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イタリアの企業福利厚生:オリベッティ社の先進的母子サービスの時代

PCの時代となって数十年、もはやアンティークとなってしまいましたが、かつて(主に欧米ですが)タイプライターが重要なビジネスツールだった時代がありました。20世紀のはじめにイタリアで創業したオリベッティ社は、タイプライターの世界的ブランドとして知られていた時代があります。

オリベッティ社は1908年北イタリアで創業し、初代カミッロ・オリベッティと二代目アドリアーノ・オリベッティの時代に大きく成長しました。特にアドリアーノの時代には戦後イタリアのモダンでサインをとりいれた素晴らしい製品を生み出し、世界中のデザインミュージアムに展示されています。

イタリアの幼児教育について調べていたところ、その中で「オリベッティ社の企業保育所の先進性」について触れているものがありました。そこでオリベッティ社の歴史を調べたところ、興味深いアーカイブ資料が見つかりましたので紹介します(太字部分が引用翻訳)。

オリベッティ社※の歴史
※オリベッティ社(伊:Olivetti)は、イタリア・ピエモンテ州イヴレアでタイプライターの製造・販売会社として創業された会社である。かつては大型コンピューター開発生産事業を行っていた。
現在はテレコム・イタリアに買収されて傘下に入り、主にシステムソリューション事業を運営している。
フィアットなどと共にイタリアを代表する歴史的会社である。現在の本社は、ピエモンテ州トリノにある。

家庭と家族
子どものための社会サービス
お父さんやお母さんがオリベッティで働いていることが、子供たちにとっても良い幸せなことだった頃…。

ラウラ・クリーノは自らが作・演出しカミッロ・オリベッティ(創業者)に捧げた芝居の中で、かの女優は1960年代にトリノの子どもたちが、近郊のイヴレアの恵まれた子どもたちをうらやんでいたことを回想しています。
親がオリベッティに雇用されている人(子ども)たちは、保育園、ホリデーキャンプ、放課後ケア、トレーニングやスポーツ活動など、他の大企業にはないサービスを受けていました。
実際のところ、オリベッティの保育サービスは、その提供範囲の広さと質の高さで際立っており、いくつかのケースでは従業員とその子どもたちだけでなく、地域社会にまで広がっていました。
カミッロとアドリアーノ・オリベッティの起業家精神と事業には強い社会的責任があるという信念が、1930年代以来これらのサービスの発展に貢献しました。このビジョンは損益計算書を損ないません。会社が負担したコストは、提供されたサービスにより献身的に集中して仕事に打ち込めるようになった従業員の生産性の向上によって回収されます。

産科・小児科医療とサービス
オリベッティの活動で重要なのは、出産前からの産科医療です。
1941年、ALO(Assistenza Lavoratrici Olivetti:オリベッティ社の女性労働者に対する援助)規則が発効し、妊娠中や授乳中の従業員には保険がかけられるようになりました。この規則は各国の契約や社会保障政策の進展に合わせて再調整され、9.5ヵ月間(1950年の法律では5ヵ月間)、給与の80%に相当する報酬を得る権利と、医療、衛生、教育の支援を受ける権利を定めています。
妊産婦は、産前産後ケアセンターが幅広いサポートを行い、これによって母親と保育所スタッフの間に信頼関係を築くことができます。
健康管理は、生後数ヶ月から子どもの成長をケアする小児科クリニックと、社員と社員の妻が利用できる乳児相談室で行われ「物理的な観点からだけでなく、正確な教育的基準をもって合理的で現代的な方法で赤ちゃんを育てる」ことを支援しています。(オリベッティ社の1953年の著書「事業所社会保障とサービス(Servizi e assistenza sociale di fabbrica)」に記載されています)。
1930年代この支援は週に1回開かれ、母親にアドバイスしたり、薬や離乳食を配る「乳児のための配給(サービス)」が担っていました。
1952年以降、特にカナヴェーゼ地域では住民全てに開かれた無料アドバイスセンターが設置され、まだ衛生文化がかなり遅れている地域での産科治療や出産前の予防を行っています。
小児科外来では、全従業員の14歳以下の子どもの医療を提供しています:処方された医薬品費用は会社が負担します。また(外来で勧められた場合)専門医の診察、整形外科、補聴器、眼鏡なども医療費払い戻しの対象となります。
さらに、(予防接種や歯科検診など)重要な予防プログラムも実施されました。例えば1957年イタリアで初めてポリオ予防接種キャンペーンが実施されましたが、これは州当局がまだこの点に関する規定を発行する以前でした。
健康管理に加えて経済的な支援もありました。支援は最初は臨時ボーナスとして導入され、後にINPS※が支給する家族手当の定期的な補助となりました。

