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末期ガンの友人を訪ねてきました。

彼は、昨年10月ごろ自分のFBに、余命2ヶ月の告知を受けたと投稿し、沢山の人からメッセージをもらったり、訪問してもらったりしている地元では有名人です。私にとっては、もう15年くらい前から、環境系、政治系、人権系のメーリングリストで知り合った友人です。様々な異業種交流のパーティーを主催したり、シェアハウスで住民や友人たちを集めて楽しげな写真をいつもFBに投稿している活動的な人です。

訪ねて行った時、シェアハウスの住民が寛ぐリビングの隣の自室で、何やら片付けをしていました。個人的な話をしたい、ということで個室に移動し、自分のガンの話をしました。まだ、検査結果がはっきりしていない段階だけれど医師から言われた内容を伝えました。すると、自分の体がきついはずなのに、良い病院の話や、緩和病棟の話をしてくれます。確かに、痩せた姿は病気を物語っていましたが、その言動は今までと同じ友人そのままでした。

人が集まっている時は、気が紛れているけれど、夜中になって一人になると痛みが強く感じられる。そんな時には、体を温めると少し楽になる、と話してくれました。湯たんぽを使っている、と聞いたので、後日、プレゼントを持っていきました。

それが、上の写真です。中には玄米が入っています。袋は登山用の靴下です。もちろん新品ですよ。これを電子レンジに入れて加熱すると玄米がほんのり暖かくなって、その重量と熱が肩や目、お腹を温めるのに、ちょうど良いのです。

湯たんぽはそれなりに時間がかかりますが、このカイロは3分あれば使えます。人に頼るのが苦手な彼には、便利なツールになると思いました。

家族と離れていることで、頼りになるのは自分。それは私も同じです。トイレやお風呂を一人で使えなくなれば、例え家族でも、シャアハウスの住民にも世話にはなれないから、そうなったら緩和病棟に入る、という覚悟も話してくれました。

「これまでの57年の人生、充分やることはやってきたから焦る気持ちもない。」 静かに状況を受け入れている、という友人に、自分の気持ちが重なりました。

それにしても、ガンはあらゆる人に起っていることだということを改めて知ることになりました。二人に一人がガンになる、と言われて久しいのですが、自分の周りで、近しい友人が次々とガンに罹っていることを知って、正直ショックでした。年齢的にもそういうことなのかもしれない、と思うものの、「死」という言葉がこんなに身近になったのも、1月に入ってからです。

明日は、気管支内視鏡の検査。喘息があると言っても、化学物質過敏症がある、と言っても、ではやめましょう、ということにはならず、細胞の検査のために行うそうです。主体的ではないこういう流れがとても嫌ですが、仕方がないと諦めてもいます。

無事帰って、noteが書けると良いのですが・・・。行ってきまーす。

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