進路選択はおもしろさ半分、怖さ半分。
進路というか、人生の大きな決断の話だが「これで確実に大丈夫だ!」と思って決めたことが私にはない。決断にはいつも怖さがつきまとう。
今の職業を選んだ時も、店舗をたたんで大学院に進学すると決めた時も、なんなら結婚した時もいつも怖い。
しかし今では、怖いのであれば多分その選択は正しいとすら思っている。
選択とは正しかったのかどうか判断が難しいもので、その時に分からないことがよくある。その事象から数十年後や、死ぬ前になって分かることもあるだろう。
なぜ怖いのか?それは自分で真面目に考えて決断しているからではないだろうか。選択はいつも自分で選んでいるようで、実はそうではない時もある。同調圧力のようなものに影響を受け、知らず間に選択を決断していることもあるのだ。
私は地元の中堅進学校に通っていたので大学進学する人がほとんどだった。当たり前だが私も高校入学当初は大学に進学するつもりでいた。しかし大学進学の後のビジョンが当時は全く見えなかったから、友人や周りの大人に相談した。
すると、「大学に行ってから考える(ろ)」という答えが返ってきた。その答えに私は違和感を覚えた。「むしろそっちのほうが怖い。」とすら思った。幸いなことに高校在学中にやりたい仕事(今の仕事)が見つかり、進路選択でそちらをとった。
しかし、その当時はやっぱり怖かった。大学進学する皆と違う道を選んだからだ。これで正解なのかと不安になった。ただ怖さ以外にも【おもしろそう】という感情もあったのだ。
【おもしろそう】という感情はいたってシンプルだ。シンプルゆえに強い。興味あることならいくらでも勉強できる自信があったし、実際に勉強は一生懸命やった。ただしずっと「これでいいのかな…」と自問自答する日は続いていた気がする。
結果として20年間今の仕事をやってみて、当時の判断は間違っていなかった気がするし、あの頃に戻っても同じ選択をするのではないかとも思う。
自分の可能性を最大限に生かすのはすごく難しい。簡単にできることが才能があることとは限らないし、自分の才能と興味が一致しない時もある。そして若い時にしか伸ばせない能力は確実にある。逆に中年になっても、若い時ほどではないが牛歩のように伸ばせる能力もあるとは思う。
そう思うと若い時の選択のほうが、ある意味ではシビアなのかもしれない。難しい割に、人生経験が少な過ぎて選択を決める要素がなさすぎる。けれど「大多数が選んでいるからこちらが正しい」というのは違う気がする。
人生経験がない10代で正しい選択をするのは怖さを伴うだろう。でも真面目に考えているから怖くて不安なのだとも思うから、若い方達は怖くて当たり前と思って前に進んでほしい。
大人になっても選択するのは怖いのだ。でも、今までの経験でそっちの方が正しいのは知っている。