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飛び出せ!佐久間探検隊


第二十六回 ROAD TO SHIGISAN(前編)


ドモ。佐久間探検隊の隊長、佐久間ディックです。

皆さんは「信貴山」という山について、


どういう印象を持ってますか?


人によっていろいろあるとは思いますが、
「地味」とか「目立たない」とかが上位を占めるはず。
しかし殆どの人は、実際に信貴山へ行った経験がないと思います。
そこで今回と次回、探検隊は信貴山へ実際に行って探検してみたのでした。
スタート地点は近鉄大阪線の河内山本駅。
ここから2両編成のワンマン運転、信貴線の電車に乗り込みます。

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河内山本駅を出発直後、信貴線は大阪線と離れ離れに。
大阪線の準急は6両編成ですが、こちらは可愛い2両編成。

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大阪線と別れて直ぐは、住宅地の中を走ります。
ここまでは普通の支線でした。

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やがて国道170号線の上を超える為の高架が。
そこそこの勾配ですが、ここはまだ予告編みたいなモノでした。

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国道170号線を超えると、始まりました急勾配。
普通道路をオーバークロスした後は下り坂になりますが、
信貴線は下りにならずにそのまま急勾配へ続きます。

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そして電車は唯一の中間駅である、服部川駅に到着。
この駅を出ると、急勾配は更にパワーアップします。

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服部川駅の先にある急勾配。

ちなみにこの急勾配は40パーミル。


1キロ進むと40メートル上る計算になる坂で、
近鉄の一般鉄道線では一番の急勾配です。

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そうこうするうち、電車は信貴山口駅に到着。
朝の7時台とあってか、2両編成の電車にはそこそこの人が乗り込みます。
駅周辺は結構な住宅地になってるようです。

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ここで高安山駅へとケーブルカーに乗り換えます。

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信貴山口駅の駅名標。
説明が遅れてましたが、信貴線は近鉄の前身である大阪電気軌道によって、
1930年12月15日に開業しました。
当初の計画では奈良線の枚岡駅まででしたが、
1937年8月27日に起業廃止となってます。
かつては近鉄上本町駅からの直通列車もありましたが、
信貴線が2両編成しか走れないので廃止となりました。
が、現在でもイベントで直通列車が走る事もあり、
今年のお正月に走ったのは記憶に新しい所です。

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信貴線の信貴山口駅に隣接して、西信貴鋼索線の信貴山口駅があります。
ケーブルカーの駅なので、駅自体が斜面になってますね。

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駅に飾られている、「ようこそ信貴山へ」の横断幕。
虎のキャラクター、しぎとらくんがあしらわれてるのは、
信貴山の頂上にある朝護孫子寺の創建に寅の年、寅の月、寅の日、
寅の刻が関係しているからです。

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西信貴鋼索線でも、ICカードが使用可能だそうです。
しかしそれより問題なのが、

西信貴鋼索線の始発は9時30分だということ。


現在時刻はまだ7時30分を過ぎたところです。
高安山駅への切符は既に購入済みなので、
勿体ないから信貴山口駅の外へ出る事も出来ません

探検隊、2時間弱待ちぼうけ決定!


トホホのホ。
皆さん、西信貴鋼索線に乗車の際は注意してくださいね

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乗車口の方へ行ってみても、しっかりロープで閉鎖されてます。
ちなみに駅のトイレはここの左側にありますが、
昔懐かしい汲み取り式トイレなので、
苦手な人は河内山本駅で済ましておきましょう。

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停車中の車両はコ7形のコ8
1957年、西信貴鋼索線が再開された時に導入されました。
コ8には「ずいうん」という愛称がつけられてます。
車体の塗装は1987年までの復刻塗装
去年、車体補修工事を施工した際にこの色になりました。
ちなみに補修工事は運休して行われたそうです。

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さて、時間が余っているので信貴山口駅の構内を散策。
西信貴鋼索線の案内看板がありました。
西信貴鋼索線は1930年12月15日に、
大阪電気軌道の子会社である信貴山電鉄が開業させました
翌年に信貴山電鉄は信貴山急行電鉄に改称したのですが、
経営が思わしくなく1938年8月1日に大阪電気軌道に経営を委託。
1944年1月7日に不要不急路線として休止してます。
信貴山急行電鉄は1944年4月1日に大阪電気軌道の後進である、
関西急行鉄道に合併されました。
同年6月1日に関西急行鉄道は南海鉄道と合併して、近畿日本鉄道が誕生。
1957年3月21日に営業を再開し、
1964年10月1日に西信貴鋼索線となりました。

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展示されている溝車輪(左)と平車輪(右)。
平車輪はかなり横幅が広くなっていますね。

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信貴線の時刻表。
0時台が最終電車とは、意外でした。
沿線に住宅が多いので、通勤需要とかがあるんでしょうね。
朝も結構混んでましたし。

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西信貴鋼索線の時刻表。

最終電車、早過ぎ!


