見出し画像

エッセイ: ニンゲンギライ

2022年初夏、未だ運転免許も持っていない私が生まれて初めて車を買った。勿論当面は夫が運転する予定の新車購入だが、HONDAの販売会場に着くや否やお目当ての新車がドド~ン!と展示されており、乗ってみるとほぼ一目惚れだった。

進んでいるのに静かな車内。風を滑り落ちて行く人の声に混じる、ホワイトノイズまでが鮮明だ。
こんな車をずっと探していた。うるさくない車。走行しているのに、まるで佇んでいるみたいに人を錯覚させてくれる車。

この感覚‥、どこかで以前に一度味わったことがある!
それが何でいつ、どこで味わった感覚なのか暫く思い出せずに居たのだが、今日。新車を購入してから約一週間後のある平日の午後、その「記憶」が線香花火のように脳裏にパっ!と散って輝いた。
その瞬間私は酷い目まいに襲われており、歯を磨きたくて寝室から出ようとする度に足を取られ、それでもこなさなきゃならない用事があったから何とかして家を出た。

相方と一緒に街を歩く時、私はいつも「無」であり無防備になれた。そんな私を天の世界から見下ろしている神々にはことある毎に、「お前には運転など無理だ。やめとけ。」と言われる。
ようやく50代半ばで教習所に行こうとしている私の足を、彼等は悠然と引っ張り続けているのだ。

だが私は運転がやりたいのではなく、実はそんな彼等・神々の棲む場所に行く為の足が欲しかった。
森や風のそよぎと一体になる為の、唯一の場所へ行く為の道具。それが私にとっての車だ。

私は大の「ニンゲンギライ」である。
そう言えば今でこそ音信不通になったかつての仕事仲間の女性歌手の中に、「私、人が嫌いなのよ。」といっつもつぶやく人が居た。その女性は常に大勢の人に囲まれる環境を選んで生きている人だったが、それでも何かと私に「人が嫌いなのよ。つまり正真正銘の人間嫌いってことね。」などと口癖のように話していた。
だが彼女が自ら孤独な場所に移動した光景を、結局一度も見たことはなかった。

一方私は彼女の仕事仲間としてライブハウスで歌の伴奏をしていた時にも、休憩時間になると決まって小さな楽屋に逃げ込んで海老蔵みたいな大っきな目でガラケーの小さな画面を一心不乱に睨みつけながら、あてどもなく文字を打ち込むことに夢中になった。
本物のニンゲンギライが一体どっち側なのかは、誰が見ても一目瞭然だっただろう。勿論それは「私」の方に決まっていた。

真のニンゲンギライは意外に、人に対して過剰なまでに、まるで小動物にするように優しく接するものだ。
言葉遣いも物腰もやわらかく、自分でも信じられない程気遣いたっぷりで社交的に振る舞うから、そういう私を見てまさか私が「大の人間嫌いだ」なんて言っても誰も信用しない。

私の人間嫌いの一番の理由は、人間が大の嘘吐きだからである。
殆どの人が思っていないことを本心のように語り尽くし、本音では目の前の相手を酷く憎んでいたり、早く消え失せろ‥ などと声にならない声で思いっきり叫んでいたりする。
私にはその両方が、同時に聴こえる。だから人と居ると物凄く疲れてしまうのだ。

‥進んでいるのに静かな車内。風を滑り落ちるように、人の声に混じるホワイトノイズまでが鮮明だ。
こんな車をずっと探していた。うるさくない車。走行しているのに、まるで佇んでいるように人を錯覚させてくれる車。この感覚‥、どこかで以前に一度味わったことがある!

‥と、上のように書いた冒頭の文字が途中でかすれて飛んでってしまったが、今ようやく気付いて文字のある元の場所に戻って来れた(笑)。

そう、どこかで以前に一度味わったことがある!‥ この感触、この記憶は、2008年の3月某日に初めて夫と都内の喫茶店で会話をした時の数時間。
あの時の私は完全に「無」であり「無欲」であり(‥と言うより抜け殻だった)、夫を人間とも男とも思わずに待ち合わせ場所に向かった。

その数時間前まで私は急な体調不良に見舞われ、電車の中でもしかしたら急に嘔吐するかもしれない程の激しい頭痛と目まいと胃痛に襲われていた。それでもどうしても結婚前の相方の、どこか透明な水晶玉みたいなその人に会いたい一心で家を出た。

電車に揺られる度に若干の胃のムカつきもあったが、待ち合わせ場所に到着した時にはそれまで曇っていた空から完全に雲が切れて、青々とした(所々薄い雲の切れ端はあったものの)空と三月の太陽が辺りを静かに照らしていた。

「アナタワツミビトデス。」
‥ 聴き慣れた無機質な声がどこぞの拡声器から交差点に響き渡るが、その日は何だかそれさえも清らかな牧師の声みたいに、天から鳴り響いて聴こえて来た。
渋谷の宮益坂付近の交差点の人混みの人の顔までもどこかお地蔵さんの顔みたいに見えて来る、何とも言えない清々しさはきっと、あの時の相方から振る舞われた超常現象だったに違いない。

人間と向き合っているのに私を「無」にさせてくれた人は、彼が最初で最後の人だろう。その彼が、私の今の伴侶である。

世界に人間は彼一人でじゅうぶんだと思う程、その他の人間の存在は私にとってただただ煩わしいばかりだ。
本当に心から、「お願いだから私に嘘だけは吐かないでよね。」と叫びたい衝動を超えて、もう今ではそんな欲求もこの世の果てに追い遣ってしまい、人間と言う生き物に対する希望も尽き果てた。


新車の到着まで、これから半年と少しの時間を要するようだ。
その車に乗って最初に行きたい場所があるとすれば、それは大っ嫌いな人間のいない場所に限る。
そこに行くことが出来た時には是非、浅煎りのコーヒーを淹れて伴侶とその味を噛みしめたい。夫と森の精霊たちと、そしてニンゲンギライの私とで飲むコーヒーの味を私は、きっと一生忘れないだろう。
 


記事を気に入って下さった暁には是非、サポートで応援して下さい。 皆様からのエネルギーは全て、創作活動の為に使わせて頂きます💑