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「私のトナカイちゃん」 単なるストーカードラマじゃなかった!鑑賞注意な作品だけど日本が今こそ受け止めるべき重要作品かも

先日このドラマを観ました。

「私のトナカイちゃん」

あらすじ等はこちら

この作品はイギリスで制作されたNetflixのオリジナルドラマです。今年の4月(かな?)配信が始まってから、ちょこちょこと話題になっているのを見かけていました。

私はこのポスターのビジュアルぐらいしか知らなくて、知っている役者さんが出ているのでもないのですが、時間が経つごとにどんどん海外でも話題が大きくなっていっているようだったので気になってきて。
全7話で1話30分くらいだったのでサクっと観れる作品に弱くて(笑)「観てみようかな」」と。

そうしたら、このドラマ、事前に予想していた内容とだいぶ違いました。いや、違わないんですけど、思っていたよりも何倍も重く、大きく、そして重要なことを描いているな、と。
そうして、今現在現実で起きていることも含めていろいろと考えさせられるドラマなので、優先度を上げて自分なりに感想を書いてみたいと思います。

※ここから先は思いっきりネタバレしてますので、結末を知りたくない方はご注意ください。

※この作品にはストーカーの描写があります。鑑賞にはご注意ください。

※この作品には性暴力の描写があります。鑑賞にはご注意ください。

(観終わった日は眠れなくなりました)


まず、この作品の鑑賞にあたっては、上に注意も入れておりますが、本当にくれぐれもお気をつけください。
私は

いや~、かなり引きずったこれは。


本当はこの注意喚起、この作品のネタバレというよりカラクリ明かしみたいになってしまうので、してはいけないのかもしれないのですが。

でも私個人の感覚では「やっぱり事前に注意が必要なレベルだ」と思いましたので、敢えて書いています。怒られたら消すかもしれないですけど。

でも、この注意こそが必要なんです。このドラマの肝の肝なんです。

私は本当に事前情報をほとんど入れずに、「なんか話題になってて、このビジュアル見かけるな~」ぐらいで観ちゃったんですけど、本当に後悔しています。心の準備をしておくべきでした、この作品は。
なので、「他の方に同じ思いをしてほしくないな」というのもあり。
鑑賞には本当に気を付けてください。

このドラマは

冒頭は主人公のドニーが警察にある女性から受けているストーカー行為を説明するシーンから始まります。
序盤はポスターのビジュアルが表すように、コメディアンを目指すドニーが、バイトしているバーに入ってきたみすぼらしく悲しそうな中年女性マーサに、憐みの心から一杯紅茶をおごってあげるところから、マーサからの怒涛のストーカー行為にだんだん日常が侵されていくという話がメインになります。

劇中何度も挟まれる実際のメールがめっちゃ怖い、、、。

マーサのおかげで、出会い系アプリで知り合ったトランス女性のテリーともいい感じなのに、ドニーはなかなか集中できない感じで。

で、やっぱり普通に数話は「ストーカーがメインのドラマ」として観てたんですけど、

「半年ほど受けていたストーカー行為をなぜそのままにして、今通報に来たのか」という素朴な警察の疑問から始まるのが第4話なのですが、

このドラマの肝はここからだった

ここからドニーの20代の回想シーンになるのですが、彼は地元からロンドン上京後にお笑い修行のような気持ちでエジンバラへ。そこで、小さなバーでスペースをもらってショーを開くのですが上手くいかず。たまたま流れで入った会員制のバーでこの男性と知り合いに。

彼は有名なコメディショーの50代の脚本家で、ドニーを気に入ってくれた様子でショーも観に来てくれて、アドバイスもしてくれます。そのおかげでだんだんとショーもウケがよくなるように。ドニーにとって、彼の存在が飛躍のきっかけになるのでは?という思いがドニーに生まれます。

ロンドンに帰った後に彼と連絡を取り、「一緒に脚本を書こう」という彼の誘いを受けて、呼び出されると彼の自宅に通うようになります。
そこで彼に勧められるまま大量のドラッグを摂取させられて、ハイになっている間に性暴力を何度も受けるようになるんです。

最初から「やめろ」としっかりと拒絶をしているドニーですが、その様子から「焦らずゆっくりいこう」という男。
つまり、最初からドニーを陥れていくグルーミングの手口を算段し、徐々にドラッグの効力を強めて手なずけていくところあたり、そしてハイになる強度が強くなり(最終的にはLSDまで使われてレイプされる)、そこからの描写もかなりギリギリまで描いていきます。
レイプシーンこそ直接的ではないですが、その前後の状態はかなりそのままに出てきます。

ここのところ、性暴力を扱った作品でも直接的な描写は省いたり、視聴者にそこまで刺激を与えないように描くことが多い傾向があると思うのですが、この作品は「結構描き方がエグいな」と思いました。それには理由があるので、必要な描写だとはもちろん思うのですが。

