表現の仕方に関する個人的考察

さて、昨今TRPG界隈を中心に賑わっている「元ネタ明記しろ問題」と「元ネタあるのに金取るな問題」。これは私個人にとって非常に慎重に議論を重ねるべき問題であると感じたので自分なりの考察を重ねてみる。

前提として、「少なくとも著作権法においてアイデアそのものは権利の主張ができない」「可能であれば元ネタは明記した方がいい」「そもそも二次創作全部グレー」「昨今の同人界隈の頒布物ほんまに扱いに困る」あたりが私個人としての私見としてあることを留意いただきたい。

それからあくまでも私個人としての考えがこの文章の大多数を占め、特別参考文献などを用いたりはしないので、私個人の考えが根本的に間違っているということもあるかも知れない。そういった場合指定していただけると私の考察もより深まり、読者もより深い理解ができるためありがたい。

そもそも何がどう悪いのか

「元ネタを明記しない」「元ネタありきで有償頒布する」これらを悪とする風潮は現在非常に強い。が、これがなぜ悪いのか、何がどう悪いのかを説明できる人は一体どれほどいるのだろうか。と言うか正直言うと私はこれが説明できないから必死こいて考察する必要が出てきたのだ。

「自分個人の感情としてスッキリしない」と言うのが悪とする根拠なのであればそれは非常に理解しやすいし、私個人としてもその考えは大いに尊重していきたい。感情に関しては他者がとやかくいって変わるものでもないし、内心の自由は憲法に保障される権利であるし、なにより感情由来のものであると自覚がある分、対立したときに分かり合えないかも知れないから、互いに折り合いのつく距離を取るという選択を容易に選ぶことができるからだ。
さて、問題はここからである。「著作権侵害にあたるのではないか。」と言う意見があるとするのであれば、これは私個人としても非常に残念ながら基本的によほど悪質でない限り誤った認識であるとしか言えないのである。
著作権法はアイデアを保護はしてくれない。これは著作権法の穴というわけではなく、より多くの表現を保護するために非常に大切な項目である。
極端な話アイデアを保護してしまうと「海賊になった人物が仲間を増やして宝を探す」と言う作品が作れなくなる。これはまあ『ONE PIECE』の事なのだが、確かにONE PIECEはこれが全てでないにせよこのアイデアが含まれていないとは言えないだろう。

ONE PIECEがこのネタを著作権と主張することが可能になると言うのが著作権でアイデアを保護すると言うことになるのだ。
また、世に公表された著作物に対して「俺が先に考えてたのに!!」と言ったところで鼻で笑われるだけであるが、アイデアが著作物として認められるのであれば鼻で笑われた人物の方に権利があることになってしまう。そうなってしまえば言ったもん勝ちになってしまう。そもそも証明のしようがない。

推理小説のネタバレを法的に罰することができないのも、このアイデアが保護できないことに由来する。ネタバレを含んだ感想が仮にあったとしても、感想も保護されるべき表現であり、本文の中身を丸々抜き出したネタバレがあったとしても引用の範囲を逸脱しなければ法的には問題のないものになる。逆にこれを違法にするとなれば、明確な基準を設けなくてはならず、その基準の策定は非常に難しい内容になる。例えるならば水面に決して動くことのない線を引くような非現実的な話だ。
この基準の策定は穴を少しでも作ってしまえば、全く関係のない作品から全く関係のない作品に対してネタバレであるからを理由に訴えを起こすことすらできてしまうようになるのだ。
ここでネタバレは著作権法的に問題ないという話はしたが、だから好き放題ネタバレをして回っていいわけでは当然ない。悪意を持ってネタバレをするならば、相手から法的に問題のない範囲の嫌がらせを受ける羽目になっても、少なくとも私は同情できないからだ。あと、ネタバレは著作権法的には罰することはできないが、例えば発売前のゲームの内容や映画の内容をリークした人物は著作権法以外の法律を根拠に訴えを起こされて負けたこともある。

