見出し画像

『ポケットのモンスター』 優しい応援歌

ある曲を聞いて、久しぶりに音楽だけでポロポロと涙が出てしまった。
あまり音楽だけで涙を流すことはないのだが。最近、涙もろくなってきたなと思っていたけども、まさか曲だけで泣くことがあろうとは。

何の曲かというと、ピノキオピーさんの『ポケットのモンスター』。
初音ミクとポケモンがコラボする「ポケットのモンスター feat.初音ミク」というプロジェクトで発表された曲。

ポケモンにすごく思い入れがあるとか言うと、微妙なところだ。もちろんハマっていた小学生のころは大好きだった。しかし、中学生以降はほとんど触らず、あっさり卒業している。

なのに、なんでこんなに心を動かされたのだろうか…
この感動した想いを文章にしてみることで、考えてみようと思う。


曲名

まず、曲名が良い。『ポケットのモンスター』
シンプルに、ポケモンというタイトルそのものを曲のタイトルにする。すごく大胆で、勇気のあるネーミングだ。

やっぱりことばが好きな自分にとって、タイトルというのは大事なものだと思っている。その作品そのものを一言で表すワードでありながら、様々な解釈ができ、なおかつキャッチーなものであるべきだ。


ポケモンがこれだけ成功したのは、「ポケットモンスター」というタイトルも要因として大きかったと思う。ポケットに入るくらい小さなモンスター、ポケモン。開発当初は「カプセルモンスター」という案もあったようだが、絶対に現在のほうが良い。

なぜなら、「ポケット」というものが、すごく身近な存在だからだ。子供にとっては特に。

大人はポケットにモノをパンパンに詰めることはない。おしゃれなハンドバックを持ったり、そもそもポケットがない服を着ていたり。
でも子供は違う。

両手を自由にするために、その身1つで動けるようになるために、大事なものだけをポケットに詰め込んでどこにだって行く。子供たちにとって、ポケットは外に遊びに行くためのすべてが詰まった容れ物なのだ。そんなポケットに、モンスターというファンタジーな存在が入ってくる。ワクワクしないはずがない。

今やポケモンは世界中の老若男女が楽しめるコンテンツになったが、あくまで子供が楽しむためのコンテンツとして作られたことを忘れない、素敵なネーミングだと思う。

そんな、「ポケット」を曲名として入れ込まれている時点で、かなり好きになった。


「ポケットのモンスター」ってなんだろう

このタイトルは、サビで度々繰り返される。
「ポケットのモンスター」。
これが意味するのは何なのだろうか。

最初は単純にピカチュウやリザードンのような「ポケモン」だと思っていた。1番の歌詞と映像では、昔のゲームボーイを見つけて、ポケモンのことを懐かしんでいる様子を描かれている。この曲は子供のころの思い出としてポケモンを懐かしむ曲なのかなと思っていた。

しかし、徐々にそれだけではない曲だとわかってくる。1番のサビの映像。スマホを手にして、ポケモンの主題歌を聞きながら、スカイツリーを見る映像が映し出される。そして、空想のように描かれるリザードンとラプラス。

スマホを手にしながら見る車窓は、間違いなく大人になった自分の視点だ。空想だと断定された2匹のポケモンの映像の中で、こう初音ミクは歌う。

すぐそばに確かにいるんだ
ポケットの中のモンスター
君と「ぼうけん」は続いてる

ピノキオピー 『ポケットのモンスター』より


大人になった我々は、「ポケモン」と冒険はしていない。ポケモンと一緒に会社に行かないし、友達と出会ってもポケモンバトルはしない。でも、この歌では、すぐそばにいる「ポケットの中のモンスター」といっしょに「ぼうけん」を続けていることになっている。

そこに映し出されるのは、現実の風景の中でポケモンバトルをしている想像の映像。そう、空想、想像の世界なのだ。現実の事実だけではなく、自分の頭の中で空想し、夢や希望を描く。そうしたことは、大人になって今でも、全くしないという人はいないだろう。

「ポケットの中のモンスター」とは、単純なポケモンのことだけではなく、そうした空想や想像を、楽しむ心を表現している気がする。


子供のころは、面白みのない現実を、想像力でカバーして楽しんだ。自分たちだけの世界を作ることができた。

公園の小さな砂場が巨大な城下町になるし、リカちゃんハウスでは可愛い服を着たオシャレな女の子が生活している。小さな事実のカケラを膨らませ、夢の世界を作り出していた。一番にこんな歌詞がある。

色のないビジョン 好奇心で染めて
カラフルに動き回る 未知のモンスター

ピノキオピー 『ポケットのモンスター』より

映像に映し出されているのはゲームボーイ。残念ながら、ゲームボーイはカラーではなく、モノクロだ。だが、子どもたちには関係ない。彼らの視点では、カラフルに彩られ、ドットのフレームなんか無視して縦横無尽に動き回るポケモンが映っていたのだ。


続く、2番にはこんな歌詞もある。

あの頃のワクワクを捨てないで
HP1でも まだ歩けるかな?

