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無事に手帳が1ヶ月続きました

年始の記事で、今年の新しい試みとして、手帳を始めることを書いた。

1月も終わったが、無事に手帳を書く習慣は続いている。今のところ楽しく継続できているので、続けることはできそうだ。この1ヶ月手帳を続けてみた感想を書きたい。

自分は「ほぼ日手帳」の1日1ページタイプを使っている。手帳と言えば仕事なんかで使う人もいるが、自分はそういったタスクや予定は一切書いてない。そういったものはスマホやPCのほうが効率良いと思っているからだ。


では、何を書いているかというと、1ページに収まる、何かしらの短い文章を書いている。

1日の振り返りのこともあれば、ふと思いついたことを書いているときもある。とにかく、限られた1ページに自分の考えた文章を書く。起きた出来事に関連して書かなくても良いので、日記とも違う。ルールは1ページにおさめるように書くということだけ。

そして、1冊の本にしていきたいなと思っている。過去の自分が未来の自分にだけ向けた、1つの「読みもの」にしていきたい。「自分に向けて」というのが重要だ。noteは、どうしてもクオリティを気にしちゃう。読みやすさを気にする。でも、「自分に向けて」ならそんなのを気にする必要はない。

気軽に文章を書くのは楽しい。読み返すのも楽しい。素直な自分の気持ちが読める。


手帳は「ライブ」だ

1ヶ月手帳を続けて気づいたことがある。手帳は自分にとって音楽のライブみたいなものだ。

実質無限に近いスペースに書き記すデジタルの文章と違って、手帳には「ページ」という限られた紙面に文章を書くことになる。どんどん紙面が埋まっていく手帳を見ていると、どこまで文章を書けるか、という変な緊張感がある。

そして、自分は下書きなしのボールペンで書いている。修正液とか使えば訂正できないことはないが、使っていない。何度も推敲しながらではなく、その時感じた気持ちを書きなぐりたいのだ。

限定された環境で、訂正ができない一発勝負。そんな手帳の執筆は、音楽でいう「ライブ」に近いと思う。再現性や柔軟性がない。

だからこそ面白い。音源には音源の、ライブにはライブの魅力があるように、手帳に文章を書くのと、こうしたネットに公開する文章を書くのは、全然違う面白さがある。


文具って自由

後、もう1つ発見したのは、みんな「手帳」という媒体を色んな使い方をしているということ。ほぼ日手帳のライブ配信なんか見てびっくりだった。

手帳をはじめ文房具を趣味にする人の気持ちがイマイチ理解できなかったが、この自由さが魅力なのかもなと。自分なりのルールを作って、手帳という小さな媒体に自分の世界を作り出す。この自由さと閉じた感じがみんなが手帳にハマる理由なのかなと思っている。

この自由さは、自分がインターネットの好きなところと共通するところがある。新たな趣味の扉が開きつつあるのを感じている。手帳だけじゃなくて、文房具も色々と興味出てきた。


そして手帳という「リアルな文具」の魅力として、少しずつボロボロになっていく「使用感」も、手帳ならではだ。インターネットの文章では味わえないもの。

これが1年間続いた時、どんな「本」になっているのだろうか。文章の中身だけじゃなくて、汚れとかそういったものも含めて、未来の手帳の姿を考えてワクワクする。365ページもの自分の記録。すごく楽しみだ。


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