さて、とは言えこれは表現だと言って全くのコピーを作っていいわけもない。
著作権を考えるときに大切なワードは「創作性」と言うものである。作品の創作的な部分をコピーしてしまえば著作権侵害にあたると言うわけだ。が、この創作性という基準、非常に難しい。ONE PIECEを基に考えてみよう。
まず、「海賊漫画である」と言うところ。これは当然ながら創作的とは言えない。「仲間を集めて宝を探す話」、ここも創作的とは言えない。「特殊能力を持つ海賊が仲間を増やして宝を探す話」これも創作性があるとはまだ言えないだろう。
「食べると特殊能力を得ることができる木の実を食べた主人公が海賊になって仲間を増やしながら宝を探す話」と、ここまできてなんとなくの創造性が見えてくるようになってきたが、この文言自体はやはり著作権が及ばないし、おそらくこれらの設定を用いた作品を作っても作品の雰囲気によってはそれの創造性によって別の著作物として認められるだろう。

チキンレースをしたいわけではないが、私個人として少なくとも元ネタがある程度であれば少なくとも法的根拠を持ち出して悪とすることは困難であると考える。
こういう言い方をするのはあまり良くないとは思うが、こじつけようと思えばなんでもONE PIECEのパクリにできる。鋼の錬金術師だって「過去の事件でとあるリスクを負った代わりに力を得た主人公が故郷を飛び出して、その先で出会った人たちと敵対したり協力したりしながら自分の夢のために宝(賢者の石)を探す話」だからONE PIECEのパクリなんてこじつけができる。

詳しい人が見ればもう少しわかりやすい基準が提示できるのかもしれないが、私は専門家でもないのでどうしても砂山のパラドックスじみた曖昧なものにしか見えない上、著作権法に基づいて考えればむしろ悪とできる理由が見つけられないと結論付けざるを得ないようにすら見えるのだ。

そもそも創作ってなんやねん

一つ私個人が偏見に基づいて感じているものが一つある。
それは
「創作とは0から100を作るもの」
と勘違いしている人が存外多いのではないかという点である。

初めにはっきりと言ってしまうが、「0から100」は限りなく不可能に近い神の領域の所業である。億に一つの可能性でそれをやってのける人が現れたらちょっとキツイのであくまで不可能に近いで留めさせていただきたい。

私個人の創作論ということになるとは思うが、創作とは
「無数の100からいくつか貰ってきて足したり削ったりして自分の100を作る行為」
であると考えている。
そもそも自分という存在が0からどこからともなく湧いて出た存在でもない限り大なり小なり他者からの影響は受けているものである。
この文章が読めているのですら文字を教えてくれた人の影響であり、この文章を私が書けているのも然りだ。
そしてその教えてくれた人もさらに他の人に教えてもらったから我々に教えることができた。
基本的に人類の進歩は基礎として他者からの影響、もっと言うのであれば他者の模倣があり、その模倣したものと別の模倣したものを組み合わせて新たなものを生み出してきたのである。
創作もスタートは模倣である。これは意識無意識問わずだ。この人みたいな絵を描きたい、この話みたいな話を書きたい、そのような感情が創作のスタートラインのはずである。より突き詰めれば自分の内面を表現したいから創作を始める人がいるかもしれないが、そもそも内面の形成に何かしらの影響は絶対に受けているし、仮にその影響がないと断言できる人もより効果的に表現するために様々なものを取り入れているはずなのだ。より効果的に表現するために何かを取り入れることすらもしていないと断言できる人、なおかつそのような人の中で一定以上の評価を得ている人がいるならその人は先述の奥に一つの可能性に当たる。本心を言ってしまえばそんな人いないとは思うがいるのであればその人は疑いようのない天才なのであろう。
なにせ漫画の神様と呼ばれる手塚治虫ですらも様々な影響を受けて、自分の後輩にあたる人物に嫉妬するほどの野心家であったからだ。

とにかく創作をやっていくにあたって他の作品の影響を完全に排することはまず不可能である。元ネタありきの作品の全てが許容されるべきか否かはその対象作品を全て見たわけではないため簡単にそうするべきとは言えないが、逆に安易にそれらを否定してしまうのは創作の根幹の否定にもつながりかねないと感じるのである。

有償頒布の是非について

さて、ここまでとにかく元ネタのある作品そのものの是非に対して個人的見解を述べてきたが、ここからは有償頒布の是非について考察していこう。
まず手早く結論を述べるなら私個人の考えとしては
「グレー、やっちゃダメというほどではないのではないか」
という風になる。

