見出し画像

意識の使い方

最初の記事で、言語と非言語のうち、言語について僕なりに書きました。
次は非言語の記事を、と思っていたのですが、最近「意識の使い方」や「思って念じる」、「想像する力」について、いくつか思うことがあったのでそちらについて簡単に備忘録的に書いてみたいと思います。

半分以上、僕の経験談と、最近の学びからの感想みたいなものなので、気軽に読み流してください。

意識の仕方とイメージ

今日注目したい意識の使い方というのは、何かをするときに「何を意識」して、「どういうイメージを持って行う」か、というものです。

具体的な話がわかりやすいと思うので、例の話からしましょう。
僕は小学生の頃、地元のスポーツチームで軟式野球をしていました。
それなりに体格も良くて、俗にいうクリーンナップの打者でした。

バッティング練習でホームランを狙ったりするとき、どう打てばいいのか?というのをある時期すごく考えていました。
正しいのか、は今となっては僕はその道の人ではないのでわからないのですが、当時の結論は、
「身体をなるべくちゃんと弛緩した状態からインパクトの瞬間に握りこむことを意識し、ボールの軌道をイメージして、大きくボールを運ぶようにフォロースルーを行う」
というものでした。
不思議なもので、この意識の持ち方とイメージは当時はなかなか感触が良く、ホームランを連発していた記憶があります。

そして、この記事で話したいのはこのイメージと意識を持つことからくる人間のちょっとした言葉にしづらい動きの違いや情報伝達です。

パフォーマンスなどでの意識とイメージ

上の具体例はあくまで一個人の話でした。
ですが、少なくとも、自分の意識の持ち方やイメージの仕方からくる効果、というのはあるのでしょう。

では、対他者に対する働きかけ方についてはどうでしょうか?
催眠術をかけるときなどに、意識の持ち方やイメージの力で、働きかけ方の結果に違いがあるのでしょうか?

具体的にデータをとってはいないですが、経験則としてはあると思います。
例えば、紐をつけて引っ張る、すると腕が上がっていく、という誘導をするとしましょう。
このとき、どのくらい紐をちゃんとイメージできているか(ビジュアルだけじゃなくて質感なども)、それを引っ張るという操作に対する解像度と、どのくらいそれを意識して相手に提示してあげられるか、というのは、重要に思います。
(この違いが劇的に効くのか、などはわかりません。)

他者と何か世界感を共有している場合、その世界に対する臨場感の強さや解像度の高さ、というのは、一つの重要な要素だと思います。
上記の意識の仕方、イメージの持ち方、というのは、まさしくこの臨場感に直結するものであり、臨場感が高ければ、それだけ世界の影響力は大きいでしょう。

最後に

ちょっとした違いかもしれませんが、こういう意識の使い方やイメージの仕方というのが、何か働きかけをする際には大切なんだろうな、と武術系のことを調べていて思うことがあったのでnoteにしてみました。

意識の向け方や、そこからくる身体性、表情や雰囲気や態度などによる情報伝達、イメージすることによる力、そういうものを大切にしていきたいな、という当たり障りのない感想でこのnoteは終わろうと思います。

それでは。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?