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どうやら自分は「武士」と言われているらしい

ある先輩の自分に対する評価が、「あいつは武士ですから」の一言になっているらしい。

何だそれ、と思って色々聞くけど、「まぁ分かる人にはこれで分かるからいいんだよ笑」と言って特に詳細は話さない。仕事への向き合い方とか、人との付き合い方とかが武士っぽいらしい。

馬鹿にされているのでは、と心配する人もいるかもだけども、仲が良い先輩なので、恐らくそういった意図はない。それに、自分は武士っぽいと言われるのは嬉しいのだ。


武士と言えば、義理だな恩だの、そんなことを言っているイメージ。古臭い言葉として取り扱われることが最近多いが、自分はこうした言葉は大好き。別に死ぬことを見つけようとは思わないが、武士道を歩めたら、さぞかしカッコいいだろうなと思う。

また、将軍とか、武将とかじゃなくて、「武士」という一兵卒なところが、自分好みだ。絶対に自分はそうしたお偉いポジションにはなれない。下のポジションで、ある程度好き勝手に個性を出せるほうが絶対に人生としては楽しい。


あなたの武士道は

世間一般は、武士ってきいて、どんなことを想像するだろうか。幕末とかが好きな人は、新選組を思い出すかもしれない。日本最後の武士集団として、壬生の狼として生きた彼らは確かにカッコいい。そんな彼らの出身は武家じゃない者も多かったというのがまたエモい。

でも、自分が思い描く武士とは、ちょっとズレたイメージを持ってしまう。勝手なイメージだけども、どうしても新選組は「警察」的なイメージだったり、強すぎる「個」を持っているが故に、自分とは真逆すぎて憧れはすれど親近感を持てないのだ。

恐らく、新選組の隊士になっていたら、絶対に何かしらで士道不覚悟として切腹させられていただろう。自分にはあそこまでの根性はない。


自分の中で憧れる武士、まぁ武士ではなくどちらかと言えば武将だが、それは大河ドラマ『真田丸』に出てくる上杉景勝だ。

遠藤憲一氏が演じている

この作品での上杉景勝は、めちゃくちゃカッコいいキャラかと言えば、そうではない。基本はへたれキャラとして描かれてしまっている。

上杉謙信という偉大な武将を継ぐものとして生き、謙信の「義」を重んじる生き方をしようとする。

しかし、時代は異なり、謙信ほどの武の才能は彼になく、お家争いが続いた上杉家にかつてほどの力はない。そんな中で、彼なりに「義」を果たそうと、一生懸命生きるのだが、なかなか上手くいかず、部下の直江兼続に怒られてばかり。

「もう少し現実を見てください」と怒られ、しょんぼりする彼の顔が何度もTVで放映された。


そんな情けない男だけども、本当に大事な場面ではしっかりと「義」を魅せる。どれだけどれだけ現実に心打たれようとも、心の奥底には「義」を持ち続け、それに従った生き方をする。

彼は現実を知らずに、義に固執する愚か者でもない。なにが何でも義を貫き通すことはできずに、現実に負ける。ある意味、弱い人物だ。それでも、彼なりにもがき、「景勝」としての「義」を魅せる。これが凄く自分は共感できた。


自分だって、本当は組織のために死ぬ気で働くべきだと思っている。0時過ぎてもやることがあるなら、残業するのが組織のためである。でも、普段はそんな生き方はできない。家に帰ってダラダラYoutubeを見たいと思う。

そんな情けない自分だからこそ、景勝に共感する。そして、彼の100分の1でも良いから、大事なところくらいは「義」を通す生き方をしたいと思う。

だから、武士と言われていることは素直に嬉しい。自分は少しは義を重んじだ生き方をできているかもしれない。


ちなみに、自分の名前は、上杉謙信から一文字取っている。だから、上杉家にどうしても親近感を抱いてしまうし、なおさらこの名に恥じぬ生き方をしないとなと思っている。

そういった心持ちをしていること先輩は知ってはいないと思うが、だからこそ武士と言われることは自分にとってすごく褒め言葉なのだ。

以上!


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