黒寄りの考えから先に述べるとそもそも同人活動自体が黒寄りのグレーであるという点だ。この文章を書いているときに一番困ったのもこれになる。
というのもこの文章を書いている途中でいくら個人の見解を述べるだけにしてもテキトーばかりは言ってられないと軽く著作権法についてネットで検索をかけていたのだが、作品の設定を用いた二次創作を黒とする根拠が一向に見つからないのである。一応キャラクターのデザインなどには著作権が適応されるので、キャラクターのデザインが出る形で二次創作をすると違法になりうるとはあるのだが特に文字媒体での二次創作では違法となる根拠が見つけられなかった。これは詳しい人が補足してくれることを祈りながら「なんか一般的には二次創作は黒寄りのグレーらしいから」を理由に挙げさせてもらう。

次に白であると考える理由を述べていく。
先述の通りどうも黒とする根拠があまり見つけられないと言うのはあるのだが、これは私自身の調査不足の可能性も高いので理由とするのはやめておく。
では何を理由とするのかと言えば「大手出版社等が商業的にやっている」である。
人がやっていれば自分もやっていいと言うのはあまりいい考えでないことは理解しているが、大手企業が商業的にやっていて継続していけているとなると流石に話が変わってくる。
大手企業が違法行為を大手を振って継続しているとは考えにくいからだ。ちなみに具体例を挙げるのであれば集英社より出版されている『ワンパンマン』などがこれに当たる。
忘れられているかもしれないがワンパンマン、思いっきりアンパンマンのパロディである。だが、アニメ化や単行本化にあたって別にアンパンマンのパロディであるとの注釈は特別入っていなかったように記憶している。
海外の人は恐らくアンパンマンの存在を知らずにワンパンマンを見ている人も少なくない。
ワンパンマンの主人公サイタマはキャラクターデザインからアンパンマンのパロディであり、スキンヘッドなのはもちろん、コスチュームのカラーリングもアンパンマンの赤の部分を黄色に、黄色の部分を赤に、茶色を白にした形になっており、一話限りのキャラクターではあるがワクチンマンは明らかにばいきんまんを意識したデザインをしている。
これは完全にやっているわけである。
この作品は商業的にも展開しているわけである。こうなってくると有償頒布しちゃいけない理由もわからなくなってくるのだ。

じゃあ好き勝手やっていいの?

さて、ここまで列挙すれば「つまりは無法地帯!やりたい放題してやるぜ!!」という人を全肯定しているように見えるかもしれないがそれは違う。
ここまで書いたのはあくまで法律を根拠にした話である。この世には法律的にはセーフだけど世間的には受け入れられない事象も沢山ある。せっかくいいものであっても、その受け入れられない要素を入れたことによって悪になってしまってはもったいない。
というわけで、ここからは私見を多分に含んだ、作り手側がどうすればいいかを考えていこう。

結論から述べるのであれば、「書けるなら元ネタを書け。どこでもいいから書け。それから可能なら有償頒布を避けろ。有償頒布したいならなんか上手にやれ。」と言うものになる。
まず元ネタがあるならとりあえず書いておくべきだ。今回この文章を書くにあたって調べた結果、恐らくその元ネタを書かなかったことにより法的に罰せられることはないであろうことがわかった。他方書いていてくれた方が後で元ネタを調べる楽しみが増える等の意見もいくつか見られた。
作品名を挙げる行為自体は元ネタの有無関係なくもちろん問題ない。元ネタを示そうが示さなかろうが特に問題がないのであれば、示しておいた方が余計なトラブルを被らずに済む。とにかく元ネタがあるなら提示しておくに越したことはないのだ。
書く場所はどこでも良い。TRPGシナリオの場合、シナリオ本編が始まる前のキャプションであったり購入前に読める商品説明の部分がいいだろう。ただ、作品のネタバレになりかねないからそこに書きたくないと言うのであればあとがきに書くとかでもいいだろう。別に作品名をぼかす必要もない。「最初は元ネタにしてたけど遠く離れたなぁ。これでも書いた方がいいのだろうか。」とか「寄せたつもりはないけど似てるって言われたら怖いなぁ」とかを思うのであればとりあえず書いておこう。
はっきり言ってしまえば作り手が影響を受けたもの全てを列挙することなど不可能だ。そのため、思いつくもの全てが書けたとしても抜けを突かれる可能性は消えない。
そうでなくても全く知らない作品の展開と偶然似ることだってある。
だが、ハナから書くつもりが無さそうよりは書こうとした痕跡があった方が心象もいいだろう。

