何かを始めたい衝動

人の文章を読むのが好きだ。

それは小説であったり、漫画であったり、コラムであったり、エッセイであったり、どんなものでも、文章を読むことが好きだ。

空想の世界に浸ったり、自分の中になかった考え方に出会えたり、自分との共通点を見出したり。

面白い文章を読んでいると、ウズウズと胸が高鳴り、何とも言えない幸福感、満足感に包まれる。アドレナリンが出ている感じというか。

多くの文章に触れているうちに、なんだか自分もインプットだけではなくアウトプットをしたくなった。

思い立ったが吉日。読専で登録していたnoteに、自分自身の記事を投稿してみる。

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息子が生まれてから、多様性について考えることが多くなった。

私の少ない知識とそれに基づいた偏った認識だけでは、一人の人間を責任をもって育てる身として、そのインプットの主たる部分を担う立場として、とてもじゃないが十分とは思えない。そして恐ろしい。

だから、学ぶ。たくさんのインプットを、まず自分がする。

そう意識的にか無意識的にか考え、産前よりもたくさんの文章、特に小説などの創作物ではなくエッセイやコラムをよく読むようになった。そこで紹介されている少し専門的な書籍にも時には手を伸ばす。

色々な人の考え方や立場ごとのものの見え方の違いをたくさん取り入れ、自分自身が人として、そして親として、よりフラットな思考ができるように訓練しながら、息子と接したい。

私は毒親育ちだ。自己肯定感がものすごく、ものすごく低い。

幸せな結婚をしたい。生まれた家にはなかった温かさと安心感のある、幸せな家庭を自分の手で築きたい。ずっとそう思って生きてきた。

そして大好きな人と結婚して、妊娠をしたときに、想いはもっと強く、具体的なものになった。

私が育ててもらいたかったように、愛してもらいたかったように息子を愛したい。

親に怯えず、家はいつでも安心できる場所で、自分が愛されていることを疑う発想すら持たない、そんな子供時代を過ごさせてあげたい。

そうやって息子を愛して、息子が自分自身を愛せる人間に成長してくれたなら、子供の頃の可哀そうな私を、成仏させてあげられるんじゃないか。

息子を愛しながら、あの頃の私も、一緒に抱きしめてあげられるんじゃないか。

自分自身の心を救うためにも、私は自分が欲しかった親になりたい。

そのための手段の一つとして、多くをインプットしたい。そして、時々アウトプットをして、整理をしてみたいと思う。

ここを、そんな場所として活用してみたいと思う。

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