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近未来建築診断士 播磨 第4話 Part5-5


近未来建築診断士 播磨

第4話 無自覚な従僕たちのマンション
Part.5『観察と考察』 -5

【前話】

 天秤を描いた青いエンブレムが会釈するように揺れた。

『では播磨さん、私はこれで失礼を』
「ああ。支払いは…」

 モニタには玄関前に立つ春日居の顔が大写しになっている。表情が奇妙だった。以前、作治刑事と一緒に某所へ忍び込んだときのような、緊張感のある顔。彼女はあたりを見回しながら、早く入れろと口を動かした。

「悪い。少し待っててくれるか」
『ごゆっくりどうぞ』

 ジニアスのオフラインと同時に玄関ドアロックを解除すると、春日居がドバタとなだれ込んでくる。階段を駆け上がって来たように息が荒かった。

「通話中?」

 ぶつりと切り落とすように言う。その声音が妙に低い。

「いや。保留にした」
「そ。じゃあ聞かれてないね?」
「なにがあったんだ」

 答える代わりに春日居はコートの胸元をあけて中をまさぐると、首から下げていると思しき太いチェーンを取り出す。その先には小型メモリが吊るされていた。

「これ見て」

 言われるままにメモリを受け取り腕の端末にかざす。ARデスク上で通信認証すると、雑然としたメモリの中が表示された。

「それ。今日の日付の」

 彼女はこっちの肩をひっつかんでホログラフを指す。日付だけが記載されたテキストデータだ。言われるままに展開する。

 表示されたのは市販薬品のリストのように見えた。咳止め、頭痛薬、睡眠薬が2、3種類づつ列挙されている。だが表を流してみると、それら薬剤が血液中に何ミリグラムといった表示になっている。

「これは?」
「牧野さんの、汗の解析結果」
「は?!」

 腰を浮かしかけて春日居に抑え込まれる。こちらを見下ろす表情は固い。

「この前の作業のあと、服を預かったろ。その時あんたのと一緒に採取した。ちなみにあんたの汗は何もない。よかったね」
「なんでそんなこと」
「汗の臭い。あと牧野さんのテンション。前にも嗅いだことあったんで、ピンときてね」

 ARデスクに自分を認証させ、春日居が資料を並べ始める。どれもこれもタイトルは薬物と、それが人体に与える影響に関するものだ。一通りそれを並べると、彼女は腕組みして天井を仰いだ。

「ウチの検査が間違ってなければ、牧野さんはあの日、軽いトリップ状態になってたはずだ」

 高所作業に出た日の彼を思い出す。張り上げる声。やや上気して赤い顔。ほぼ一日中変わらなかった笑顔。作業を前にして緊張しているんだと思っていた。だが、このデータが正しければ彼は薬によって興奮状態にあったことになる。

「そんな、ありえない」
「そうかな」

 春日居は組んだ腕を解いて事務所のデータを呼び出すと、いくつか調査写真を選り出した。牧野氏宅を写した写真ばかりだ。彼女はそれを手際よく拡大していく。

 そこには小さく薄い紙袋や、いくつか穴の空いた薬剤包装紙。解像度が悪いが、目を凝らすとアメンテリジェンスマンションの刻印が施されているのがわかった。

「牧野さんに持病があるかはわからないけど、日常的にマンション薬局から薬を提供されてたみたい」
「それを彼が濫用していた?」
「違う。さらっと調べたけど、あの人はごく普通の会社員。様子がおかしかったのはあの日だけだった。日常的に薬を使ってるってことは無さそう」
「じゃあ、管理システムが薬局を通して、意図的に薬を処方したのか?」
「そう。薬局は建物管理システムが制御している。処方した薬を使い切るまで次の薬は出さないし、厚生省ともリンクがあるから違法な配合の薬も出すことはない。普通はね」

普通は。春日居はそう強調し、こちらを見下ろした。

「作業前日、牧野さんが望んで処方させたにしても量が多い。けど日常的に薬局に頼ってたら、まず出てきた薬を疑ったりしないよね」
「いつもどおり薬を飲んだ。でも薬効はいつも通りじゃなかった」
「そ。このデータは管理システムがおかしくなってることの証拠ってわけ」

 少しの間、春日居の顔を見つめる。圧しても来なければ引き下がりもしない強い沈黙。彼女はこのデータを自信と共に、急いで持ってきたのだ。

 管理システムが薬局を掌握したのか。だとすると、管理システムが設計当初よりも強力になっていることは間違いない。役所への定期報告をあざむくなんてAIクラスの判断能力がなければできない芸当だ。
 じゃあ誰がシステムを改造した?

 ふと、居住者達の顔が思い浮かんだ。
 薬物を投与されているのは牧野氏だけだろうか?
 あの偏執的な理事長は?彼に従うマンション住民は?