※INPS https://www.inps.it/listituto
社会保険庁(INPS)はヨーロッパ最大級の社会保障機関。INPSはイタリアの社会保障のほぼすべてを管理しており、大多数の自営業者や官民従業員に保険を提供している。

保育所と幼稚園
オリベッティ社の子ども向け施策の中心的役割を果たしたのが保育所と幼稚園です。これらの取り組みはその教育法と組織の両面での革新性と質の高さが際立っており、「子どもに優しい」設計になっています(例えば、アドリアーノ・オリベッティが企画し、フィジーニとポリーニ※が1939年から1941年にかけて設計したイヴレアの保育所など)。
※ルイジ・フィジーニ(1903-1984)とジーノ・ポリーニ(1903-1991)は、20世紀イタリアを代表する建築家。
保育所は開かれた適切な刺激のある環境作りが意図されました:「教育の目的は知識を与えることではなく、寛容で好ましい環境、すなわち適切な刺激に満ちた環境の中で、子どもたちが身体的、知的、情緒的に調和のとれた成長を遂げる可能性を提供することにある。」そのためにオリベッティ社は保育者たち(puericultrici)や教師たちのための独自の養成や再研修コースを開催しました。
保育所は6カ月から3歳までの従業員の子どもを対象とし、幼稚園は従業員の子どもである3歳から6歳までの子どもを対象としています。入学金は非常に低額でした(1953年には1日30リラ、2005年には約0.43ユーロ※約560円に相当)。
困難な時期ではありましたが、1960年代から1970年代にかけてオリベッティ社は増え続ける需要に応えるためにイヴレアに新しい幼稚園を建設し、他の建物を改築しました。また、私立・公立の保育所に対して経済的面と指導方法の改善の両面から支援を行いました。
地域社会へのサービスの開放は、1961年に地域の全児童を対象とした有料の市立放課後クラブが設置されたことでさらに顕著になりました。
その参加費の1/3は各家族が、2/3はオリベッティ社のソーシャルサービスが負担しました。

キャンプ
学校に通う子どもたちや青少年のために、オリベッティ社のソーシャル・サービスはサマー・キャンプや合宿にもフォーカスし、何年ものあいだ完全無料で提供されました。
海辺や山に約1ヶ月間滞在するサマー・キャンプは1930年代に始まりました。また1950年代からは12歳から14歳の子どもを対象としたプレ・キャンプや、社員の子どもや社員自身を対象とした15歳から20歳の若者を対象としたキャンプも行われており、外国の若者を招待することもあって文化交流の場となっています。
また、これらの活動には教育的側面もつよく反映されました:CEMEA(Centre d'Entraìntement aux Méthodes de l'Education Active:仏のアクティブラーニングメソッド・センター)と共同で開発した手法に基づいています。子どもたちは自主性を持って集団生活を体験し、大人の監督のもと、少人数の自主的なグループで構成され、個性を発揮できるようなゲームやアクティビティを行います。
主要工場に近い美しい丘陵地帯にあるイヴレアでは、学校が休みの時期に6歳から14歳までの従業員の子どもたちにもデイケアセンターを開放していました。
また、小児科クリニックから紹介された生後6カ月から3歳までの子どもたちと母親のために、海辺や山の中で気候に合わせた調整を行うプレ・キャンプもありました。この期間中、母親は有給休暇を取得でき、休暇申請は仕事の緊急性を理由に却下されることはありません。
1980年代以降、従業員数の減少やより高度な公共医療・社会福祉施設やサービスの発展に伴い、オリベッティ社のホリデーキャンプへの参加者は、他の企業の保育サービス同様に減少傾向にあります。2000年からは、オリベッティ社員の子どもたちはテレコム・イタリア社のサマーキャンプを利用しています。

…イタリアのデザイン史資料にもオリベッティ社とアドリアーノ・オリベッティの貢献について触れたものは多いのですが、事業的な成功と民主的で革新的なソーシャル・サービスの両立を実現していたことに驚かされます。

Storia Olivetti
https://www.storiaolivetti.it/articolo/98-i-servizi-sociali-per-linfanzia/

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