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冬季五輪を振り返って感じたこと。【倫理観・道徳観】

こんにちは。Dice Trainingです。
岩手県でトレーニング指導を生業にしてます。
アメリカ留学中にNSCA CSCSを取得。
留学中のインターンシップも含めると、
トレーニング指導に携わって20年以上になります。

北京冬季五輪も終わりましたね。
日本のメダル獲得数は過去最高。
なんだかんだで放送されると観てたり。
個人的には楽しませてもらいました。

ただ、一方で気になったことも。。。。
今回の五輪での”疑惑”に関して、
いろんなネットニュース、
いろんなコメントが出てます。

”事実はどうなのか。”
は別の話になりますが、
僕個人が感じたことを書いていきます。

選手が勝利を求めるのは当然。

競技者が五輪でのメダルを求めるのは当然。
マイナー競技によっては、
世界に発信できる場が、
五輪だけというケースも。
メジャー競技にしても、
五輪は大きなタイトル。
そこで勝利できたら、
その後のキャリアに大きな影響を与えます。

五輪に向かって、大きなリソースをさく、
時間、労力、資金、etc
ごく当たり前のことです。

最高の舞台で最高のパフォーマンスを。
そのために選手たちは努力してます。
そこは否定するポイントは全くありません。

一方で、どの競技にも決められた規定があります。
公平性を保つために、ルールは必要。
そこは遵守しないと前提条件が崩れます。

選手自身がルールを把握しなくてはいけない。
しかし、中には専門性が求められる内容も。
・生理学的な知識
・法務的な知識
・倫理的な知識
スポーツマネジメントというか、
スポーツガバナンスというか。
この辺はサポートメンバーが、
しっかりフォローしてあげないと、
競技者はパフォーマンスアップに集中できない。

よく、”アスリートファースト”という言葉が使われます。
でも、実際、活動していくためには予算がついてまわる。
場合によっては、アスリートにとって、
不利益になるケースも出てくるのかな。。。。
と個人的に想像してしまいます。

能力向上・勝利至上 vs 倫理観・道徳観

勝利までの過程には、
・計画的なトレーニングプラン
・活動資金の確保
・法務的/倫理的な管理体制

が必要です。

2つ目と3つ目は、選手自身が管理するのは、
なかなか難しいのかなと感じます。
選手自身がきちんと全てを把握している、
コントロールしているのが理想です。
しかし、やはりそれは負担が大きすぎる。

だから、指導者なり、所属チームのサポートが必要。
選手は指導者・サポートチームを信頼し、
日々の活動を行なっている。
選手を中心とした”チーム”の倫理観
問われていると思います。
ここが崩れると、仮に結果(勝利)を手にしたとしても、
どこかで綻びがでてきくる。

今回の五輪で起きたことは、
この”チームの倫理的な管理体制”ではないでしょうか。
”勝利を手にするために、何をしてもいいのか?”
それは、やはり違います。

公平性の中でみせる、
最高のパフォーマンスだからこそ、
僕たちは、そこに感動するのだと思います。

これはスポーツの世界に限ったことではありません。
日々の生活の中でも、
倫理観とか道徳観みたいなものが、
とても重要
だと考えています。

もちろん、自分を一番優先することは、
悪いことではないです。

”自分さえ良ければ、何をしてもいいのか?”

となってしまうと、話は変わってくる。
(実際、これで最近ちょっと嫌なことに巻き込まれました。。。
 法的には問題にできない。
 でも、ちょっとやり口が卑怯。。。。
 五輪のことと、この個人的なこともあって、
 道徳ってなんだろう。。。。
 と考えるキッカケをまたもらった感じです。。。)

利己とともに利他も必要になる。
この倫理観や道徳観。
皆さんはどうやって説明しますか?

昔からあるものだけど、言語化は難しい。。。

”倫理観や道徳観”
僕はこれを、
”一般常識や普遍的な価値観”
と言い換えることができると考えます。

多くの方が共有している、
”なんとなく、こうだよね。。。”
みたいな感覚なのかなと。

昔は、祖父母と同居してたり、
コミュニティ内の成人と触れる機会が
多かったので、子供の頃から、
こういった行動の基準が作られていたと思います。
でも、現代だとこういったつながりが希薄に。

欧米のように、毎週末、教会に行って
説教を受けるといったこともない日本だと、
倫理観や道徳観を言語化して、
共通認識にするのはちょっと難しくなっているのかと感じます

「こういう行動をするのは、
こういう理由があるからだ。」

「行動の源泉の考え方は、これだ」

と説明するの、結構難しくないですか?
今の時代だからこそ、
道徳の勉強が必要になるのかなとも感じます。

岩手に住んでいるので、
縁がある新渡戸稲造の書籍なんかを読んだこともあります。

今は、渋沢栄一の書籍を読んでます。

どちらも紙幣の肖像画になるくらいの人物。
参考になることが多いです。

僕は選手をサポートする立場にあります。
サポートする立場だからこそ、
倫理観や道徳観をしっかり構築する必要性を感じています。

まとめ

今は、個人の時代だと思います。
でも、集団の中での立ち回りも要求されます。
どこで生活するにしても、
そこにはコミュニティはあります。
関わり方はそれぞれですが、
完全に独りというわけにはいきません。

個人の結果を出すためにも、
コミュニティの中での円滑な行動は必要。
そのためには”倫理や道徳”は必要です。

昔とは、人との関わり方が違っている現代。
だからこそ、リアルの場での他者との関わりが大切で、
その中で、価値観は培われていくものなのかなと。

そう考えると、スポーツ活動って、
体力増進以外にも、倫理観の構築という点でも、
やはり重要なのではないかと改めて感じます。

今、僕個人がサポートする立場の人間だから、
専門知識や指導スキルともに、
倫理観や道徳観も構築しないといけない。
じゃないと、若い世代に指導はできないですよね。

今回の五輪の話に戻すと、
選手自体というよりも、サポートチームや、
運営側の行動がちょっと不明瞭だったのかなと
感じてしまう部分があったのは事実。

世界大会やトッププロレベルに関しては、
次の世代のロールモデルとなるように、
競技のパフォーマンスだけでなく、
競技以外の振る舞いや運営体制にも
高いレベルを保って欲しいです。

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