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kotoba(ことば)の玉手箱ーお薦めの古典紹介 Vol.5(1)『共産党宣言』(カール・マルクス フリードリヒ・エンゲルス著)ー

皆さん、こんにちは。

今回は、もしかしたら、ちょっと毛嫌い?、食わず嫌い?であまり手にとって読まれることが少ないかもしれない古典ということで、マルクス、エンゲルスによる『共産党宣言』(1848年)を紹介してみたいと思います。

『共産党宣言』は、共産主義の勝利が歴史の必然であるとして世界の労働者の団結を呼びかけた、マルクスとエンゲルスの共同執筆の書です。上の写真の右側がマルクス、左側がエンゲルスになります。

皆さんは『共産党宣言』と聞いて、どういう印象をお持ちでしょうか。
ちょっと自分の考え方と違うものかもしれない、とか、「革命」とか「闘争」とか「階級」とか、少なくとも今の日本にとってはあまり関係がない昔のことだとか、そういう印象、イメージを持たれるかもしれませんね。

人間の社会のことは、何か一つの決まった考え方ですべて説明できるというほど単純なものではないと思います。

例えば、「資本主義」という考え方、制度があってそれが多くの国の人々の間で広まっていて、実践されていたとしても、資本主義を採用していれば全ての人が経済的に幸せに過ごしているのかという点はよく考えてみないといけないかもしれません。

また「民主主義」というものも同じようなことかと思います。民主主義という制度を取っていたとしても、その制度が自分の考え方や生き方にとって満足がいく環境や結論をもたらしてくれるのか。それも必ずしもそうとは限らないのではないでしょうか。

このように人間の社会において、生活をしていく上で様々な問題や課題が生じてくるのは仕方がないこと、ある意味では自然なことかもしれませんが、そういう状況に対してどのような解決策があるのかを考えることが大切だろうと思います。この『共産党宣言』というものも19世紀の中頃の当時の社会の変化の中で厳しい環境におかれていった人々を救おうという思いのもと、生まれてきた考え方、書物と言えるでしょう。

ここでは、まずこの宣言の著者であるマルクスやエンゲルスが生きた時代などを振り返ってみたいと思います。

マルクス、エンゲルスとその時代

カール・マルクス(1818~1883年)はライン・プロイセン(今のドイツ)のトリール市というところで、父が弁護士のユダヤ人の家庭に生まれました。ドイツの共産主義思想家・運動家です。いわゆるマルクス主義の祖ですね。

マルクスはボン大学やベルリン大学で法学を学んでいましたが、哲学の方に関心が移り、大学卒業後は24歳で『ライン新聞』の主筆となってプロイセンの政府を批判する活動を行っていたようです。しかし、政府による言論弾圧のため新聞の刊行が難しくなり、彼はパリに移住しています。そして、そこで盟友となるフリードリヒ・エンゲルス(1820~1895年)と協働活動を開始することとなります。

そのパリでも1845年に追放され、ブリュッセルに移り住むことになります。ここで国際共産主義運動に結びつき、1848年にロンドンでこの『共産党宣言』を発表しています。このブリュッセルでも弾圧のため追放されたマルクスはロンドンに移り、貧乏な生活を送りながらも経済学の研究を続けます。そして国際労働者協会(第1インターナショナル)という労働者の組織を指導しながら、毎日のように大英博物館の図書室に通い、経済学の研究を続け、1867年にかの有名な『資本論』第1部を公刊しました。マルクスは『資本論』の著者として有名ですね。

ちなみに、このマルクス著として有名な『資本論』ですが、マルクスは途中で健康を害して1883年に亡くなりますが、その時点では『資本論』は完成していなかったのです。そこで盟友のエンゲルスがマルクスの遺稿を引き継いで、1894年までの間に第2部、第3部を刊行しています(第4部はカウツキーという人物によって1910年までに刊行されています)。

1848年という時代
この『共産党宣言』が発表された1848年という年は、ヨーロッパ全体で大きな情勢の変化が起こっていた時代にあたります。

フランスでの革命の後、1800年初頭のナポレオンの登場と栄華、その後、ナポレオンによるロシア遠征とその敗北をきっかけとした各地での反ナポレオン戦争の動き。そのナポレオンも1815年のワーテルローでの戦いでイギリスに敗北して島流しにあいます。ナポレオンの島流しをもって、各国はナポレオン登場以前の昔の状態に戻そうと保守的な同盟を結成します。

しかしながら、ナポレオン戦争がもたらした影響によって、革命運動の動きが各地に広がりつつあったわけです。イギリスでの産業革命の進展も、工場で働く賃金労働者の増加をもたらし、経済的な困窮も社会問題化していたという現実もありました。

そんな中、1848年、フランスで革命が起こります(7月革命等)。これが全ヨーロッパに広まる激動の始まりとなりました。

このような時代背景のもと、マルクスとエンゲルスは『共産党宣言』を発表したわけです。

それでは、次回に、この『共産党宣言』の概要、ポイントなどの紹介をしたいと思います。

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