ピノキオピー 『ポケットのモンスター』より

あの頃の「ワクワク」を捨てずに、まだ歩いていく。ここの歌詞を自分は、想像力を持ち続けて生きていくということを示していると解釈した。

この曲は、ノスタルジーな気分になって、「子供のころって良かったな」と感傷に浸るだけの曲ではない。

残りの人生を「ただ生きていく」だけじゃなくて、好奇心と想像力で素敵なものにしていく「ぼうけん」をしていこう。モノクロのポケモンをカラーで彩ったように。そんな、大人になった僕らへのメッセージが含まれた曲なのだ。


PVでもそれは感じられる。2番のサビの映像でモンスターボールから出てくるもの。それは、ポケモンではない。ネクタイやパソコン、合格祈願のダルマ。現実の世界のものだ。

でも、色褪せた表現なんかにせず、キラキラと光輝く存在として描かれている。
かつて、モンスターボールから出てきて感動をくれた、ポケモンのように。
これらが、今の自分たちにとってのポケモンであり、「ぼうけん」を共にする仲間、世界を彩るツールなのだと示している。


初音ミクが歌うことの意味

この曲を歌っているのは「初音ミク」だ。今や世界中に名を轟かせている、音声ソフト、ボーカロイド。人間ではなく、機械の彼女がこの曲を歌っていることにどんな意味があるのだろうか。

「いや、ポケモンとミクのコラボなんだから、ミクが歌うでしょ」という話ではなく。それは前提の話だ。

「電子の世界に生き、人々が自分を使って様々なコンテンツを作り出してきた、初音ミクというボーカリスト」が歌うということの意味。
そこも考えて、いやむしろそれを前提に作られている曲なはずだ。


ミクも、ポケモンも、空想の産物。物理的には、どちらもただのソフトで、プログラミングされた電子上のデータだ。

でも、人々の想像力で、データ以上の「何か」になっていった。電子の世界から、妄想の世界から、形ある現実のものに変えていったのは、人々の想いなのだ。初音ミクはこう歌う。

強くても 弱くても 人気でも 不人気でも
ぼくは知ってるぜ 一番の
ポケットのモンスター

ピノキオピー 『ポケットのモンスター』より

先ほどの解釈で、「ポケットのモンスター」を単なるポケモンだけではなく、「人々の想像力」を指しているとすると。ここで言う「ぼく」は、単純に我々のことなのだろうか。
「ぼく」=「ミク」なんて考えることもできるような気がする。そうすると、素敵な応援歌として捉えられないだろうか。

多くのクリエイターの、想像を現実にしてきたミクが歌うこの言葉は、すごく力強く、優しい。


ピノキオピーさんの作品を自分が好きになる理由は、初音ミクが歌う意味がそこに感じられるからだ。

今回の曲も、ポケモンというテーマに対して、どういう歌詞を「初音ミクが」歌うべきか。そういった着想からスタートしているような気がする。この曲は、人間ではなく、ミクが歌うからこそ意味がある。

少なくとも、ピノキオピーさんにとっては、ミクもポケモンも、同じ「ポケットのモンスター」なのだろう。自分の世界を豊かにし、電子の世界を飛び越えていろんな人たちに影響を与える存在なのだ。


素敵な応援歌

ここまで書いて、涙を流すくらい自分が感動した理由がようやくわかった。これは何か想いを持ち、それを形にしようと努力している人たちに向けた、ミクとポケモンからの応援ソングだったからだ。

もし、ポケモンの思い出に浸るノスタルジーなだけの曲だったら、そんなに感動しなかっただろう。でも、こんな駄文でも、文章というツールで自分の考えを実現しようと努力している自分だから、こんなに感動してしまったのかもしれない。

こんな自分でも、子供みたいに感動して、想像して、なにかを作り出して…そんなことをしても良いんだと。
ポケモンと一緒に、ミクがそう言ってくれているような気がしたのだ。


ピノキオピーさんは、この曲の告知のツイートを、こういう文章にしている。

このツイートに引用されている歌詞。

強くても 弱くても 人気でも 不人気でも

ピノキオピー 『ポケットのモンスター』より

ツイートという限られた文字数の中で載せたかった歌詞。それがこれであることの優しさを感じる。大事なのは評価なんかではないと優しく応援してくれる。
ポケモンと、ミクに応援されながら、今日も自分の「ポケットのモンスター」と一緒に「ぼうけん」をしていこうと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?