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新時代を予想してしまう病になった暁には

最近テクノロジー界隈の話題などを見るたびに次の流行りを考える癖がついてしまっている。それは別にテック界隈に限ったことではなく、全世界的にもローカルスケールでも、ロング・ショートタームでも様々な要素を合わせて全体的に考えてしまっている。これは私が非常に「俯瞰的にものを見る」ことが好きだからかもしれない。KenshiやCities Skylineに大量の時間を投じてきたのはその証拠だろう。

しかし、問題なのは最初に話題を見聞きするソースが二次情報であることが多いことだ。というのも、例えばアメリカで麻薬が蔓延している、とか、中国不動産の債務不履行がささやかれるとか、ほとんどの情報源はどこかのニュースメディアが流したものであり、最初の目撃者ではない。それをもとに話題として認識していくのだが、二次情報ベースでキュレーションしているわけだから、情報解像度が4Kではなく2160ピクセル以下であるという致命的な欠点を抱えている。

これまで、いくつかの記事において二次情報をベースとして論じたものはいくつかあり、それはいわゆる「世界旅行記」みたいな実際の経験ではない、引用論文のようなものだ。

今考えれば、それらの作成方針が本当に記事化すべきだったのかについては疑問を抱かざるを得ないところがある。しかし、二次情報とはいえコネクティングドッツ的な思い付きによって書きたい衝動に駆られることもある。

なおのこと人生経験のあらゆるところで触れてきた問題や気づきから生まれる仮説は、いまだに新しいネタの種として有望と見ている。そういった仮説がほかの人の記事などで紹介されていると、まさに自分が考えていたこと、あの時の仮説を検証している光景に出くわし高揚する、と同時になんだか残念に思ったりする。

上記のような仮説を生み出す場所として、インターネットは非常に強力な体験場だったと言える。国内外を旅したり、何らかのイベントに参加したりすることが難しかったコロナ期間において、インターネットはただの情報網ではなくなり、情報供給源として機能し始めた。そこで生まれているのは新しい知識であり、すでにある知識を誰かに教える、という所作ではない。

そんな供給元に触れまくったここ2年において、やたらと「まだこれが流行っていないな…」といった謎の優越感に浸ることが多かった。流行っていないということは、これからはやる可能性が高いわけで、これまでの流行りの傾向さえつかんでいれば、大体次にはやりそうなものを想定するのは難しくはない。


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