小雪

人文書を中心に読書をしながら勉強しています。専攻は哲学、特に現象学。愛について考えるの…

小雪

人文書を中心に読書をしながら勉強しています。専攻は哲学、特に現象学。愛について考えるのが好き。小説、エッセイも書きます。読書仲間募集。Twitter: @diamd_web: https://koitetsu.com/

最近の記事

書いたものを読んでもらうこと

 書いたものを読んでもらうということ。それは昔からとても緊張するものだった。ちゃんと伝わるかな。変なこと書いてないかな。なんて言われるんだろう。読んでもらっている間、ずっとそわそわしながら、相手の目線を追う。眉間にシワの寄った顔。黒目の細かな上下運動。きっと真剣に読んでくれているのだろう――でも。つまらない、苦痛だって思われていないだろうか。  ところで、ちゃんと伝わるかな、変なこと書いてないかなって変な感情だよね。例えば、普通に会話しているときにはそんなこと全然思わないじ

    • 一日一エッセイ、気づきの記録

       気づきを簡潔にまとめておこうと思う。最近、もっぱらインプットばかりで書くことをサボっていたし、練習しなきゃと思って。iPadのキーボードにも慣れていかなきゃ。エンターキーが小さいんだよね。てか、ボタンが全体的に小さい。困ったもんだよ、最近アンソロジーに参加したんだけれど、その原稿はいつものノートパソコンで書いた。圧倒的に書きやすいわ。  哲学は長らく「身体性」に注意を払ってこなかった。観念的、抽象的な言葉を操って魂を探究することに力を注いできた。身体――とりわけ古代ギリシ

      • フランス語勉強進捗

         ほんと、哲学を勉強していて今更で恥ずかしいんだけれど(ツイートでは恥ずかしすぎてぼかしている)語学を本格的に勉強し始めた。  以前にドイツ語に手を出したことがあるんだけれど、ドイツ語は中級文法に入る前に断念しちゃったんだよね。単語が難しすぎる。  んで、今はフランス語を勉強し始めている。興味がドイツからだんだんフランスに移っていったのがモチベーションの源泉で、特にこの一年はフランス現象学(ハイデガー(ドイツ)からの、リクール、メルロ=ポンティ、デリダなど……)に移っていっ

        • 新生活が始まった

           本当に、今年の夏は忙しかった。  陽気がまだ暖かいから、まだ夏か。ともかく、今すぐにでも過去形にしてしまいたいほどにはいろんなことがあった。ワクワクすることから、ここには書けないほどネガティヴな内容まで、さまざまにあった。多分、ネガティヴな方をみなさんは聞きたがると思うんだけれど、容赦してほしい。こういう内容は、直接会えるような中のいい人じゃないと無理。――そういうわけで、今からワクワクするようなことを書く。  とりあえず、新居を手に入れた。  新居、めちゃくちゃワクワク

        書いたものを読んでもらうこと

          「エッセイなんか嫌いだ!」という社会が嫌いだ

           今日、小学生を相手に国語の授業をしていて、こんなことを言われた。 「僕、国語の中でも一番エッセイが嫌い!」  あまりにも唐突だったので(別にエッセイを読んでいるわけでもなかった)、私は驚いた。エッセイが嫌い――小学生がエッセイを嫌う理由って一体なんなんだろう。  私は基本、人が何かを好きになったり嫌いになったりすることにそこまで興味はない。ただ、なぜ好きになったのか、なぜ嫌いなのか――みたいなプロセスを聞くのは凄く好きだ。しかも、今回は「エッセイが嫌い」ときた。国語の授業っ

          「エッセイなんか嫌いだ!」という社会が嫌いだ

          ぐににににに、の下敷きとキーボードの”D”

           最初っから意味なんかない。いや、意味はあったか。あるようにあった。意味は――あるように意味する、大地、雑草、石――石に世界はない。いや――ある。世界はある。彗星のごとく、世界は石に降り注ぐ。石は――蠟燭のように燃え上がる。――誰かが死んだのだ。内臓がナイル川に流れ出して、ボトボトと――意味はなかった。――、――の刻み醤油。定めは初めから定まることなくそこにある。死んだのだ、内臓がナイル川にボトボトと――トボトボと歩く骨の人形。関節が軋む。粉が舞い、銀河は流れる。私は芝生に横