 脳裏に理事長の姿が浮かぶ。彼は自室の布団で寝ている。その彼を取り囲むエアコン、家電、インターホン、テーブルの上の薬。それが理事長だけでなくマンションの全住戸、全居住者が同じように―――

「どうしたの」
「ちょっと、思いついた。これ貰ってもいいか」
「アンタの仕事で手に入れたんだ。どうするかはセンセの判断一つ」
「ありがとう」

 銀行残高を確認する。芳しいとは言えないが余裕がないわけでもない。ジニアスにアクセスし、高レベルセキュリティを購入した。数キータッチ後、ジニアスの青い天秤が現れた。

『どうも播磨さん。機密案件のようですが』
「そうだ。これまでのやりとりも含めて、しばらく情報を隠しておきたい」
『かしこまりました』
「それと『網』の資料に、今日まで調べた全ての情報を追加する。
 さっきわかったんだけど、この建物の管理システムに問題があるらしい」

 ローカルエリアに保存していたアメンテリジェンスマンション全データをジニアスに開示する。『網』構築には仮のデータも多く使っていたが、これでジニアスは実際に近い条件で検討できるはずだ。

 一呼吸ほどの沈黙の後、ジニアスはうめき声をあげた。

『播磨さん、またも警告差し上げなければいけません。直ちに警察に通報することをお勧めします。
 まず写真内の居住者方ですが、画像解析によって判断する限り、薬物影響にある恐れが極めて高いのです』

 ジニアスが何人かを映していく。真っ先に映し出された理事長の顔に説明が付され、目や皮膚の状態を示し、薬物影響下にある兆候が見られると表示された。

「深刻なのか?」
『そこまではわかりかねます。解析では、居住者の方々と薬物依存患者に共通した症状が見て取れるということです。これ以上は医療機関の診断次第ですが、牧野さんからこういったデータが採取された以上、他の居住者の状態も至急確認すべきです。また、管理システムがこの事態を引き起こしている疑いが強いのが厄介な点です』
「明らかに違法改造だもんな」

 つぶやいた声はしわがれていた。水を求めて席を立つ。春日居の視線とジニアスのエンブレムが追いかけるようにこちらを向いていた。

「ジニアス。これからぼくの妄想を話したいんだけど、いいかな」
『もちろんです』

 浄水器からコップに水を注ぎ、呷る。その冷たさが背筋にまで廻った。

「マンションの管理システムは薬局を掌握して、居住者を薬漬けにしてる」
『極めて可能性が高いですね』
「そこに、コンセントからの電磁波、インターホンからの低周波、テレビやモニタのサブリミナル、ナノマシン汚染を加えた場合、居住者はどんな状態になるのかな」

 春日居がなにかに気づき、手元の端末を走らせようとした。慌てて駆け寄って腕をつかむ。

「機密通信中」
「ごめん」
「欲しいのはこれじゃない?」

 ARデスクを漁って書類棚を引き出す。空中にずらずらとファイルが並んでいき、その中から『健康被害』の項目を掴んで春日居に渡した。

「いろいろな設備が住宅に装備されるたびに、健康被害が出た。さっき言ったのも、昔ちょっとした事故が起きたものばかりだ」
『サブリミナルの件は事故ではなく、意図的な事件でした』
「ともかく、大小程度はあったけど、居住者の体調に悪影響が出たことがある。免疫機能が低下したとか、不眠症になったとか」
「マンションの設備はどれも問題なかったじゃんか」
「差し当たってはね。でも小さな劣化はある。それが全部重なったら?」

 ジニアスが問いかけに対し一瞬、沈黙した。おそらく計算したのだろう。ぼくの妄想を先回りして。

『―――貴方の妄想では、どのような結果になるのでしょうか?』
「人の考え方を変える。毎日のちょっとした行動に影響するような」
「ちょいちょい先生。つまり、あそこの住人はシステムに洗脳されて操られてるっての?!」

 頷いてみせると、春日居は小馬鹿にするように笑った。

「さすがにないでしょ!昔のことは知らないけど、ちょっと具合が悪くなるくらいじゃない?それがいくつか重なったくらいで」
「それが何年も、何十年も続くとしたら?」

 彼女の笑顔が固まる。それに向かって続けた。

「建物の居住性はシステムに全て管理されている。空調次第で快不快は操作が可能だと思う。薬局による睡眠薬処方も合わせれば、大体の居住者が毎朝すっきり目覚めることができるかもしれない。その逆もね。
 マンガとか映画だったけど、洗脳と刷り込みは反復で行われるって聞いたことがある。その反復を行う環境には、監禁が適当だとも。
 終の住処が、何も言わずに、毎日、あらゆる手段で居住者を冒しにかかっていたとしたら?それは監禁とそっくりの状態にならないかな?」

 一気に喋りきり、再び水を呷った。

『網』のことを彼女から聞いて以来、それはずっとぼくの頭に引っかかっていた妄想だった。

『貴方の妄想は、実際に起った過去数件の類似例が該当します』

 そしてジニアスはそれをあっさりと肯定した。

「このマンションはその例と一致する?」
『はい。軍事機密も含まれますので正確にはお伝えできませんが』
「人間への刺激が、ごく小さくても?」
『これだけの設備が、数年以上の長期間に渡って影響を発揮し続けた場合、心理状態は無視できない変化を受けるでしょう』
「ありがとう。十分だ」

 シンクに置いたカップが大きな音を立てた。そっと動かしたつもりの手が震えていた。

 いまだ可能性のレベルに過ぎない。それでも大きな可能性として、網の主である蜘蛛が姿を表した。アメンテリジェンスマンションの施設管理システムは人工知能のレベルまで強化され、その設備を駆使して居住者を洗脳している疑いがある。

 そしてもう一つ。蜘蛛を育てたのが誰だかわからない。だが誰でもいいのだ。あそこに住んでいる者ならば。『網』の中では誰もが蜘蛛であり得るし、誰もが餌食であり得るのだ。
 あるいはそこに、山田太郎が関わっているのだろうか。

 何にしても、報告書を出して終わり、というわけには行かなくなった。

 ■

【続く】

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