好きだったんだな、グレンラガンのこと
映画館で『劇場版 天元突破グレンラガン 紅蓮篇』上映していたので、見てきました。公開15周年ということらしい。めでたい。
本日はその感想。
TV版はリアルタイムで途中まで追っていて、当時小学生だった自分はニナ登場時のストレスで一時離脱。中学生くらいになってから全話見返した。つまり劇場版は初見。
初の劇場版は面白かった。でも、楽しい気持ちと当時に、少しの不満も感じた。不思議なことに、その不満がなぜか、心地よいものだったのだ。それは、凄く自分にとってグレンラガンが大事な存在だったんだなって、再認識できる不満だったから。
あの頃の記憶がふつふつと…
まず、冒頭のシモンが穴を掘っているシーンで、凄くエモくなってしまった。本当にリアル小学生だった、あの頃の純粋な気持ちが込み上げてきて…
しかも、グレンラガンとの出会いは割りと運命的だったと記憶している。普段テレビでアニメを見るような子供ではなかったのに、たまたまTVを付けたら第一話が放映されていて…
そこからの「ガンメン」という巨大な顔だけのロボットの登場というインパクトのある展開、そしてカミナの「俺が信じるお前を信じろ」という名言。少年の心は一瞬で奪われました。
本当に純粋な少年の心でグレンラガンを楽しめたのは、奇跡だったなと思う。
第一話の初めて地上を見たシモンと同じ表情を当時の自分はしていたと思う。
本当に良いアニメだし、これを日曜日に放映していたのがやはり良い時代だなと。今だと絶対に深夜枠でしか放映できないはず。
でもそんな当時のピュアな思い出を懐かしく感じると共に、小学生のころは全く感じなかった、「ヨーコ、エロ可愛いな…」という感想を持ってしまい、何だか凄く汚れてしまった自分を感じた。
1ミリも当時は思っていなかったから、少年ってすげぇ。こんな汚れた大人になってごめんな…
グレンラガンが好きだったんだなって
冒頭は割りとTV版の第一話をそのままの展開だった。そういうのもあって、特に不満はなかったのだが、話が進むにつれてTV版のあそこが好きだったんだけどな…みたいなカットが自分の中で増えてきた。
冒頭は、やっぱり大人シモンが宇宙で戦っているあのシーンも欲しかったな
とか
カミナがお父さんの亡骸を見つけてそのマントを取るエピソードも好きだったのにカットされて悲しいな
とか…
完全に思い出補正なんだろうけど、TV番と比較しての劇場版への不満を感じてしまう。でも、この不満には、負の感情よりも、どこか嬉しさを感じる不満だった。
冒頭にも書いた、俺ってこんなにグレンラガンのこと好きだったんだ…って気持ち。それを凄く感じたのだ。
当然、劇場版なんだから、TV版のカットがあるのは分かっているし、そんなの覚悟して見に来ていた。当然だと思ってたし、カットされても何とも思わないだろうなと思っていた。
でも、実際に編集されたものを見ると悲しさが湧いてくる。頭で理解できていても、心が追いつかない。
もう完全に恋する乙女みたいな心情なのだ。
だから、上記で書いた不満なんかは、決して劇場版の作品自体の質は低いとかではなく、TV版の思いから生じたもの。客観的に見て、凄く良くまとめられていたなと思うし、オリジナルシーンも大迫力で良かったと思う。
そこは勘違いしないでほしい。劇場版は、良い作品だった。
サブタイトル、次回予告
一番物足りない!って思ったのは、サブタイトルと次回予告がなかったこと。いや、そりゃないのは分かってる。劇場版でいちいちこれらが入っていたらオカシイ。
でも、凄く寂しさを感じてしまった。
グレンラガンのサブタイトルはどれも魅力的だ。
全部、名台詞かつその一話をぴったしと言い表した素晴らしいサブタイトル。
五・七・五を基本としたり、韻を踏むことを意識した語りからの、クソカッコいいサブタイトルを最後に言い放つ。そんな次回予告も、どれも凄くカッコよかった。
次回予告集をYoutubeで見つけて久しぶりに聞いたけどもやはり良い。
どんなに作画を劇場版で良くしても、TVアニメに勝てない要素。というか、TVアニメだからこそ出る魅力。それが、サブタイトルと次回予告だろう。
自分の「好き」を実感できた良い機会だった
グレンラガンという存在は、自分にとっては「名作だったな」くらいの立ち位置でしかなかった。
「好きなアニメ作品は?」と聞かれた時に、一番最初に声があがる作品では間違いなくなかった。
でも、この劇場版を見た後だと、思わず一番最初に言ってしまうかもしれない。「グレンラガンは名作だった、凄い好きな作品だ」と。
それくらい、自分の中でのグレンラガンの好きさを再度実感できる、よいキッカケだった。ありがとう、劇場版。
でも、やっぱり初見の人にはTV版から見てほしいとは思っちゃいます…
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