なんか鉄道というよりは、遊園地のアトラクションに近いような。
ちなみに大みそかは終夜運転をするそうです。

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駅の施設を撮っていると、コ8が高安山駅へ出発しました。
どうやら始業前の試運転のようです。
軌道やケーブルの安全確認が目的でしょうね。

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交代で高安山駅からやって来たのは、コ7。
こちらもコ8と同時にデビューした車両。
こちらには「ずいうん」という愛称がついてます。

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信貴山口駅に到着した、コ7。
こちらの塗装も復刻塗装で、コ8のクリーム/ブルーに対し、
クリーム/スカーレットとなってます。

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屋根上のパンタグラフ。
小ぶりで可愛いサイズの物が付いてます。
車体にモーターを搭載してないので、小ぶりで十分なんでしょうね。

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西信貴鋼索線信貴山口駅の駅名標。
駅番号の番号は信貴線と同じですが、
こちらは路線を表すアルファベットが「Z」になってます。

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コ7の車内。
エアコンはなく、扇風機が現役です。
あと定員制(定員120名)なので、車内に吊革がありません。

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シートはクロスシート。
生地に寅の模様が入ってますね。
シートピッチはやや狭め。
1957年製の車両だから、仕方ないのかも。

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駅舎の柱を基準にすると、これだけ傾いています。
しかし人間というのは恐ろしいもので、
真っすぐ立っている駅舎の柱の方が、傾いているように思えてきます。

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コ7の運転台。
とは言っても主な仕事は非常用ブレーキの操作
正式な運転台は、山上の高安山駅にあります。

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停車中のコ7。
前に付いているのは一見コ7に付いている荷物台のように見えますが、
実はれっきとした別の車両。
コニ7形という貨車なんです。
積載量は1トン。
積んでいる銀色の箱の中身は、水が入ってます。
主に高安山駅のトイレの手洗い水に使われてる水です。
トイレ本体は、これまた汲み取り式。

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そうこうするうち、発車時刻になってケーブルカーは出発。
スルスルとコ7は動き出しました。
探検隊以外の乗客は、山歩きと思しき中高年の5人組だけ。
尚、途中の写真で白い部分があるのは、
車両の前面ガラスが汚れていたからなんです。

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西信貴鋼索線と生駒鋼索線にしかないケーブルカーの踏切を通過すると、
見えてくるのは急カーブ。
ケーブルカーの構造上、カーブというのは珍しい。

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カーブが終わると、すれ違い区間に。
さっき出発を見送ったコ8が、高安山駅から下りてきました。

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どうやら高安山駅からの始発には、乗客がいなかったようです。
同じケーブルカーで上り下りする高野山と違って、
信貴山には宿泊施設がないのだから当たり前ですね。

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すれ違いが終わると、ごく短い郡川トンネルを潜る。

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トンネルの先には、かなりの急勾配が。
下から見上げると、なかなかの迫力です。
それもそのはず、この区間は400‰。
10メートル進むと、4メートル上る塩梅になります。

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高安山駅が見えると、更に勾配は急に。

この区間は480‰、西信貴鋼索線の最大勾配。


人間の足で上るには、かなり困難でしょうねぇ。

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7分間の旅を終え、高安山駅に到着。
上のガラス窓の部分は、西信貴鋼索線の運転台
ここでモーターを制御して列車を動かす、
西信貴鋼索線の心臓部と言っても良い場所です。

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高安山駅の駅名標。
高安山駅の標高は海抜418メートル

1日の乗降客数は42人。


大阪で一番少ない駅で、2位で86人の阪堺電軌今池駅の半分以下なんです。

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改札を出ました。
日差しが痛いくらいに眩しい。

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朝護孫子寺へは、近鉄バスの信貴山門で下車してすぐ。
バス停目指して歩いて行きます。

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駅を出てすぐにある案内看板。
1日にいったい何人がこの看板を見るのだろう?

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バス停の方向を示す看板。
真っ黄っ黄なので非常に目立つ。
これなら見落とすことはないでしょうね。

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隣にある地図の看板。
ケーブルカーに同行した一行は、
山歩きをするという事でバス停とは反対側へ歩いて行かれました。

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道沿いに歩いてると、高安山霊園の看板の奥に怪しい空間が。

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どうやら整備された空間の入口のよう。
中へ入れるようなので、進んでみます。

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入口にあった、「電車が走ってました!」の看板
下には「旧高安山ホーム跡」の文字も。

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中に入ると、右書きの駅名標と案内看板が。

ここは信貴山電鉄・山上鉄道線の高安山駅ホーム跡だったんです。


山上鉄道線というのは西信貴鋼索線と同時に開業した鉄道路線。
高安山駅と信貴山門駅を結んでいました。
こちらも1944年1月7日に不要不急路線として休止しましたが、
戦後は復活することはなく、バス路線となりました。
山上と名乗ってますが、

ケーブルカーではなく普通の鉄道。


14メートルと普通鉄道としては小型の電車が走ってました。

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駅名標のアップ。
右書きの筆文字が、いかにもそれらしい雰囲気を醸し出してます。

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案内看板のアップ。
山上鉄道線の歴史などが簡潔にまとめられてます。

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案内看板の写真のアップ。
車両の搬入風景だそうですが、

ケーブル線で電車を引っ張り上げてます。


物凄い力技ですね。
ちなみに電車はデ5形と言い、デ5~デ7までの3両がありました。
山上の電車とあって普通のブレーキの他に、
線路にブレーキシューを押し当てて止めるブレーキが非常用にありました。
これは神奈川県の箱根登山鉄道でも採用されてます。
しかし1937年にデ6は走行中に谷底へ転落し、廃車になってます。
残りの2両は休止後にケーブル線を利用して山を下り
1977年に伊賀線で廃車になるまで活躍しました。

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旧ホーム跡の風景。
草生してはいますが、往時を偲ぶ事は出来ます。

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草の間にも、往時の痕跡が顔を覗かせたり。

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高安山のバス停に到着。
本来は西信貴鋼索線に接続し、乗り換えが容易になってるのですが、

取材してたら接続のバスは出発後。


普通にしてたら、こんな事はありません。

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バス停の時刻表を見ると、次のバスは10時40分発。
問題はどーやってバスが来るまでのヒマを潰すか。
しかし今日は待ちぼうけばかりですね。
今回はここで頃合が良いので、次回に続きます。

「ROAD TO SHIGISAN(前編)」

おわり。

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