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学校や教育について思ったことを書き殴る。

お断り : 一高校生の稚拙な意見であり、特定の思想を支持するものではありません。この文章中に大幅に間違っている考えや表現が含まれていると感じた方は、私に伝えて戴けると幸いです。都合上、今回は常体で書かせて戴きます。

文章を書く上で、立場を示す事は大切だと何処かで聞いたから、豫めここに記しておく。
正直に申し上げると底辺公立高校に通う学校嫌いの高校生である。学校が嫌いだからと言って、学校の事をあげつらうつもりは全く無い。
「じゃあ何を言うんだよ。」となるだろうが、結論を言うと「学校や教育ってちょー大事なのに不公平だよな」という話をする。

学校が嫌いな癖して何故、その考えに至ったのか。聞いたことなどを踏まえ書いていく。
「wakatte.tv」というYouTubeチャンネルがある事をご存知だろうか。このチャンネルは学歴イジりなどを初め、学校や学歴に主軸に置いたチャンネルで、私もよく拝見させてもらっている。
私自身は頭が良いわけではなく、「wakatte.tv」では勿論イジられる側の人間である。
そのチャンネルでは基本的に大学の偏差値を物差しとしている。そういったものなのは承知しているし、だからこそ当たり前なのだが、ふと母方の祖母の事を思い出した。
「だからなんだよ。」という話ではあるが、少し暈しながらではあるものの話させて戴きたく思う。

私の祖母は県内の進学校を狙えるほどの学力があったが、祖母の母、つまり私から見た曾祖母が「女性が学を積んでも意味がない」と言われ、その進学校を目指すことさえ許されなかった。高校に通うこと自体を全否定されたわけではなかった為、地元の高校には進学出来た。
更に、祖母の父は異動が多い職業であったから、一度高校も転入している。それでカリキュラムに軋轢あつれきが生じてしまったようで、丸々単元を履修出来なかった物も出てきてしまった。祖母にとっては独学でどうにかなるような物だったが、祖母の母は勉学に励む事が否定的だったため、幾ら頑張ろうともそれを認めてもらえる筈も無く進学を半ば強制的に諦めた。

「wakatte.tv」では、高卒は偏差値20扱いを受ける。だが、祖母は努力しなかったわけでは無い。祖母と理由は違えど家庭事情で進学を断念する人も居るわけだ。高卒をイジっている所を見ると、どうしても本人の学力や努力不足ではない何か別の理由で進学を断念した方の事が頭をよぎる。
さらにネット上では「高卒が賃金低いとかさけんでるけど、それは当人の努力不足なだけだからタチ悪いよな。」などという意見をよく見かける。
努力して大学に入れるなら、今頃日本人の9割9分が大学に入っているだろう。私はそう思う。

給付型奨学金もガバガバな制度だと思う。親の収入で給付を受けられるか否かが決まる。これが問題だ。家庭事情で親元を離れて自立している人はどうなる。親が頑なに学費を出さない家庭はどうする。家に金が潤沢にあっても、子供に使ってくれなければ意味がない。
親が出してくれる前提で考えているのが馬鹿馬鹿しく感じる。社会はそんなに一筋縄では行かない。確かに、先程挙げた例は本当に親が出してくれないのか、自立しているのかの判別が難しい。なので制度の複雑化が進み使いづらくなって仕舞うかも知れない。
しかし、本当にそれで良いのだろうか。良いわけが無いのだが。

私は教育を受ける機会が容易で公平であってほしいと願う。
課題は人と同じ数ある。難しい課題かもしれないが、今後そういった複雑な事情にも柔軟に対応できる制度が出来て欲しい。

今の学校と云う機関がより良くなって行くともっと好ましい。
私の通っている学校は、学校と呼ぶには程遠い現状がある。
同じ学校の者には極めて失礼かもしれないが、常識のじの字も無いようなろくでも無い奴を見かける。
学年集会で小学生レベルのことを説教されたりもする。
この様な学校でまともに教育を受けられるかどうかは火を見るより明らかだろう。

私は先程も言った通り、機会は公平であって欲しいと思う。この高校に入ってきた我々は、確かに勉強ができないのかも知れない。だから教育をまともに受けられないというのは違うと思う。
家庭事情でレベルを下げて仕方なくゴミの様なこの高校に入ってきた人も知っている。
努力しなかった野郎共は仕方ないものの、勉強したくて来たのに高校が酷い有様であれば幻滅するだろう。

公平且つ容易であってほしいと先ほどは申し上げたが、教育を受ける事を阻害するような奴等の所為で教育を受ける機会が奪われるのは理不尽極まりない。
阻害するような奴等は、幾ら公平だとしても邪魔なだけなのでさっさと取り除いて欲しい。

学校に改善を要求しても一向に変わらない。学校も色々放棄しているのだろう。学校運営が大変なことは存じ上げている。
しかし、学校の主役は通っている生徒であり、教員でも生徒の保護者でもない。生徒から不平不満が出ているのに、適当にあしらわれる。
生徒主体の学校運営などほざくなと言いたくなる。

高望みしすぎだ。外野が文句を言うな。素人は黙っとれ。と、ほならね理論を突き付けられそうだが、それを覚悟の上で申し上げている。
だからこそ私は教育を享受できる環境に置かれていることを感謝している。
少しでも学校が、教育を取り巻く環境が良くなって行ってくれればと思うと同時に、私もなにか出来ないかを模索したいと思う。

最後に、完全な言い訳だが、惠まれた環境に居るから文句が出るわけである。 だからこそ、学校と云う機関や教育を蔑ろにするような人間は嫌いだし、学校はみんなが楽しく通える機関であって欲しいと心から願う。

拙い文章でしたが最後までお読み戴き有難う御座いました。

あとがき
書いて読み返してすぐに書く文章があとがきと言えるのか!と言われそうですが…
少し憤りを感じる出来事がございまして、今回は急にこのの文章を書かせて戴きました。まだ高校生のクソガキですが、世の中がより良くなる為に色々な事に挑戦して行けたらなと思います。


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