そして有償頒布についてだが、これは本当に難しい。この文章を書くために調べたことを踏まえて考えると余計に難しい。が、可能なら無償にするなり、有償にするにしてもやり方を考えるなりした方がトラブルは減るだろう。
そもそもよく言われる同人誌を有償頒布していい理由として、「印刷費やイベント参加費、交通費を回収するための所謂非商用目的であればお目こぼしがもらえる」と言うものなのだが、昨今印刷費も交通費も別段かからないデータ頒布が増えてきている以上これが通用しないのである。「えっ、じゃあ有償頒布全部ダメやん」となるかもしれないが、作品によっては二次創作ガイドライン等によって「これさえ守っていれば有償頒布してもいいよ。」と言うのが定められている場合がある。(TRPGだとSPLLがこれに当たる)
元ネタにそのガイドラインが存在するのであればそれをよく読んで、それに則る形であれば自由に有償頒布しても問題ないだろう。もちろん二次創作ガイドラインで有償頒布を禁止している場合もあるだろう。
問題は二次創作ガイドラインが無いものである。ないものは有償頒布してはいけないかと言うとそうでもないことも多い。と言うのも公式側で基準を設けて揚げ足を取られると厄介な場合もあり、敢えてそのようなガイドラインを設けず、目に余るものに止めるように勧告を出したり、見て見ぬふりをしているものも多いからである。そう言った場合公式側に回答を求めると「揚げ足を取ったようなことをされるくらいなら一律禁止」という回答を出さざるを得ず、公式にとってもプラスになる二次創作も禁止せざるを得なくなる場合もある。もちろん、ガイドラインを出してはいないが、有償頒布に難色を示す公式もあるだろう。しかし、書かれていない以上頒布する側で判断するほかない。

トラブルを避けたいのであれば無償頒布が無難。ただし、有償頒布自体を完全に悪と断ずることはほぼ不可能であり、有償頒布をすると言うのであれば公式からやめろと言われたときにすぐに手を引ける心構えでいるべきであろう。

正直なところを言ってしまえば自分の時間、血肉をかけて作った作品が少しでもお金に変わるのであれば変わってくれた方が嬉しいと言う気持ちはよくわかる。
しかし、嫌儲思想を持つ人から鼻つまみにされるリスクは完全オリジナルであったとしてもある。
ならば、これは有償無償問わずに言えることではあるが、公式に迷惑をかけないように、また、公式に怒られたならすぐに謝れる心構えをして創作活動を続けていくほかないのだ。
公式に迷惑をかけてしまえば、そのジャンルを用いた二次創作そのものが禁止にされることもある。とは言え明文化されていないのであればどこまでがセーフラインかを見極めるのも難しい。であれば自己判断でセーフラインを見極め、その見極めを誤った時は、すぐに謝罪して反省できるようにするのがとても大切なのである。

基本的に著作権は著作者に帰属するものであり、著作権法に基づいて訴えを起こせるのも著作者だけである。
著作者以外が「それってよくないよね」と言ってきた場合、必ずしもその声に応える必要はない。所謂ノイジーマイノリティの可能性もある。著作者から「止めろ」と言われた場合、それは素直に聞くべきだが、それ以外から言われた場合は必ずしも従う必要があるとは限らない。これもよく見極める必要があるのだ。

すごい個人的な思想の入った話になるが、ノイジーマイノリティ、たった1人のわがままのせいで本当に素晴らしいものがこの世から消えてしまうのは本当に耐え難い。もちろんそこからトラブルにつながる可能性を考慮して作品を取り下げる行為を糾弾するつもりはないが、「みんながそうしているから」と言う気持ちだけで、作品を取り下げようとしているのであれば、もう少し考えてほしい。これは私個人のわがままである。

相手の文言全てを無視していいわけでもないし、全てを鵜呑みにするわけにもいかない。世に作品を出す以上批評を受けるのは避けられない。三流以下の作家として、私もその批評を受ける日に怯えながら作品を作っている。その批評一つ一つ全てを一緒くたには決してできない。どうか、作り手の人がこれを読んでいるのであれば、批評に心を砕かれ筆を折らないことを祈る。

