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椿の雫よ、その愛しき存在よ


椿の花が乱れ咲いたころ
椿の花々の間から
零れ落ちるように
まるで椿の露を集めたかのように
現れた生命体
息を呑むほど美しい
漆黒の髪に深紅の唇
瞳は二粒の黒曜石
肌はそう
椿の雫と同じように透明で

私はその生命体を「椿姫」と名付けて愛でることにした

ところが当の椿姫
私が「椿姫」と呼び掛けたとたん
その名は気に食わぬと
私を黒曜石の瞳で睨みつけた

何が気に食わぬと言うのか
こんなに美しいあなたには最もふさわしい名だと
あなたを愛でるために付けた名だというのに

お主わからぬか
その「姫」の真名の女の偏が気に食わぬ
お主は何ゆえ我をおなごであると決めつけるのか

椿姫は深紅の唇に縁どられた小さな口で
そう吐き捨てると
私の手のうちに飛び込み
十本の指の上をのたうちまわった

ああでも椿姫
あなたのあでやかなその姿
誰がにょしょうでないと思うであろうか
良いではないか
あなたは美しい
それゆえ私はあなたに「椿姫」と名を付けた

私が言葉を尽くしても
椿姫はさらに激しく暴れまわり
私の指の間をすり抜け飛び跳ね訴えた

お主のその物の見方がいかんと申しておるのじゃ
お主は見目麗しいものは何でもおなごであると考えるのか
お主は我がおなごでなければ愛せぬと
美しくなければ愛せぬと
あでやかでなければ愛せぬと
そう信じて疑わぬのか

椿姫は似たり寄ったりな申し立てを
私の指の腹を踏んだり蹴ったり
飛んだり跳ねたり
のたうちまわって暴れつくして繰り返し
私は私でその椿姫の様子を
これまた美しいと
目で愉しみ
その椿の雫が指の上面うわつらを動き回る冷たく心地よい感触を
肌で味わった

そんなことを飽くことなく続けて
六つの夜と七つの朝を繰り返し
まるで花瓶に差した一凛の椿の花が突然枯れ落ちるかのように
椿姫はするりと私の指から零れ落ち
姿を消した

私に一度も笑顔を見せることなく
姿を消した

なんと私は愚かなことか
椿の露で出来ている椿姫が
永遠に私の傍に居てくれる訳はないと
なぜ早く気がつかなかったのか

そんなことなら
こんなに早く失ってしまうのだったら
椿姫の言うように
姫などと呼ばず
にょしょうだなどと思い込まず
ただその存在を
ただその存在であるがゆえに愛すれば良かったと
私はさめざめと泣いた

私の熱い涙は
私の指の腹を濡らし
椿の露から生まれた生命体と同じように
私の指の上を滑り落ちたが
その感触は
愛しき椿の雫の存在を
再現してはくれないのだった


(951字)


『L'Existence aux Camélias』 Agave (Hahnemühle) 20 x 29cm、水彩





本記事は春ピリカグランプリ2023への出品作品です。

正直、ここに本篇よりも長い言い訳をダラダラ書き連ねたいところなのですけれども。
そんな無粋な振る舞いは置いておいて、アレクサンドル・デュマ(fils)の『椿姫』へのとてつもなく大きいリスペクトを抱きつつも、本作品は直接の影響は受けていないということを書き添えるだけにしておきます。

今回もグランプリが素晴らしい掌編小説の祭典となりますようお祈り申し上げます。



【追記 2023年6月8日】
結果発表後、執筆裏話のようなものを書きました。よろしければこちらもご覧ください。


豆氏のスイーツ探求の旅費に当てます。