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ロック以降

かつて、「あらゆるジャンルの音楽はだんだん速度が速くなっていき、その行きつくところがそのジャンルの音楽の終わりだ」と言ったただ単に普通の人がいた。ロックというジャンルの音楽も、スラッシュメタルという速度の速い、終わりの始まりの音楽がもう何十年も前に出現し、衝撃的な”グラインドコア”と呼ばれた、人の理解を超える速度と曲の短さで一世を風靡した音楽で、めでたく死亡した。

その後の象徴的な意味でのロックの死は、カート・コバーンの死によって決定づけられた。

ロックとは何だったのだろうか。ブレスリーは大衆の前で腰を振り、ビートルズで女の子は失神し、ローリングストーンズをヘルスエンジェルスという無法集団が護った。ウッドストックで世界は変わると信じ、金儲けの茶番の中で生まれたセックスピストルズに影響を受けて、本当の意味でのリアルな音楽であるパンクが生まれ、音楽的にもプログレ、メタルなど技巧を極めたスキルとして聞くに堪えるものに発展していった。録音装置と録音媒体の商業的な流通網を通って、社会の底辺で暮らす人のリアルな声や、奇異の目で見られながら髪を伸ばしバイオリンやピアノやサキソフォンではない楽器でただひたすらに練習をして腕を磨く者の音がその国中だけに留まらず、広く世界の多くの人々に届くこともあった。

巨大なマネーメイキングマシーンと化した音楽産業は、当然の帰結として純粋に金になる音楽を広く世界に届け続けた。
死亡したロックは魂の抜け殻となって、中身のない音楽を供給し、ヒップホップがロックが失った暴力性や底辺からの声をロックを代替する形で現代まで続いている。
ヒップホップがロックと最も違ったところは、露骨な上昇志向とむき出しの拝金主義を扱った事だ。それは見事に時代を象徴し、ウォールストリートやLAのセレブリティと共通した価値観を持つものだ。

ロックは本当に死んだのか?レニー・クラビッツの曲にロックンロール・イズ・デッドという曲がある。Do It Yourself、DIYの実践バンドClassのPunk is Deadの劣化版パクリなタイトルだが、メジャーレコード会社の重役の御曹司であるレニー・クラビッツが歌うことによって、本当にロックは死んだのだという凄みを帯びてくる。だがロックが底辺の声を吸い上げるというアートフォームである以上、本当の意味では死ぬことなど無い。

インターネットの普及でそういったロックが見えるときがある。いわゆる8ビートの3コードを基調としたロックの事ではなく、本来の意味でのカウンターカルチャーとしての音楽だ。コンピューターによるロックも何も今始まったものではなく半世紀近く前から存在している。ただ音楽だけで生きていくには金の話は避けて通れない。音楽と金とは切っても知れない腐れ縁なのだ。インターネットの普及でミュージシャンは自分たちで音楽を作って自分たちで配信してお金を得る社会が来ると楽観的に考えていた。ところが実際はビニール盤やCDなどを売るレコード屋に代わって、巨大IT企業がデータ配信、サブスクというビジネスモデルとして、巨額な資本の元でのマネタイズという構図は変わらなかった。ただし10年ほど前には聞いたこともないNFTという技術が、ようやくDIYな本来的な意味合いでのロックと親和性の高い全く違う未来を創るのではないかとまた夢想できる時代に突入していると感じる。


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