ほぼ日20周年の記事を読んで①

随分前のものですが、ほぼ日の20周年にあたっての創業以来の記事を読みました。

ブラックかホワイトかで色分けしてしまうといいか悪いかだけの話になってしまいますが、人が何かを自由にやりたいと思うとき、そこには徹夜してでも何かをやり遂げるような、そういうことも含まれていると思います。だから、やりたいときは、ブラックなことだって、じぶんたちの選択の中に、自由の一部として取っておく必要があるんじゃないかというのは、いまでもまだ思っていることです。

夢中になって打ち込むというのは大事ですね。
サステーナブルな働き方である必要がある一方で、面白いことにハマってやり続けるという感覚は何かの立ち上げや大きなことをやるには必要なのかもしれません。

ところが、仕事としては、広告に比べて、どんどん、ほぼ日のほうがおもしろくなっていくんです。もう、ぜんぜんおもしろさが違うわけで、ほぼ日をやっているときの自分というのは、はじめて知るおもしろいことに出会う子どものようで、気持ちとしてはそちらがどんどん肥大化していく。でも、それだけじゃ食えないから‥‥どうしたらいいか、わからないんです(笑)。

理屈抜きに打ち込める面白い仕事があるかどうかは、豊かな人生を送れるかに大きく影響を与えるように思います。
その割合を増やしていきたいです。

お金のことを考えないようにしていたのには、自分なりに理由があって、ぼくはルールさえ決まればあらゆるものごとをゲームのようにたのしむことが好きなので、お金のことを真剣に考えはじめると、お金を増やすゲームに夢中になっちゃうだろうなと思ったんです。そうすると、たぶん、いまの自分のよさはなくなる。そんなふうに自覚していたんです。

この感覚はなんとなくわかる気がします。不思議なもので、お金を考えだすと、途端に仕事が面白く無くなってしまいます。お金も大島なのですが…

やっぱり、自分たちが考えて、やりたくてやることと、人に言われることは、はっきり分けて考えてました。

それは、ほぼ日に出てくれる人や、スタッフとして働いてもらう人を選ぶときも同じで、誰かにすすめられても、いい話があっても、きちんと自分たちで考えてました。すごい才能がある人じゃなくても、「これだけは守ってくれ」というような、最低限の気持ちさえそろっていれば、ちゃんとできるはずだし、おもしろいことができるとぼくは思ってた。

誰と一緒に仕事を作るのかは、判断をしっかりした方が良いですね。
お互いによくわかっている人と仕事をすることを心がけたいです。

で、そういうふうにして、毎日やっていると、だんだんと文化みたいなものができてくる。ここでいう文化というのは、そのときどきで真剣にやり取りして、「それは違うだろう」とか「それはいいね」とかをみんなで言い合うようなもので、そういうひとつひとつの評価や判断や拍手が積み重なって層になっているわけです。その堆積層が、たぶん、カラーなんですよね。逆にいうと、「ほぼ日はこうしよう」なんて、ルール化した覚えは、ぼくにはないんです。

文化はルール化できないというのは、非常に興味深かったです。組織文化をどう作るか各社の課題になっていますが、どれだけルールの源となる経験、行動を堆積できるかが大事というのは本質的な点をついているなと思いました。大事なことはすぐにはできませんね。

とまだ、記事の半分くらいですが、学びがたくさんありました。

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