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【Esports】ゲームの変化【Masters Tokyo】

テレビゲームといえば、少し前までは趣味の領域にとどまるものだった。その後、プロゲーマーという言葉が出てきても、それはほかの人よりも圧倒的にゲームがうまい、一握りの人のことを指す言葉だった。

しかし、今、プロゲーマーはアスリートの一つとしてキャリアを歩んでいくのにふさわしい存在、という認識へと昇華しつつある。2020年代最大の変化の1つでもある「ゲームカルチャー革命」について述べていきたい。

1.加速が加速する変化

ピーター・ディアマンティスの「すべてが加速する世界に備えよ」では、2020年代が、収穫加速の法則にしたがいテクノロジーが爆発的に伸びる時代だと述べている。これは紛れもない事実として今の世界を巻き込んでおり、さっそくWeb3に始まり、OpenAI、量子コンピューター、メタゲノム領域などで一気に開発が加速しているという声も上がっている。

そして、この影響を受けるのはゲーム業界もまた変わりなく、これからの台風の眼として注目されるかもしれないこの分野についてのこれからとこれまでについて「ゲームカルチャー」という言葉を中心に述べていきたい。ゲームカルチャーというのは、主にゲーム、コンピューターゲームにおいて作られてきた文化のことを指す用語としてここでは扱い、ゲーム自体も、チェスや将棋、サッカーなどのいわゆる「非eスポーツ」ではなく「eスポーツ」ないしは「電子競技」についてメインに語っていく。

2.ゲームが呼び起こした「空間コンピューティング」

空間コンピューティングという言葉自体はかねてから提唱されていたものであり、危うく言葉遊びビジネスの一つと思われがちだが、本当の意味での空間コンピューティングはより地味で目立たないものでもある。MinecraftやGTAV、Fortniteはその形式を空間コンピューティングのようにとらえることもでき、RustやThe Forest、VR Chatなどのゲームも多人数×3次元空間×同時接続という条件を満たし、仮想世界の名を冠する空間コンピューティングとして考えることもできる。

空間コンピューティングはまたの名をメタバースということもある。メタバースは形而上的なという意味のmetaと世界という意味のverseを作り合わせた言葉だが、このメタバースは時として利用するには難があると思われることも少なくない。Appleが最新で出したVision Proの発表ではCEOのティムクックはメタバースという言葉を使わなかったことで話題でもある。

このメタバースという世界は、ゲームカルチャー革命において新しい次元を呼び起こすとともに3D世界におけるゲームカルチャーをけん引するすべてを担っているといっても過言ではない。最近出てきた原神やSEKIRO、VALORANTなどのFPSなどはすべからく3次元的な描写であり、新しい世界の扉を開いた契機になった。

3.イーサリアムのアイデアはゲーム発祥だった

暗号資産の1つであるイーサリアムの創業者であるヴィたりっくぶてリンは、そのアイデアをWorld of Warcfraftに見出していた。このゲームは知る人ぞ知るMMOで、日本でもある程度の実況者が動画を投稿していたが、その具体的な実態を知る人は少ない。実際日本ではそこまではやっておらず、Minecraftのほうが人気なことがその裏付けとなっている。

イーサリアム創業者の一人は、このゲームを見て中央集権的な運営を嫌うようになり、そこにビットコインというアイデアが降り注いだことで、イーサが誕生するきっかけになったと述べている。これは、暗号資産という通貨のアイデアが、ゲームのシステムの問題から派生して生まれたものだとも解釈することができ、WoWがeスポーツ的な側面もあったことを考えると、ゲームの奥深さを垣間見ることができる。

4.「やる」から「みる」へ移る熱狂

ゲームカルチャー革命の極めつけは「やる」から「みる」ことへ熱狂が移ったことだろう。もともとゲームは誰かのプレイを見ることでも熱狂を生んではいたが、主な面白さの源泉はプレイヤーが自由にゲームをプレイすることそのものだった。ゲームの面白さはそこにあり、見るという行為には副次的な楽しみ程度にしか面白さを見出している人はいなかった。

Youtubeはカルチャーを一変させたSNSの1つだ

しかし、ゲームが徐々に進化し、グラフィックも美麗になるにつれ、まるで映画のようなクオリティでその世界に没入できることの感動を共有しつつ楽しむというスタイルが浸透していった。PS4はその先駆けともいえる存在であり、まさにPlay to Shareというスローガンが指すとおりに遊びと共有を完全に実現したハードになっていたのではないかと思える。

いまでは、Discordなどで連絡を取り合いつつ、まるでコミュニケーションツールのようにゲームをとらえることは当然のこととなったが、当時のPS4が掲げたPlay to Shareにも同様にゲームコミュニティの熱狂を目標にしていたように思え、その目標が実現した世界が今現在のEsports時代と思うと胸が熱くなる。

5.Vtuberというカウンター

ゲームを王道だと考えるならば、Vtuberやストリーマーはどういった存在だといえるのだろうか?それはまるでゲームカルチャーをグラインドする役割を持っているのか、彼らによってゲームカルチャーそのものも変化してしまうのか、どちらなのかはわからないが、Spreaderとゲームカルチャーが交わることで、さらなる勢いがゲーム自体についていくのは間違いないだろう。

今VALORANTなどで熱狂している人々は、サッカーでも熱狂できるだろうし、ほかの対戦競技でもあるくなれるだろうと思っている。それはVtuberという顔出しなしの新しい存在においても同じようなことが定義できる。

とはいっても、Vtuberがゲームカルチャーのセンターに立つことはどのくらいあるのか、それはまだわからないがメタバースやゲームカルチャーに明らかなる新しいアイコンが参入してきたことは明らかだろう。

6.ダイブ・イン・スクリーン

それはまるで画面の中にダイブするような感覚だ。そこにはあまたのコミュニティがあり、あまたのゲームタイトルが軒を連ねている。目には見えないが確かにある「そこ」はこれからどう変貌していくのか。ゲームで訪れたあの場所というのは、現実世界にはないものの人々の記憶の中には確かにある。

ひとたびゲーミングメタバースを忘れようと画面から目をそらそうとすれば、確かにそこには別の世界、いわゆる現実が広がっているわけだが、そこはそこでまったく別のコミュニティ、物理法則、世界が広がっている。現実でシーシャを吸えば甘い匂いが立ち込めるが、ゲームで同じことをしてもそうはならない。

この非現実的な世界に対する憧憬をどこまで深められるのか。これこそがゲームカルチャー革命の1つの大きな側面だと考えているし、コミュニティも重要だがそれ以上に重要なファクターの1つだともいえる。

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