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エゴサという文化を肯定したい

エゴサーチ。
もはや新語とも言えないが、少なくともインターネット発達以前にはなかった単語ではある。Wikiによると以下のような意味。

エゴサーチ(egosearching)とは、検索エンジンなどを使って自分の本名やハンドルネーム、運営しているサイト名やブログ名を検索し、インターネット上における自分自身の評価を確認する行為のことである

Wikipediaより

なんだか、日本人的な感覚からすると、「エゴ」なんて言葉がついていると、マイナスなイメージを持ってしまう人もいると思う。なんというか、自己顕示欲が高そう、みたいな。

でも、今日はこの文化に感謝した話を書きたい。少なくとも、もっとクリエイターにはエゴサをしてほしいし、我々のようなファンは、彼らに届くように最大限の努力をして発信すべきだと思っている。


クリエイターの原動力に

自分は0からモノを作り出すというよりも、何かしらのコンテンツをベースに発信をすることがほとんどだ。そうした記事の中で、僥倖なことに、作者本人から反応をもらえたこともある。

好きなnoteの作者が復活したときに書いた記事も、反応をいただけた。


イラストレーターのカンヌさんのことを書いたこの記事も、御本人にTwitterでフォローいただいた。


漫画、『靴の向くまま』の感想記事は、ありがたいことに作者さんにツイート(ポスト)してもらえた。

まぁ、上記の後半2個の記事は、Twitter(X)のリプライを飛ばしていたのだが…売名行為と罵られても、言い訳はできない。でも、自分はその行動に後悔をしていない。

正直、最初はかなりドキドキだったし、思い悩んだ。なんとおこがましい行為なんだ、媚を売るな、そんな非難の声が自分の中にもあった。
でも、同人作家たちを長年フォローしていている中で、その界隈で度々バズって自分のところに流れてくる主張がある。それは、「感想は伝えられる間に伝えろ!」だった。


同人、いやプロも含めた、クリエイティブの世界はただ生活していくだけでも厳しい世界だ。まして裕福な生活を送られるのは、ほんの一握りのクリエイターのみ。大多数は、辛い生活を送っている。

そんな彼らの原動力。それは、世間からの反応。それに限ると思う。
だって、そうじゃなきゃネットの世界で発信なんて行っていないはずだ。

しかし、多くのクリエイターにとって、自分の作品の反応というのは見えづらい。面白いな、と思っても、大多数の読者たちは声を挙げない。売上や閲覧者の1つ、単なる数字にしかならず、作者にとってはデジタルの値の1つにしかならないのだ。

だから、生きた人間からの反応がないと、彼らは筆を折ってしまう。だって、数字を増やすことに快感を覚えるなら、しんどいクリエイターをやらなくても、お金儲けのために普通の仕事をして、節約すれば貯金という数字は増える。

このデジタル全盛期の時代に、未だに同人誌即売会に出品する人がいるのは、ここなんだと自分は思う。本を買いに来てくれる人を直で見られる。数字の1が、生きた人間であることを実感できる。だからみんな即売会に参加するのだ。

まして、その想いを、感想を、「好き」という気持ちを、文章やイラストやら、何かしら形に変えて発信してもらうのは、クリエイターなら絶対に感動する。だって、何かを作り出すことの大変さと勇気を知っているのだから。


だから、自分はリプライを飛ばした。もし、見てもらえて、ほんの少しでも励みになれたら。その人のフォロワーや閲覧者という、ただのデジタル上の「1」を増やすための記事だけではなく、その人のモチベーションの原動力のなってくれれば。そんな思いでリプをしたのだ。

そして、その想いは届き、彼ら(彼女ら)に何かしらの感動を与えられたと思う。


エゴサしてくれたから見つかった

だから、自分は感想を発信するときは、極力目立つように、見つかりやすいようにする。それこそが、影響力も何もない自分が、クリエイターたちのためにできる、数少ない努力だからだ。

そして、そんな努力が、先日また1つ実った。
先日書いた、ピノキオピー氏の新曲の感想記事。

これもせめて見つかりやすいようにと、ハッシュタグを埋め込んでツイートした。正直、彼レベルのクリエイターには、リプライだと埋もれる可能性も高いなと思ったからだ。

その後、数日経って、この記事のnote上の反応も落ち着いたころ。Twitter上で1件の通知が来た。

凄く嬉しかった。エゴサをして、見つけてくれたのだろう。どこまで自分の記事を読んでくれたかは分からない。反射的にいいねをしただけかもしれない。
ただ、少なくとも、少しでも読んで良いと思ったから、「いいね」してくれたんだと思う。彼のいいね欄を見る限りの推察だが。

この記事、正直言うと、土日を丸2日かけて書き上げた、かなり気合の入った記事だった。その自分の努力が少し報われた気がしたし、これがピノキオピーという偉大なクリエイターの原動力の0.01%にでもなれば、本望だ。

そして、この一連の出来事には、エゴサという文化があったからだ。
だから、自分はエゴサを否定しないし、むしろ推奨したい。クリエイターは感想に貪欲だ。そして、我々の感想は彼らに遠慮なくむさぼり食われるために、恥も外聞もなく発信する必要がある。

以上!

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