見出し画像

怠惰ですねぇ

日記的な記事。ここ最近、全然noteを更新できていない。毎日更新を途絶えさせてしまってから、週に3,4本は安定して投稿しようと思っていたのだけども。

3月末に毎日更新が途絶え、4月は更新があまりできていなかった。これは仕事のほうがなんやかんや忙しかったというのもある。もちろん、noteを書く隙間時間が一切なかった、というほどではないのだが。

でも、4月で人事異動とかあって新しい環境になったら、MPが減るじゃん。HPじゃなくてMPね。
そんな言い訳を自分にすることができた。


しかし、ここ数日は完全にただのサボりだった。何をしていたかというと、slay the spire というゲームにドハマリしていた。

デッキ構築とローグライクを組み合わせた洋ゲー。友人にオススメされていて、ちょうどセール中だったから購入。それがだいたい1週間前ほどだろうか。もう仕事以外のほぼすべての時間がこれに吸われている気がする。先週の土日なんてほぼこのゲームで消えていた。まさに文字通り寝食を忘れて。

まぁ、ここまではよくあるゲームにハマっちゃって更新できませんでした、という話。
いい息抜きになったんじゃないか、楽しんでるからいいじゃん、客観的に見るとそうしたコメントになるだろう。


自分で自分を面倒くさいなぁ、と思うのがなぜかこれに嫌悪感を感じてしまうこと。

別にnoteの更新なんて、お金をもらえるわけでも、誰かと約束をしているわけでもないのに。趣味なのだから、人生を豊かに楽しむ1ツールでしかない。その分の時間を他の趣味に使って楽しんでましたという、それだけの話しなのだ。

なのに、なぜか落ち込んでいる。昔は1日中ゲームをやっても、後悔どころか清々しい気持ちを覚えていたくらいなのに。


理由を考えてみた。まず、社会的に見て一日中ゲームにふけるという怠惰で非生産的な行為に自己嫌悪を抱いている説。

こうした気持ちも全くないことはない。が、本質ではないような気もする。もちろん1日中ゲームをしたことで何も社会に貢献していてない。間違いなくお手本になる休日の過ごし方ではないだろう。しかし、寝食忘れるくらいになにかにハマれるって、それはそれで尊いことだと思うのだ。それが例え非生産的で他者から無価値に思えるものでも、熱中している人はキラキラしていると思っている。

だから、例えゲームでも本当に熱中して1日を費やしていれば後悔はない。無気力にダラダラと寝ているだけの休日よりはよい生活だったとは思う。


ではこの嫌悪感は何かというと。

それはゲームにハマりきれずに、むしろゲームを逃避に使ってしまった、自分へのイラ立ちのような気がするのだ。この数日、ずーっとnote書きたいなぁという思いはあったが、少しの誘惑に負けてゲームをする。なんだか心が中途半端。そんな日々だった。

ゲームにもなんだか真摯に向き合えてなかったんだよなぁ。ランダム性のあるゲーム性に甘え、考え尽くすこともせず。ひたすらに施工回数のみを重ね、時間が過ぎていく。それは熱中ではなく、惰性だったような気がする。

面倒くさいこととか、だるいなと思っていることに対しての逃避としてゲームを使うのは本当にヨクナイ。趣味というのは熱狂の上に成り立つもので、その狂信に対して、怠惰であってはならないのだ。

我ながら面倒くさい考え方だなと思う。ただ、暇な時間に取り組む趣味だからこそ、自分なりに真摯でありたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?