受け手に向けて

さて、どうしても少なからずの創作活動をする人間であるので、どうしても作り手の肩を持ちたくなってしまう性分なのだが、だからといって、受け手、読み手の考えを改めるよう説教をしたいわけでもない。
いや、少し説教じみたことをしたいとも思っているし、実際するとは思うが、個人的創作論として、創作物というものは極力受け手に受け取る努力を強いるべきではないという考えを持っているので、少し愚痴に近いぼやきだけ聞いてもらって、そこからどうするかは受け手であるあなた方に任せたい。

あなたが感想を述べる時、あなたのその発言の基準がどこにあるかだけはしっかりと意識してほしいと言うことを私は伝えたい。
別にここまで全部を丁寧に読んでそれでも「元ネタがあるなら明記すべきだし、有償頒布はすべきではない。これができていない作品は嫌いだ。」と思うのも自由なのである。

だが、その嫌いというのは感情的に嫌いなのか、根拠に基づいた嫌いなのか、なんかよくわからんけど嫌いなのか、これは少なくとも自分の中だけでもいいので極力間違えることなくはっきりとさせてほしい。
感情的に嫌いな場合、それはあなたに合わなかったという話だし、根拠に基づいたものであればそれを伝えることで作品はより良いものになるかもしれないし、なんかよくわからないけど嫌いならいつの日にかなんかよくわからないけど好きになることもあるかもしれない。

これが一緒くたになるのは個人的に非常にまずいと感じている。この意見は比較的感情寄りだが、感情任せの嫌いを根拠っぽい何かでそれっぽく取り繕ってその人の作品を取り下げさせるだとか、その作家の筆を折らせるだとかと言うことが起こってしまうのは、表現規制のそれと同じなのだ。
それが感情によって起こってしまうと歯止めが効かなくなる。
理由があって、その理由に筋が通っているのであれば、ゾーニングはなされるべきかもしれない。例えばR-18というレーティングをもとに18歳以下の試聴や購入を制限するのもある意味で表現の規制になるが、これは、例えば性的表現があるのであれば、未成年の不用意な性交渉を回避するためであるし、グロテスクな表現であるならば未成年の精神にダメージを与える可能性があるからと言う理屈がある。
だが、私が嫌いだからだとかそのような感情でそれらが罷り通ってしまうとこの世からありとあらゆる表現が消え失せてしまう。
当然、表現とはより多くの人に見てもらうためにあるのが基本であるため、他者を不快にする表現は極力配慮するべきであるのはわかる。
だが、狭く深く刺す作品である場合単純にあなたが顧客じゃなかった可能性もある。配慮する努力はするべきだが、全てに配慮ができるかと言えばそうではない。軽く書いただけのつもりの表現がうっかりホラーが苦手な人にとってダメな場合だってある。

作者は受け取る人間の全てを管理することは当然できない。正直R-18の作品をバレないようにこっそり買うような未成年だっているのだからこれは間違いない。
当然あなたにとって不快な表現だってこの世にはたくさんある。だが、それはあなたの感想であっても同じなのだ。
感想だって歴とした表現である。
不快に思った、文句の一つでも言いたいから言った、それ以降見るか見ないかは自由、ただ、作品を取り下げさせる権利はないのである。あなたが感想を言う自由があるのと同じように、作り手だって作りたいものを作る自由がある。
作品を取り下げさせたり嫌がらせをするならそれ相応の客観的に見て正しい理由が必要だ。(嫌がらせに関しては客観的に見て正しい理由なんてないとは思うが)
正しい理由なしに取り下げなどを求めるならそれは表現の自由の侵害と言えるのではないだろうか。
特に今回の話題に関してはどうにも炎上させている側(この場合作品を受け取った側)の言い分の法的説得力は薄いように感じる。

まとめ

・元ネタがある作品に対して元ネタの明記を義務化させる、または有償頒布を禁止する法的根拠は基本的にない。(筆者がうまく見つけられていない可能性もある)
・それを踏まえたうえで、元ネタを明記したところで基本的にデメリットはないので可能であれば明記したほうが無難。
・有償頒布に関しては何を元ネタにするかや、そもそも元ネタの有無関係なしにある程度慎重であるほうがいい。
・読者側も過剰に反応しすぎて炎上を起こすのは個人的にはあまりいいとは思えない。

