世界とか、人生とか自由とか、もううんざり

 日記でも書き残しておこうと思って、ざっくり。ほんと、最近夏バテでさ、マジでヤバいんだよね。夏は本当、身体が動かない。喉も渇くし、お茶。

 実は最近まで、ツイッターで読書アカウントとか、創作用のアカウントとかを作って楽しんでいたんだよね。でも、これがなかなかうんざりで。
 マジで、どれくらいうんざりするかっていうと、開くともうアカウント変更するレベル。いやあ、本当飽きちゃってさ。人間関係が飽きたっていうと多分聞こえが悪いと思う。「人間関係なんか飽きるの当たり前でしょ!」とか「飽きるの前提でどうやって付き合っていくかを考えるべきでは?」とか言われそう。ぶっちゃけその通りだと思う。正直、ぐうの音も出ない。
 例えば、職場で「人間関係飽きた」なんていっていちいち場所を変えていたら多分キリがない。嫌なやつはどこにでもいるし、何度も顔を合わせていればマンネリズムがやってくる。だから、ちょっとは我慢しなきゃね。それがたとえツイッターだったとしても。アカウントを何回も転生していたら、やがてそれが癖になって、仲のいい人なんかできなくなる。鬱陶しいもんね、アカウント引っ越し! そりゃさ、最初っからめっちゃ仲のいい人なら、フォローしに行くけどね。でも、そんなでもないひとは――そして飽きているやつは大概そんな人ばっかなんだが――やっぱめんどうくさい。

 でも――今回は原因が分かっている。飽きた原因が。だから、ちょっと愚痴っちゃってもいいと思う。じゃあなにか。それは――使っている言葉がいちいち大きいということだ!

 具体的に挙げよう。「世界」、「人生」、「自由」みたいな。これをツイッターに呟く人が多すぎるんだよね! 読書アカウント! 創作アカウント!
 意外と哲学を勉強していらっしゃる方々は使わないんだよね。そういう言葉が、相手に通じないことが分かっているから。そう、伝わんないんだよね。それにうんざりしている。哲学系の本を読んだらめっちゃ出てくるしね、「世界」。
 で、読書アカウントの癖にほんと語彙力ねえなって悪口言いたくなるレベルで(結果的に悪口になってますが)、この、あまりに抽象的で、あまりに無内容な言葉の羅列をぐだぐだぐだぐだと並べる人がマジで多いというか。俺がフォローしている人が悪いのかな。どうでもいいか、それは(笑)

 僕がこうやって悪口を言っているときはだいたい相手を「反面教師」に見据えて、自分はやらないようにしなきゃなあってときなんだけれど、そう、「世界」みたいな抽象的な言葉を、僕もやっぱりよく使うんだよね。
 使い勝手が良いっていうかさ。なんかすごいことを喋っている気になれるでしょう! ――深いね、って。しばしば、この「深い」は、我々人文学専攻の人間の良く使う言葉に対する、一種の蔑称として使われるわけだけれど、それは多分この「世界」って単語を本当に無意味に、意味不明に使う人が多いからなんだと思う。「喋っている気になれる」は決して「喋っている」ではない。まったく喋れていない! だけど、すこぶる気持ちいい! ああ、世界! 世界はなんと、広いことか! 世界は輝きに満ちている。大空を羽ばたくのだ、未来という翼をはためかせて――

 読書アカウントの方が使うのはまだわかるんだよね。てか、ツイッターに埋もれているとしばしば見落とすんだけれど、日常的には「世界」って言葉が出てくることってなかなかない。だから、たまには使いたくなっちゃうって気持ちがあるというか。
 そういうわけで読書を読んだ後で――多分著者がバンバン「世界」「悠久」「彼方」なんて言葉を使ってて――本に感化されて感想でつい吐息を漏らす――。そういう読書は正直憧れだ。楽しい。言葉の伝播。――この伝播がなきゃあ、本なんか楽しくないよね。自分の言葉が軽々と変わっていく楽しさ。あれ、俺この言葉使えるんじゃん! ――その中にはきっと「世界」って言葉だってある。「世界」が――ありありと現前している。憂うべき「世界」が――僕にとって世界とはなんだろう。当たり前に享受していた「世界」が、今異化されて見える。生々しく。そういう意味での「世界」なら――そういう感想は読んでいてすごく楽しい。で、そういう抽象的な――「世界」って言葉を、読んだ人の間で共有する。抽象的な言葉を共有するのってすごく楽しいよね、「あー、わかるわかる、んね、世界! 世界だわあれ!」って感じ。

