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【ライブレポ】ガットのスタジオミュージシャンとしての生き様(23/10/26 川崎)

スティーヴ・ガットのライブに行ってきた。BHGプロジェクトというドラムのガットとサックス、オルガンの3人組のバンドでのライブ。

川崎のホール、指定席で前から8列目。こんな好条件で、4,000円でガットを見られるなんて、いい時代だ。今日はこのライブの感想を書きたい。

ライブの感想を総括として一言でいうと、「スタジオミュージシャンとしてのガットの生き様を見れた」ライブだった。ガットはJAZZドラマーでも、ましてやロックドラマーでもない。やはり彼はスタジオミュージシャンなのだ。そう感じることのできた1日だった。


小さな巨人

まず、ステージに登場したガットを見て思ったこと。思ったより小さい!だった。

そして完全におじいちゃん。齢は70を超えているので当たり前なのだが。体の小ささも相まって、外でばったり出会っても、絶対に世界的なスタジオ・ミュージシャンとは思わなかっただろう。


でも、ライブが始まってからの存在感は真逆だった。どうしてもガットの音を聞いてしまう、そんな存在感があった。

もちろん、他の2人もうまい。このクラスのミュージシャンには、うまいという言葉ですら失礼な気がするが。でも、気がつくと、2人の音よりもガットの音を聞いてしまう。一定のリズムパターンを刻んでいるだけなのに。

ミーハーみたいで嫌だからなるべく全体の音を聞こうとはしていた。でも気がつくとガットの音を聞いてしまっている自分がいるのだ。

ネームバリューによる錯覚なのだろうか。
それとも、ただ単にドラムの音が物理的にデカいからそう感じてしまっているのだろうか。
あるいは、本当に、ガットのドラムが凄いからなのか。

自分みたいなジャズ初心者・音楽初心者には、どれが理由か断定はできない。ガットのドラムであることを知らずに、あの演奏を聞いて、ドラムの良さにすぐに気づけるだろうか。自分の耳をそこまで信頼できない。


でも、間違いなく、あの日のホールでガットの小さい体から繰り出される音に夢中にさせられていたのは事実だ。

体の小さいガットの、ステージ上の音の存在感は、誰よりも巨大だった。
小さな巨人だった。


スタジオミュージシャンとして

今年はいろんなレジェンドを見た1年だった。クラプトンやラリー・カールトンなと。ガットも、年齢的にもキャリア的にもこのレジェンド枠としてカウントして全然良いだろう。

でも、他のレジェンドと異なり「がっかり」がなかったプレイヤーだった。

クラプトンのときは、「こんなもんか」と思ってしった。
ラリー・カールトンには、「丸くなったなぁ」と感じた。
やはり、彼らレジェンドはもう年を重ねたプレイヤーだ。どうしても、全盛期の時のようなプレイから見劣りする部分があった。

もちろん、当時を知る人からすると、あの日のガットのプレイに衰えはあったかもしれない。技術的なところを見てしまうと、劣化しているのかもしれない。でも、そんなことは分からない自分からすると、もっと根本的なところで、彼の音楽に「がっかり」は感じなかった。


きっと、ガットの演奏が彼に対して持っていたイメージから全くブレていなかったからだと思う。
彼は、ずっとスタジオミュージシャンだった。有名になる前も、なった後も。

あの日の演奏も、あくまでスタジオミュージシャンとしての演奏だった。もっと色んなオカズ、変わり種のリズムパターンを作れる技量はあっただろうが、彼は目立たないリズムパターンを刻み続けていた。ジャズのドラムっぽい、変わったところで入るスネアの感じもなかった。

やはり彼は、スタジオミュージシャンなのだ。愚直なまでに、与えられたもので最大限の演奏をする。それが彼の仕事であり、音楽だったのだと思う。

その彼のこれまでの音楽、生き様から全くブレない演奏だったから、「がっかり」することなく、むしろ感動すら覚えたのだろう。

ガットにそんなに詳しくない自分でも、彼のそんな生き様すら感じられた演奏だった。4,000円で、この近さで。

非常にいい経験だった。ツアーの締めを日本の川崎で演奏してくれたBHGプロジェクトのメンバーと、こんな素敵なライブを紹介してくれた友人に、感謝。

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