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中年の危機の乗り越え方を考える - 『パーティが終わって、中年が始まる』

何も大切なものはなくて、とにかく変化だけが欲しかった。この現状をぐちゃぐちゃにかき回してくれる何かをいつも求めていた。喪失感さえ娯楽のひとつとしか思っていなかった。  今の生活に執着ができて初めて、世の中の多くの人々は、こんな恐怖を抱えながら生きていたのか、と思った。みんな将来に不安があるから、その不安を乗り越えるために、家族を作ったり貯金をしたり保険に入ったりという、一見つまらないことをしていたのか。そうか、こんな感じだったのか。

無責任な変化は楽しい。制約のない自由な思考をして、日々の刺激に身を任せる。

私の場合、大学院がそういう時期だった。社会的に成し遂げなければいけないこともなければ、守るものもない。全ての責任は自分自身にあり、ヘマをしても自分が悲しい思いをすれば済む。

社会に出てそうした生活の尊さを実感する。あの時の心は自由だったと。

最近は本を読んでも音楽を聴いても旅行に行ってもそんなに楽しくなくなってしまった。加齢に伴って脳内物質の出る量が減っているのだろうか。今まではずっと、とにかく楽しいことをガンガンやって面白おかしく生きていけばいい、と思ってやってきたけれど、そんな生き方に限界を感じつつある。

これは本当に恐ろしい文章だ。中年とはそんなにも感性が鈍ってしまうものなのか?

本書で唯一希望がみられるのは以下の部分だ。

電撃ではなく、もっと地道なものを追い求めてみようか。熱に浮かされたようなうわずった表情で作り上げたものは一瞬人を幻惑するけれど、すぐに霞のように消えてしまう。もっと粘り強くありたい。瞬発力では絶対に若者には勝てない。決して鋭くはないけれど、この人ならではの、言葉では説明しにくい曖昧な良さがある、そういうところを目指したい。そういう存在を目指したい。謎のじじい、みたいな。

老いは深い叡智をもたらすが、若さがもたらすのは花の如きおろかさである。

著者は随分と若者の花を楽しんだ。次は深い叡智を獲得する時期に進むのだろう。


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