          ぐににににに、の下敷きとキーボードの”D”

          世界とか、人生とか自由とか、もううんざり

           日記でも書き残しておこうと思って、ざっくり。ほんと、最近夏バテでさ、マジでヤバいんだよね。夏は本当、身体が動かない。喉も渇くし、お茶。  実は最近まで、ツイッターで読書アカウントとか、創作用のアカウントとかを作って楽しんでいたんだよね。でも、これがなかなかうんざりで。  マジで、どれくらいうんざりするかっていうと、開くともうアカウント変更するレベル。いやあ、本当飽きちゃってさ。人間関係が飽きたっていうと多分聞こえが悪いと思う。「人間関係なんか飽きるの当たり前でしょ!」とか

          世界とか、人生とか自由とか、もううんざり

          書評② 芥川龍之介『蜘蛛の糸』

          「小説を読め」と、手放しに勧められないほど小説の地位が落ち込んでいる昨今で、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』ほど、「これを読め」と言いたくなる小説はない。 『蜘蛛の糸』は様々な読み方ができる小説である。とりあえず、あらすじを書いていこう。 あらすじ物語は、御釈迦様の暮らす、極楽の世界の描写から始まる。 ある日の事でございます。御釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色の蕊

          書評② 芥川龍之介『蜘蛛の糸』

          幸せを定義してみる

          こんな夢を見た。 腹をぐちゃぐちゃと抉られる夢。 空洞になった腹を見て、「おなかすいた、おなかすいた」と叫ぶ僕。 起きてみると、なんてことはない。僕の腹は抉られていないし、おなかもそこまですいていない。 今の僕は、幸せか、不幸せかと聞かれれば、僕は多分「幸せだ」と答えると思う。 それはいいことだね、と声をかけられれば、分からない、「幸せってなんだろう?」と、思うようになるだろう。 幸せだけど、「幸せ」がなんだか分からない。 僕の認識はバグだらけだなあ、と今更ながら再確認

          幸せを定義してみる

          本を読んでどう変わるか

          人間なんて、本を読まなくたって死にゃしない。分かる、死ぬことはない。だけれど…… ヒューリスティクスとは何か人はバグだらけの生き物です。 例えば、ノーベル経済学賞のダニエル・カーネマンは、人間の認識が、論理的思考の理想と大きくかけ離れていることに気がつきました。 論理的思考の原理を「アルゴリズム」と呼ぶとすると、人間の思考は「ヒューリスティクス」だと、いうのです。 ヒューリスティクスとは何か。 例えば、レストランの前で行列ができていたとしましょう。あなたは、その店の前を通

          本を読んでどう変わるか

          本を読んで変われるのか

          本を読むことへの問いタグ「#読書好きと繋がりたい」を使ってから、フォロワーが増えたので、自分の読書に対するスタンスを明確にしたいと思います。 本を読んで人は変われるのか、と問いつつ、今日は簡単に読書について考えていることをお話しします。 結論から言うと、変われる、と僕は思っています。 そもそもなぜこんな問いを立てるのかぶっちゃけ言えば、「本を読んで人は変われるのか」という問いは大雑把過ぎて、答えを出すのはかなり困難を極めると思います。 例えばこれに答えるには、「読む」と

          本を読んで変われるのか

          書評① 江戸川乱歩『押絵と旅する男』

           すっかり日も暮れてしまって、カフェから覗く窓の向こうは紫かかって薄暗い。僕はこの文章を書きながら、コーヒーを飲んではため息をつく。手元にはパソコンと、本とメモ帳とスマートフォン。まったく、せわしないなあと思いつつも、ついついスマートフォンを手に取ってしまう。  いやいやダメだと邪念を振り払いつつ、僕は本に視線を移す。今回紹介するのはこの本、江戸川乱歩の『押絵と旅する男』である。  しかし、この小説はなかなかの曲者だ。どこから紹介したものか、迷ってしまう。再び、スマート

          書評① 江戸川乱歩『押絵と旅する男』