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近未来建築診断士 播磨 第4話 Part6-1

近未来建築診断士 播磨

第4話 無自覚な従僕たちのマンション
Part.6『劣化機能の更新業務』 -1

【前話】 

 話を聴き終えると、作治刑事は畳に視線を落とした。

「そりゃさ。また飯食おうぜって言ったよ。こんな重い話とセットって思わないでしょ」
「すみません」

 平服でくつろいだ様子とは裏腹にその表情は固く鋭い。春日居は周囲を警戒しているのか、個室を仕切るふすまと端末とを交互に確認していた。

「町会長さんと、例のかくまってくれた住人さんには話したのか」

 頷いて応える。
 元木氏は依頼主だから当然として、牧野氏は健康被害の恐れもあった。できれば伏せておきたかったが、彼には何度も助けられている。
 できる限り隠しごとをしたくなかったのだ。

「ショックを受けていらっしゃいました」
「だよな。知らぬ間に薬漬けにされてた、なんて言われたら混乱する」
「それ以上にマンションの今後を心配されていました」

 元木氏は報告書に目を通してすぐ、警察への通報をぼくに提案してきた。しかしそれを牧野氏が止めた。報告書の内容が世間に知れ渡った場合、マンションの住民はどうなるのか。周囲からの評判は。

「警察の捜査のために居住者が強制退去させられるんじゃないか、とも」
「そりゃ、そうなるだろうな」

 作治刑事はさらりと認めた。

「まず薬局の違法運営で十分ヤバいのに、加えて住民に告知無しで調剤を変えてるんだろ。てことは建物管理システムは自己判断能力を持ってる。つまりは人工知能化してるってわけだ」
「国連の専門部署が乗り込んでくるレベルですねー」

 春日居がこちらを見ずにつぶやいた。

「フリーダム事件からこっち、取締りが緩和されたことってありませんよね確か」
「ああ。無登録AIは即刻破棄される。この報告書が正式に提出されりゃ、専門家達が飛んでくるぜ。マンションは閉鎖。システムに関与した疑いのある者は即勾留だな」

 牧野氏の想像通りだ。居住者の生活に警察が配慮するだろうという自分の想像はかすりもしなかった。いや、問題の大きさから警察はそれ以外の手が取れないのかもしれない。

「その場合のマンション閉鎖というのは、具体的にどうなるんでしょう」
「事態収束まで警察の管理下に置かれる、かな。ただ長期間にはならないだろうよ。病巣を綺麗さっぱり取り除いて撤収てところかね」
「11階の管理システムサーバーと、建物のどこかにある増設サーバー」
「それと住民に影響を与えてた機械も全部だな」

 それは、無理だ。建物が無傷で済むわけがない。図面を思い浮かべるまでもない。コンセントやらインターホン配線は壁の中に埋め込まれている。それらを全て撤去するとしたら室内の壁なんて無事で済むわけがない。綺麗に取り外すこともできるが、それは内装工事の場合だ。警察は関連資料として押収するのだ。目当てのもの以外に気を配る理由がない。

「まともに住める状態ではなくなりますね」
「だな」

 作治刑事の口調はあくまで淡白だ。だが注意深くマンションのホロ診断報告書を眺めるその表情は険しかった。

「こういうのは所轄も嫌がるだろうな。近隣との関係は悪くなるだろうし、メディアも総出で警察を悪者にする」
「どうですかね?あの理事長、近所の評判悪そう」
「あー、住民が自業自得とかで叩かれるセンもあるか。キツイな」

 春日居と刑事は視線を合わせることなく軽口を叩きあう。自分はとてもそんなことをする気分にはならない。

 この仕事、無かったことにしたほうがいいんじゃないだろうか。代価を受け取れなくても、結果を秘密にしていたほうがマシかもしれないほどだ。
 だってなんの問題がある?アメンテリジェンスマンションは築50年の現在に至るまで、大きな問題は起きていない。システムが改ざんされたのがいつ頃かはわからないが、そう最近のことではないはずだ。ならそのシステムは比較的上手く建物を運営してきたということだ。

 元木氏のご友人が良い例だ。10年程前にマンションに越して、そこから少しづつ人が変わっていった。ということは管理システムが現在の状態になったのがこの10年以内ということはないだろう。

 友人をマンションに変えられた。それは確かに、大きな問題かもしれない。けどもこの報告書で引き起こされることからすれば小さなことじゃないだろうか。警察の捜査と撤去、いや破壊で、あのマンションは人が住めない場所になる。その後のことはだれも保証してくれないだろう。マンションに修繕資金の積立はあるだろうが、それでまかないきれるだろうか?もし保証があったとしても、補修には何ヶ月も何十ヶ月もかかる。その間の仮りの家を全ての居住者が用意できるだろうか?

 少なくとも、牧野氏はできない。
 報告書を一通り読み終えた牧野氏は顔を真っ青にしていた。聞けば独り身の終の住処として、念入りに資金繰りをしてようやくあの部屋を買ったという。借金がまだまだ残っているのだ。

 金銭問題で簡単に引っ越しができないのは彼だけじゃない。高齢の居住者の一部も同じはずだ。何よりも、居住者は住み慣れた家を失うことになる。のんびりお茶を飲んで過ごした部屋を。
 いずれ別の場所で、それを取り戻せるかもしれない。だがそれが果たせるのは、いつになるんだろう。

「作治さん」
「ん」
「今日の話、無かったことにして下さいと言ったら、どうされますか」
「さて、どうするかな」

 ホログラフを人差し指で退け、その指で食卓を軽く叩く。

「確かに今日の俺はオフだよ。この報告書だって貰えないんだろ?だったら、俺にできることは何もない」

 ぼくらに干渉することも、上司に報告することもしない。はっきり約束はしてくれていないが、精一杯の譲歩だろう。そっと胸を撫でおろした。あとは元木会長と牧野氏になんと言うか。

「けどさ」

 彼はかつんと机をもう一叩きし、朗らかに微笑んだ。

「もう一つの手を、検討するのが先かな。全てを無かったことにする、ていうのはどうよ」

 思わず春日居を見る。彼女は少しの間、刑事を眺めた。やがて、ふっと苦笑した。

「わかんないか?」
「ええ、仰る意味がよく……」
「言葉通りの意味だぜ」

 全て無かったことにする。
 それは今日の話を無かったことにするという意味じゃない。アメンテリジェンスマンションの問題そのものをということか。

 かのマンションの問題とは、管理システムそのもの。それを無かったことにするということは

「管理システムを、壊せと?」

 彼は笑顔のまま、両手を天井に差し出した。
 春日居はそれを指差しながら鼻で笑った。

 作治刑事はぼくの言葉を否定しない。肯定もぎりぎりしていない。

 彼は姿勢を戻すと、とってつけたような無表情をこちらに向けた。

「住民は建物を異常だとは思ってないんだろ?だったらそのとおりなんだろうなぁ」

 ジニアスの診断では、居住者の五感を冒す刺激はごく小さなもの。長期間に渡りそれに晒されてはじめて影響が出る。その刺激が突然無くなったからと言って、居住者の現在の体調が劇的に変化することはない。

 システムを止める。居住者の生活は変わらず続いていく。問題は解決しないかもしれないが、少なくとも警察が動かなければいけない問題は、それで無くなる。

 マンションに侵入し、管理システムを直接叩け。
 作治刑事は、そう言っているのだ。

【続く】

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