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母がくれた言葉

「自分が悪いことをしていないのなら堂々としてなさい。いつかあなたを傷つけた人に天罰がくだるから。いずれこの経験があなたを強くするから」

母が何度かわたしにかけてくれた言葉だ。
それは大体わたしが人間関係につまづいたときに発せられる。

幼い頃から周りの人と何かが違うと感じていた。それはわたしを見る周りの人の反応により確信へと変わった。
「ハーフ?」「何人?」「外人?」
なぜわたしは、わたし以外のみんなが最初に聞かれるであろう名前の前にこれらの言葉を投げかけられるのか。わたしは何者なのか。
3歳か4歳のころに「ハーフ?」ときかれ、言葉の意味を知らなかったわたしは「わからない」と言った。頻繁に聞かれるので、母に「わたしはハーフなの?」と訪ね、「そうだよ」と言われ、わたしは自分は何か特別な部類だということを幼いながらに確信した。
だがその時はまだその正体を理解してはいなかった。

冒頭の言葉を初めて耳にしたのは保育園の年長クラスに通っている時だった。
クラスの男の子に「国に帰れ!」と突然言われたことがある。わたしはとても悔しくて悲しくて泣いた。何も悪いことをしていないのになぜそのようなことを言われなければならないのか。そもそもここはわたしの国でもあるのになぜ。幼い頃の記憶だが、未だに忘れられないほどショックな出来事だった。

そんなわたしはその後小学校の5年間を日本ではない父の国で過ごし、小学校6年生のときに日本に戻ってきた。

帰国子女となったわたしは割と王道の帰国子女あるあるを経験した。
仲間はずれや言葉の壁、言葉の暴力がわたしの中に孤独と自己嫌悪を生み出し、元々明るい性格だったわたしは外に出たがらなくなった。
少しぽっちゃりしていた外見も、仲間はずれの原因なのではないかと思い、成長期真っ只中にもかかわらず食べないことで8キロも減量した。
今思えば人生で1番楽しくない日々を送った一年だったが、この時も母のあの言葉に救われた。

やがて時は経ち、わたしはどんどん周りに馴染んでいった。友達もたくさんでき、あの時のわたしには想像もできなかったほど楽しい学生生活を送った。それなりに恋愛も経験したし、しっかり働いてきた。

今思えば確かに辛い経験のおかげでわたしは強くなったし、人に優しくなれた。なるべく人の気持ちを考えて行動するくせもついた。
母の言うように人として成長できたのかもしれない。

それなりに幸せだと感じていた矢先、久し振りにまたあの言葉をかけられるような出来事が起きた。
わたしは、信頼していた大切な人に裏切られてしまったのだ。わたしにも非はあったが、世間一般的にも許しがたいことをされ、わたしはまた怒りや悲しみ、憎しみ、悔しさなどのあらゆる感情と闘うことになった。

正直今とても苦しい。しかし、わたしはどうしても大切な人への愛を捨てきれなかった。許すことはできないが、その人の罪ごと受け入れる覚悟をした。今にも心が壊れそうな状態だが家族や周りの友人に支えられ、わたしはなんとか前を向いて歩こうとしている。

わたしの傷は深い。でも、これもまた母が言うように1人の人間として成長する機会なのかもしれない。この先の人生、また何度か心に大きな傷を負い、立ち止まってしまう時があるかもしれない。
その度に母のあの言葉を思い出して、より強くてたくましい心を持ったわたしにアップデートしながら前に進んで行きたい。