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新説か陰謀論か都市伝説か

通説があったとして、それは違うと唱える方々がいる。

例えば、明智光秀は生きていたとかキリストには子孫がいるとか。

こういうのは面白い。僕の中では新説でも陰謀論でも都市伝説でもなく、ロマンだ。

一方、不安を煽るものが多くある。秘密結社がうんぬんかんぬんとか、AIに支配されるなどなど。

こういう話も決して嫌いではなく、中には説得力があるものもあるので参考にする。でも陰謀論、もしくは都市伝説の域は脱しない。

そういった中で、科学的なエビデンスがあるものは新説と言っていいと思うのだけど、新説か陰謀論か都市伝説かの判断がつかないものがある。

ここ最近だと、ワクチンを打つべきかみたいな話。

すでに僕は打っていただいたし打つべきだと思っているが、その考えを押し付ける気はない。中には押し付けている人もいる。

打つべきじゃないと思っている人も同様で、押し付けている人といない人がいる。

ただ、人ってネガティブに引っ張られる傾向にある。

僕にとってのネガティブは打つべきじゃないだけど、打つべきじゃない派の人たちからすると打つべきがネガティブになる。

だから、こういった議論は平行線を辿る。

大切なのは、どっちも否定しないことだと思う。

打ったからって罹らないわけではないし、打たなくても罹らない人はいる。

お互い「ほら、言ったこっちゃない!」となるとバチバチする。

日本は集団主義の要素が強いと僕は思っていて、その恩恵を受けている部分は多々あるが、個人主義を今よりも取り入れていかないと、今後はしんどいと思っている。

と、偉そうなことを言いつつ、僕の基本的なスタンスは「来た球を打つ」である。決めつけず、柔軟に対応したい。座右の銘の1つは「人生はアドリブ」だし。

つまり、状況に応じた自分なりの判断を都度していくということだが、判断したところでどうしようもできない大きな流れの時はそれに任せる。

極端な例だと、「人類存亡の危機に陥るような隕石が落ちてきます!」となったら、もう仕方ないと思う。抗わない。その事実を受け入れて、落ちてくるまでどう楽しもうか考える。

願わくば、衝突する時は家族と一緒に居たいというのと、ひと思いにやってくれである。悲しんだり苦しんだりしたくないので。

風見鶏、あるいは思考停止になっているわけじゃなく、できないものはできないし、無理なものは無理、諸行無常からの行雲流水、Let It Beの精神である。

あと、伊藤家の家訓である、これ。

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では、ここで1曲お聴きください。
テレサ・テンで『時の流れに身をまかせ』

これを友人の結婚式で歌った後に、不倫の歌だと気付いた。。

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