その体験を受けて、ドニーの精神的な傷と心理的な混乱が非常に深くなり、当時付き合っていた彼女とも別れることに。自身の性指向が分からなくなって、起きてしまった出来事を受け止めることも当然できず、性別構わず複数人と性行為をしてしまう様子や、「もう一度レイプされればこの混乱が収まるかも」とかなり危険な性行為に及ぶ姿は痛々しく、ますます彼自身を傷つけることとなって「地獄だった」とドニーは語ります。

この4話からの彼の精神的なトラウマとそれを解消できずにあがく行為の描写がとても観てられないくらい赤裸々で、私はかなりショックを受けました。
性暴力を受けた人の内面とその後の行為についてここまで細かく描いた作品って「なかなかなかったのではないか」と思います。その孤独と混乱ぶりがとても伝わります。

結局性行為では混乱を収められないことに気づいたドニーは、今度は様々な出会い系アプリで自分を偽り登録し、様々な人と出会いを探していきます。でも、その場に行くたびに逃げ出してしまうという最低な行為を繰り返す始末。
そんな中、唯一逃げ出さずにいられたテリーと出会い、彼女との仲を深めていきたいのに、自身が受けたレイプのトラウマとマーサからのストーカー行為でぐちゃぐちゃなドニーにはどうしようもできません。

元カノの実家に居候を続けるような状態だったドニーですが、「なんで元カノの実家に?」と思っていたのですが、元カノのお母さんも息子を亡くした傷を抱えていて、ドニーに起きたことなどもちろん知りませんがその孤独が共鳴するようなところがあったのかな、と。ドニー自身も出ていくような感じもなく。一人になれなかったドニーをどこかで分かっていたのかもしれないですね。

マーサがその家にまで侵入してくることになり、一時的に実家に帰ってきていた元カノにも危害が及び、隠していたことがバレてついに家を追い出されるドニー。テリーの家で過ごすものの、そのトラウマのせいで彼女とセックスが出来ず自己嫌悪に。
その嫌悪からなんとストーカーのマーサを思い浮かべて興奮することでセックスができるようになるという、心理的な歪み方が尋常でなく。このあたりも本当に生々しいです。

警察に通報後に、ヤバいストーカー前科があるマーサの対応に警察が動いてくれて、マーサもそれを受けいれたということに拍子抜けするドニー。まるで少し寂しさすら感じる様子。共に依存している事がはっきりと分かるんですよね。

もはや生きているだけでせいいっぱいのドニーが恋愛をまともにできるはずもなく、自己嫌悪からマーサを受けて入れて彼自身も依存していることにうすうす気づいたテリーはドニーに別れを告げます。そしてそれと並行するようにマーサの迷惑行為は最悪にもドニーの両親にまで及んでいきます。。。

4話のこととその後の描写をかなり細かくここに書いてみたのには理由があります。この作品はドニーを演じるリチャード・ガッドの実体験のドラマだということ。もともとは

この体験を元にした彼の一人舞台が好評で演劇の賞なども受賞。そこからNetflixがドラマ化したということで、驚愕なのは

このリチャード・ガッドが制作、脚本、そして主演を務めています。彼が自分の体験を脚本にして、自分で演じているんです。

「実体験ドラマ」とは知ってて観始めたのですが、4話の性暴力についての事は全く知らずに観てしまったので、画面上の出来事に驚いてしまったものの、その後に描かれていることはかなり重要だと思いました。

性暴力を受けてしまった人の混乱と傷の深さを表面的ではなく、かなり細かい行動と描写をもって鮮明に描かれて行きます。本人の実体験なので、詳細度がハンパないんです。
ドニーの場合は元来持っている気質もあるのか、幸いにも他人を傷つける行為は控えめではあるものの、その心の傷がもっとひどく捻じれたりしまうと、他害にまでつながってしまうのではないかと思わせれるくらい苦しい描写でした。

状況がどうしようもなく悪くなる一方な中で、バーに来たマーサに我慢できず挑発してしまったがために、ついにマーサに暴力を振るわれるドニー。その日は大切なコメディショーの決勝戦の舞台がある日なのに顔は傷だらけ。バーの仕事仲間からも自分たちの保身のために通報できないと言われ、どん底によるどん底で自暴自棄になったドニーは舞台の上で笑いをとれるはずもなく、自分の体験と思いを語り始めます。

そこでの独白で「誰かを愛することよりも自分を憎むことを選んでしまう」と涙ながらに語るドニーが辛くてたまらず、マーサの底が抜けたようなストーカーの闇と同じくらいにドニーも心の闇を抱えていたことが観客に明かされて、観ている方は呆然とするばかりでした。