あとがき

予想以上に長くなったのであとがきもつけてみた。ここから先はこれまで以上に個人的な話がマシマシになる。

私は「元ネタありの作品」云々の問題に対して、その問題よりもその周りを取り巻く環境にどうにもモヤモヤした感情を抱いたので、私のこの感情は正しいのか否かが気になったので、気持ちの整理がてら文章を書いてみることにした。
なんというかもう10年近く前になるのだろうか。似たような問題を見ていたのでモヤモヤしたと言うのもあるのだろう。
似たような問題というのが「パーカー着てるキャラ全部カゲプロのパクリ問題」というやつだ。
あの問題が出た頃がちょうど創作とかやってみたいなぁと思い始めた時期であり、あの問題が出たせいで創作に手を出すのを少し躊躇したのだ。
あの問題は今回の問題に比べて周りから冷笑的な視線を向けられていたし、問題自体も幼稚で分かりやすいものであったのもあって、ややこしさはなかったが、今回の問題は著作権法周りを理解していないと素で勘違いを起こしそう、というか私もいまだに勘違いしていないか不安になる程度には複雑なのである。
過去の例の問題のほうは、比較的結論がわかりやすかったのと、私が図太かったからなんだかんだで、今は創作に片足程度を突っ込めているが、今回の問題は現状のまま放置すると、新規の創作をする人を委縮させることにつながるのではないかと危惧しているのである。

実際過去の問題が起こった時に私がそうなったのだから、私に感性が近い人はそうなるだろう。
炎上じみた騒動の渦中の人になるくらいならば、作ったものは出さないでおこうという人が増えるのは私は悲しい。
それは私の琴線に触れる作品が世に出る可能性も減ってしまうからである。はなっから発表するつもりのない人もいるのに、発表するつもりだったけど万に一つでも炎上するのが怖いから念のため発表を取りやめようという人が増えていくのは非常につらい。

感想も表現である以上は自由だが、表現であるからこそ上手に感想を言えるようになってほしい。自戒も込めて締めの言葉とさせていただく。

追記

投稿してまだ30分も経っていないが「これ書いとかないと誤解を生むかもなぁ」と不安になりこれを書いている。
noteを使うのは初めてであり、ものすごく不安なのだ。許してほしい

書いておかないとなぁと感じたものというのは、「二次創作は自由に好き勝手やってもいいじゃん」と主張したい文章ではないということだ。
当然二次創作というのは公式ありきであり、それらの権利を侵す行為は絶対にしてはならない。
一方で二次創作の盛り上がりを恩恵とする作品もあるためガイドラインが云々などの話があるがその話は本筋からそれるので今回はおいておく。

私がこの文章で書きたいことの真意は、「何か他人の作品に似てしまったとしても、作品を発表して問題はない」ということである。
基本的に強く影響を受けてしまったであるとか、書いてるうちに似てきてしまっただとか、そういったことがあったとしても、コピーをしたわけでないのであればどこかしらであなた自身の独自性というものは必ず出てくる。
であれば、臆せずにぜひともあなたの作ったものを見せてほしいのである。
もしかしたらそれがきっかけで天職が見つかるかもしれないし、それが世界的ヒットを生むかもしれない。
逆にパクリだとなじられることや、パクリ云々抜きに普通に面白くないと酷評されるかもしれない。
どちらにせよそれはあなたの糧になるはずだ。
当然酷評を受けるのが怖い、炎上が怖いというのは自然な考えだ。
だが、正直正解を完全に理解して創作活動をしている人はほとんどいないのではないだろうか。
であれば、だれだってミスをする可能性はあるわけだ。
ミス自体は悪いことではないのだ。ミスをしてそれを反省できないのが問題なのだ。
今臆病になってしまっているあなたたちであればきっと反省もできるはずであるし、そもそもミスをしないように慎重になれるはずだ。
であればあなたは必ずいい創作者になれるに違いない。

さて、私もこの文章を書いているが、もしかしたら明日の朝にはこの文章の内容に誤りが多かったり、炎上したりして、表現方法のミスが発覚するかもしれない。
このぐらいなら多分大丈夫だろうと結構好き勝手に具体例を出して話してしまった。
その時はちゃんと謝罪と反省をできるようにしなくてはこの文章を書いた人間として示しがつかない。
そのような情けないことを私がしているのを見かけたならどうか遠慮なく私のことを𠮟責してほしい。
それがこの文章を書いた人間としての責任だろう。

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