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キウイの悲哀

「すゥいませんンン。ちょっと、よォろしいですかァ」

 ある夜。顔面針だらけの男に声をかけられた。深緑色の全頭マスクに穴は無く、短い針がびっしりとうわっている。身にまとうこげ茶色のロングダッフルコートは何かで塗り固められたように硬そうで、足元は該当の光に照らされているのに、よく見えない。

 怪人だった。どこからどう見ても。

「よくないです。失礼します」

 そう口にしながら登ってきたばかりの坂を駆け下る。周囲の戸建住宅街はどこも光が落ちている。終電間近の深夜、出歩く人は一人もいない。

「そォお仰らずぅ。どうか。お願いしますヨ」

 こっちは走っているはずだ。さして早いわけではないが、大の大人が危険から逃れるために全力で駆けている。なのに、引き離せない。声は先ほど出会ったときと同じ距離感で語りかけてくる。

「じィつは、探し物をしィてぇ、いまして」

 後ろめがけて手提げかばんを放り投げ、さらに走る。助けを求めて叫びたくても走ることに必死で、獣のような唸り声しか出ない。

 月に枝がかかっている。
 地上から伸びる何かの枝が静かの海に突き刺さり、その下のウラン鉱脈を露出させる。青白い輝きが煌くのがはっきりと見えた。

「ごォ一緒にィ、ァ探してぇ頂けないも、の、か、と」

 おかしい。何かではない。世界がおかしい。月に延びる枝はじわじわと白い球面をわしづかんでいる。

 辺りの家々からガラスが割れる音が響きだした。

 行く手の2階建アパートのベランダから何かが溢れ、手摺ごしに垂れ下がる。街灯の明かりで見る限り、それはほうれん草のたばにしか見えなかった。

 古々しい瓦屋根の家を囲むブロック塀の隙間から、ぞわぞわと包丁草やぺんぺん草その他のイネ科雑草が群れを成して現れる。膨らんでいくその大群はやがて塀を押し上げ、家の屋根上に載せてしまった。

「どうか、お待ちを」

 後ろから声が聞こえる。木の幹が千切れていくような掠れ音で人の言葉を真似る、奇妙な声が。

(つづく/797字)

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