ところが、その様子を観客が動画に収め、YouTubeにアップするとそれが人気となり、仕事が好転するという事態に。マーサも逮捕されて順調にいくかに見えて、、、。

ラストはイギリスのドラマらしく現実と皮肉が混じった感じで、個人的には「もう少し救いが欲しかったな」と思うのですが、そこは好みなので。

このドラマを観た時に真っ先に近いなと思ったのが、こちらもイギリスの人気ドラマ「フリーバッグ」。このドラマも才女であるフィービー・ウォーラー・ブリッジが原作・脚本・主演までを務めた一人舞台が元のドラマ。その大成功もあって、この「私のトナカイちゃん」も制作されたんだと思いますが、「フリーバッグ」の内容も私には結構ヘビーで、面白かったけど「もう一回全部観返したいか」っていうと「無理かな」と思いました。この「私のトナカイちゃん」も鑑賞後に受ける「くらったな~」感が似てました。

個人的に最大の救いだったのが、

ドニーの両親がとても良い人たちで、ストーカーにも負けずにドニーを責めることもせず、ドニーが自身はバイセクシャルで男性にレイプされたというカミングアウトをした時も真っ先に受け入れるシーンがあって、唯一の救いでした。
そこでドニーが「レイプされた自分は男らしくない」と言うと、お父さんが「カトリック教会で育った私は男らしくないか?」と聞くんです。そこで「あ!」と思うんですけど、カトリックといえば。。。つまりお父さんも性被害を受けていたんですね。

ドニーが受けた性暴力について、混乱と心の傷からどうしようもなく誰彼問わずセックスする描写は、映画「わたしに会うまでの1600キロ」を思い出しました。傷ついた事を忘れるための自傷行為なんですよね。この映画の脚本はニック・ホーンビィで、私は彼の脚本の映画が大大大好きなんです。「この映画も実在の女性の話だったな~」と。

この作品を観て、どうしても私の頭にチラついたのが、昨年から日本で大きな話題となったジャニーズの性加害の問題。ドニーは成人してからの被害ですが、それでもここまで酷い混乱と傷をもたらす事が克明に描かれているこの作品は、「今こそ日本で受け止められるべき作品なのかな」と思いました。
子供時代にレイプをはじめとする性暴力で受けたその傷が人生にどんな影響をもたらすのか。その苦しみは想像を絶します。しかもこの問題の場合は日本中がグルーミングされていたようなものなので、本当に本当に重い問題ですよね。改めてその事を思わされました。

性被害にあった人って「なぜ逃げなかったんだ」とか「なぜ脚本家の彼の家に通ったんだ」とか言われやすいと思うのですが、混乱させられて洗脳させられて、自分で自分をコントロールできなくさせられるところがグルーミングと性暴力の恐ろしさですね。

ドニーを演じたリチャード・ガッドは大熱演。もともと一人舞台もしていたとはいえ、映像となるとより鮮明に自分の体験を再現するわけですから、もうなんていうか凄いっていうか底が抜けていて、舞台化も凄いけど、「これよく映像化できたな」と思いました。本人、このドラマで自分を演じるにあたり、28kg減量したそうです。顔が尋常じゃない。
でも、こうやって被害を受けた人間の傷や闇を描くことは決して無駄ではないし、映像の持つ力やエンターテインメント作品になることの効果も思うと、それは良かったことなのではないかと思います。

その性暴力のエピソードが強烈すぎるのと、ドラマの最初から怖いんだけど、どこか可愛らしい感じのするマーサを演じたジェシカ・ガンニングもとっても良かったのですが、途中からちょっとごめん、マーサの事まであんまり頭が回らなかったです(笑)。

ドニーと恋愛関係になるテリーを演じたナヴァ・マウは素敵な演技でした。自然体で演じていたと思います。

そして、この男性を演じたトム・グッドマン=ヒル。いやだったと思うな~、この役。生理的な嫌悪感まで感じさせる表現をちゃんとしていて、見事でした。

先ほど「フリーバッグ」について触れましたが、この作品もかなり心の痛みを描いた作品だと思うのですが、この「私のトナカイちゃん」もまた相当な痛みを描いていて、

英国のドラマはほんと容赦ないな

と。面白いし上手いんだけど、気を抜くと心を抉られますね。でも観て良かったと思います。

そして、今現在、このマーサのモデルとなった女性が本当にイギリスの情報番組に出演しちゃって、訴訟だなんだのみたいな騒動になってしまっているあたりは、もうほんと地獄ですね。でも、おそらくNetflixはそこまである程度予測して制作したと思うので、それもまたね、いろいろと考えさせられますね。。。

4話からラストに至るまでには何度も「性暴力を受けたり、ストーカーに悩んでいる人は安心できるところに相談してください」とメッセージが流れます。ここまで生々しく、でもしっかりと作品にした意味をちゃんと受け取っていたいですね。誰か一人でも、この作品がきっかけで誰かに相談できたり、「傷を放置せずに助けを求められたら」と思います。
どうしても話づらかったり、自分を責めてしまいがちな事なので。

気になった方はぜひ観てみてください♪
※鑑賞にはほんと気をつけてください※

おまけ

良い作品には良い音楽が。この作品で使われるHarry Nilssonの「One」には映画「マグノリア」を思い出しました。あちらはエイミー・マンのバージョンでしたね。
「私のトナカイちゃん」は他にもいい曲がたくさん使われています。

おまけ2

どうすんだこれ。。。



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