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センス・オブ・ワンダー

『センス・オブ・ワンダー』レイチェル・カーソン

七月や少年川に育まれ 

山根真矢

七月。例年なら、梅雨が明け、本格的な暑さがやってくる。後半からは小学校の夏休みも始まり、六月とは打って変わって生き生きとした月となる。
 
 ラジオの「子ども科学電話相談」をたまに聞く。こちらの度肝を抜く質問に専門家がたじたじになっているのは本当に面白い。「子どもならでは」という言い方は嫌いだが、「地球は回ってるのに、なぜ人は感じないの?」「ハチミツはハチのゲボなのに何で甘いの?」など、答えるの大変だよなと思う。もちろん、答える側のうまさも見ものである。

子供の好奇心に触れ、この複雑な自然界について自分たちは何も知らないということを思い知る。こんな、考えてみれば不思議なことに気づかされる面白さは多分何歳になっても変わらない。

 番組では、ときどき難しい動植物の名前を出して質問する子供がいる。質問に良い悪いはなく、良い答えと悪い答えがあるだけだが、それじゃあ面白くないよなあと思ってしまう。

 それでも、その子供が何かに驚き、疑問を抱いたのなら、大人は一緒にその感動を分かち合わないといけない。そういう大人が子供のそばに少なくとも一人は必要だと、レイチェル・カーソンは、遺著となった『センス・オブ・ワンダー』に書いた。センス・オブ・ワンダー。自然の神秘さや不思議さに「目を見はる」感性、などと説明される。子供の、澄み切った洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直観力。彼女は、こうした感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、自然から遠ざかりつまらない人工的快楽に夢中になることの解毒剤になると説く。

 センス・オブ・ワンダーは子どもの専売特許ではない。大人になってもその感性を失わなかった人はたくさんいる。何よりカーソンがそうだ。海の魅力を詩情豊かに語った『われらをめぐる海』に著されたその感動はそのまま、本著で甥へ向けたメッセージとして繰り返される。海を巡る彼女の一連の著作には地球という「目を見はる」存在への感動とともに、それを何としても残したいという強い思いが感じられる。その思いは『沈黙の春』に繋がっていく。

 日本人で外せないのは寺田寅彦だ。寺田は、純粋な物理空間ではなく、日常の雑多な空間から物理を見つけ出した。金平糖の角はなぜできるのか。雨の舗道はなぜ滑りやすいのか。洗面器や湯気や茶碗など、日常の夾雑物に向けられたセンス・オブ・ワンダーは、「趣味的」と批判されたが、実は物理学を何十年も先取りする視点だった。寺田は『柿の種』という随筆集で、

人間はいくら年を取っても、やはり時々は何かしら発見をする機会はあるものと見える。
これだけは心強いことである。

『柿の種』寺田寅彦

と書いた。「心強い」のだ。カーソンも「地球の美しさについて深く思いをめぐらせる人は、生命の終わりの瞬間まで、生き生きとした精神力をたもちつづけることができるでしょう」と書く。
 
 寺田の弟子の中谷宇吉郎は雪の結晶にとりつかれた。北海道の山中でひたすら雪の結晶を観察し続け、その成果はかの有名な「中谷ダイヤグラム」に結晶した。

 寺田は割れ目についての疑問を書いた。リヒテンベルク放電、落下液滴の分裂、金属単晶のすべり面、河流の分岐、樹木の枝の配布、アサリ貝の縞模様、これらには「安定、不安定」に関わる統計的に共通の問題が横たわっているのではないか、と。それは弟子の平田森三に引き継がれ、『キリンのまだら』に結実した。平田はガラスや泥土のひび割れ、キリンのまだら模様はすべて同じ「割れ目」の現象であると主張した。

 自然の美しさや神秘に驚嘆し深く思いを巡らせることは、自然について知識がなくてもできることだ。空を見上げれば、夜明けや黄昏の美しさがあり、流れる雲、またたく星がある。耳をすませば風の音、鳥、虫の声、地球が奏でる音を聴くことができる。雨に打たれながら海から空、そして地上へと姿を変える一滴の水の長い旅路を思うこともできる。『響きの考古学』で紹介された、隙間風や送電線をもとにした作曲もセンス・オブ・ワンダーと言えるだろう。

寺田寅彦は「哲学も科学も寒きくさめかな」と詠んだ。言葉や数式では分からないオドロキがあるのではないか、と。ただ、勘違いしないでほしいのは、言葉や数式は自然の美しさを損なうものではないということだ。美しいものを美しいと言ったり、凄いものを凄いと言ったりすることは誰にでもできる。だが、物事を面白いと思うためにはそこから一歩踏み出さなければならない。そのために言葉や数式が必要になることもある。言葉や数式にすることで初めてわかるオドロキや「面白さ」もあるのだ。ファインマンも寺田も、花を喩えに奇しくも同じことを言っている。

すぐれた科学者がセンス・オブ・ワンダーを持っていることは言うまでもないが、それは科学者だけのものでも子供だけのものでもない。

自然にふれるという終わりのないよろこびは、けっして科学者だけのものではありません。大地と海と空、そして、そこに住む驚きに満ちた生命の輝きのもとに身を置くすべての人が手に入れられるものなのです。

『センス・オブ・ワンダー』

図らずもこれが、未完となった本著の、カーソンの最後のメッセージとなった。誰もが、七月の川に遊ぶ子供になれるのである。

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