思います。

すごい人っていますよね。どうしたらこんなに頑張れるんだろうとか、なんでこんなことが考えつくんだろう、と思ってしまうようなひとです。この三月で、マリエレが亡くなって丸五年が経ちました。そんな人のひとりのことを忘れないように、今日はnoteを書いてみます。

また、ちょっとした個人的な思い出もあります。

ブラジルにいた頃、下町に出かけたら、大きな広場のど真ん中に落書きだらけの廃ビルがあって、家を失った人々が住みついていました。けっこう衝撃的でした。日本で言うなら、新宿駅前の一等地のビルが自由に使われているようなものだったからです。

廃ビル「マリエレ・フランコ」。人々の住み着いた部屋から明かりが漏れています。
少し中にも入れてもらったのですが、水道がないのが大変そうでした。

そのビルが「マリエレ・フランコ」と呼ばれていました。ビルを占拠した人たちは200人以上もいて、その年の三月に暗殺された、マリエレの名前を新しい住処につけたのです。それがぼくのマリエレを知ったきっかけで、いったいどんなひとだったんだろう、と気になっていました。

さてさて。

マリエレ・フランコ(1979-2018)はリオデジャネイロのマレーという有名なファベーラで生まれ育ち、フルミネンセ連邦大学で修士号を取得。その後州議会議員の政治顧問をへて、黒人女性や性的少数派の立場から、2016年にリオデジャネイロの市議会議員に立候補・当選しました。

ちなみに、ブラジルで市議会議員になるのは大変なことです。日本と違って立候補にお金がかかるわけではないので、売名目的で立候補するひとも含めると倍率が数百倍になることも……。

マリエレは黒人で、女性で、シングルマザーで、ファベーラ育ちで、レズビアンでした。どれも、ブラジル社会――特に彼女がえらんだ政治の世界では不利になる特徴だったと言えます。

彼女自身、大学生のころに、ファベーラで起きた警官とギャングの抗争の流れ弾でパートナーを失った経験があり、それをきっかけに社会運動を始めたのでした。

YouTubeなどで見ることができる彼女のスピーチからは、全身から発されるエネルギーを感じることができます。記事やドキュメンタリーは、彼女の死に焦点があてられていて、どんなひとだったかという個人的なことがなかなか窺い知れないのがもどかしいのですが。

3. マリエレの功績

暗殺されたという点ばかりがクローズアップされて、どうしても実際の功績が小さく扱われてしまうのですが、マリエレは行動のひとでした。活動家といっても、ここまでアクティヴなひとはなかなかいません。

議員としては、リオデジャネイロ内の助産院の数を増やそうとしたり、電車に女性が安全に乗れるようにキャンペーンをしたりしていましたし、死後も彼女が起草した議案がいくつもリオデジャネイロ市議会を通過して以下のプロジェクトになっています。

①女性への暴力反対を訴えるキャンペーンの実施
②市による託児所(Espaço Coruja)の設置
③「Tereza de Benguela(18世紀、Quilombo do Piolhoと呼ばれた奴隷社会(キロンボ)の女性リーダーで、黒人抵抗運動の象徴)の日」の設置
青少年の教育推進
⑤市の医療・援助・人権に関する女性の調査データの再収集・分析・オープンアクセスの推進

プロジェクトは多岐にわたり、しかしそのどれもがマリエレ自身の立場から発せられた地の通った提案である、という点で一貫しています。黒人や静的少数派といったさまざまな立場にいる人たちのムーブメントを束ねることができる存在として、マリエレが注目されていた理由です

また、議員としての活動のほかにも、#NossaHistóriaExiste(私たちの物語はそこにある)というブログを運営して、表に出ることの少ない、レズビアンの人たちのライフヒストリーも紹介していました。

ブラジルでも、これほど黒人や性的マイノリティー、ファベーラの人びとの権利のために戦った政治家は少なく、彼女はしだいにこうした立場にある人びとの希望になっていきました。

4. マリエレの死

そんな彼女が暗殺されたのは2018年3月。一緒にいた仲間とマリエレの命を奪った銃撃は、はっきりと彼女を狙ったものでした。彼女の政治的な信条に反感を持っていた何者かの仕業で、ブラジル社会に衝撃を与えました。

犯行に使われた銃弾はブラジル連邦警察が購入したものでしたが、警察は関与を否定しています。(ちなみに、ブラジルの警察は日本人がイメージするそれとはまったく違う存在です。ブラジルの連邦警察による殺人は、リオデジャネイロ州の、2018年の1年間だけでなんと1,800人に及びます。その圧倒的大部分はファベーラの人びとです)

首謀者と目された男は極右の前大統領ジャイル・ボルソナーロとの関係も取り沙汰されていたミリシアと呼ばれる民兵組織のリーダーでしたが、真実は明らかにならないまま、彼自身も2020年に殺害されてしまいました。真相は現在も藪の中です。

現在は、彼女の意志をついだ妹のアニエレ・フランコが、2022年11月から始まったルラ政権で、ブラジルの人種平等相を務めており、黒人に対する暴力低減や先住民コミュニティの土地権・市民権等の保証といった活動に取り組んでいます。

また、マリエレのパートナーだったモニカ・ベネチオも2020年にリオデジャネイロの市議会議員になりました。自分たちの身を危険にさらす、彼女たちの勇気ある活動には、頭が下がるばかりです。

今も、黒人運動や性的マイノリティーによるデモなどでは「Marielle Vive」(マリエレは生きている)や「Marielle Presente」(マリエレはそこにいる)が合言葉になっているといいます。少しでも、ブラジルの人たちが幸せに生きられることを祈っています。

ここまで読んでくださったみなさん、ありがとうございました。

5. 参考文献

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