 ――その本が、そういう本ならね。
 なんかその、また悪口になっちゃうんだけれど、なんでもかんでも「世界」で感想を片付けちゃう人がいるじゃん。読んでいて「?」ってなるような感想ね。具体的に挙げられたらいいんだけれど――今回は長くなるからやめておこう。
 結構好きな作家の本とか割と巡回している。みんなこれ読んで、どんな感想を書くんかなあって。友達からは「よせばいいのに」って言われるけれど、気になるよね、どう考えても。そんであえなく地雷を踏むわけなんだけれど。いや、だってさ――『コンビニ人間』とか読んで、「こういう人もいるんだ、と勉強になりました」とかさ、キレるでしょ、どう考えても。

 で、本当に許せないのが創作系のアカウントね。「一次創作をしています!」って蓋を開けてみれば、世界だの人生だの、「人生はこういうもんなんですよ」って結論出しちゃっている人。大きな言葉で。
 そんなやたらめったら抽象的なやつで結論出していたらまずいっしょ! そんなん読みたいか? 読みたく無さすぎる。人生諦めすぎ。目に見えるもの、見えないものを絶えず汲み上げて、読者に人生を見せる――これが創作では。「そうか、そういう見方があったのか――!」って喜びを提供すること――これが、僕は創作趣味の使命だと思う。いや、反面教師なんだけれど。ほんと僕も気をつけたいところだ。ね、で、気をつけるには――やっぱり大きな言葉でごまかしてちゃいけないと思う。そういう作品しか書けなくなるでしょ。ツイッターではせめて伝わる言葉で――相手に配慮した言葉遣いを心がけることが大事なんじゃないか。

 しかし、なんで創作アカウントに、抽象的な言葉ばっかり使う人が多いのかなあって疑問に思っていたんだけれど、最近一つ分かったことがある。今も実は周回プレイをしながらこれ書いてんだけれど、最近ハマっちゃってさあ――FGO。
 これ、クッソおもしろいわ。ストーリーの質が他のソーシャルゲームと全然違うっていうか、人理定礎の復元という使命を背負って主人公がいくつもの特異点(僕らの言葉で言う「世界」)を旅する――という壮大さでありながらちゃんと伏線が一つ一つ分かっていくっていう素晴らしさ。僕、課金せずにやってんだけれど、これが無料で本当にいいのか!? って躊躇うくらい。
 とにかく、最近になってハマっちゃったんだけれど、これが、ほんとえげつないレベルで語彙が難しくって(笑)
 さっきの「人理定礎」だの「特異点」などはその一旦。このレベルの専門用語が何十、何百とボカボカ連なる。しかも地の文はほとんどない(だから、そういう用語に対する説明も、その登場人物の独特な喋り方で繰り出される)。正直、純文学を読んでいる方が簡単だわ――あ、でも、あれに近いわ、フィリップ・カー・ディックのSF。そもそもこのゲームもSFか。

 このゲームが独特なのって、特に登場人物が世界史に連なる、名だたる英雄たちだってところなんだよね。彼らは妥協なく、己の哲学を主人公に喋りかける。だから、輪をかけてクッソ語彙が難しくなるんだよね。ストーリー作っている人、マジで化け物だと思う。凄すぎ――で。
 多分FGOに感化されて――使用語彙が大げさになっている人、いるんじゃないかなあって感じがした。推測だけれど。FGOは作り込まれたストーリーに裏打ちされてのあの難読語だけれど、それをね、本の感想とか、リプライとかでされると正直きっついよね……中二病的身振りならともかく。会話でやられるとマジできつい。しかし――全然モニュメント落ちないなあ……。

 と、僕も結構大げさな語彙を使っちゃっている気がするので、今日からまたしばらくエッセイを書き続けようと思う。僕は、創作では日常語を使いたい。日常語を使って、あっと驚かせられるような作品を書きたいなあって思っている。
 その練習として――ね、彼らを反面教師にして、いざ書かん。なんちゃって。

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