タオルの可能性を模索する日々
いきなりなぜタオルなんだと驚かれるかもしれませんが、実は「いきなり」でもないんです。僕にとってはタオルは身近なもの。そう、ボクの母方のおじいちゃんの会社は、繊維の街、船場の博労町でタオル屋さんを現在進行形でやっているのです。
7年前の僕のブログ。えらい適当な文章だこと。笑
この写真に映っているおばあちゃんが亡くなったのが4年半前。それから会社はおじいちゃんとおっちゃん(オカンの兄)の2人で経営していて。
このおじいちゃんと、おっちゃんの会社。中島商店といいます。おじいちゃんが若い頃に作った会社。元々は糸商(いとあきない)をしていたそうで。
糸商(いとあきない)…糸を売買すること。また、その商人。
要は今でいうトレーダーみたいなもんで。糸相場での売買で財を築き、会社を興したおじいちゃんは、その後、タオルや軍手、てぬぐいの卸業を行うようになりました。
僕が物心ついた頃には、その博労町に5F建てビルを建て、最上階がおばあちゃんの家、1Fでタオル屋さん、2~4Fは他の人に貸しているビルだというくらいの認識でいました。今思うと、本業が絶好調やから自社ビルを建てて、不動産賃料収入を得れるようにしようぜ!となかなか強気の策。
父方の実家は立売堀で、これまたおじいちゃんが作った水道ポンプ卸売を営む廣瀬産業株式会社を経営しており、現在もまだ現役でオトンが社長をしているのです。
そう、ボクは実は経営者×経営者の血筋だったのです。
小さい頃からオトンには「先生と呼ばれる職業につけ!」と言われ、一度も会社を継いで欲しいとは言われずに育ちました。結果的に兄弟3人とも誰も継ぐことなく現在は、長男は救命救急医、次男(ボク)は会社を興し、三男は外資系企業のサラリーマンになっています。
数年前にオトンに「なんで会社を継いで欲しいって言わへんの?」と聞いたことがあります。その時にオトンはこう言いました。
俺は絵を描くことを仕事にしたいと思い、大学も東京へ行って夢を追いかけたけどダメで、就職して熊本へ配属になりサラリーマンを謳歌していた時に、親父から「実家の家業を継ぐために会社を辞めて大阪に戻ってこい。」って言われてん。それがずっと心残りで今まで生きてきたから、そんな思いを自分の子どもにはさせたくないと思ってな。
その話を聞いて、軽く涙腺が崩壊したことは僕にとっては良い思い出。笑
今まで、実家の会社を誰が継いでどうしていくのかなんて心配したことがありませんでした。
そして去年やってきたのがコロナウィルス。僕の会社が主軸としていたブライダル業界は壊滅的な打撃を喰らい、5ヶ月間も売上ほぼゼロが続く日々。未だにペースは落ちたものの赤字が膨らみ続けている状態で、なんとかしてこの状況を打破しようと違う事業にトライしたり、サロンを引っ越ししたりとあの手この手を繰り広げて絶賛あがいている真っ只中なわけです。
そんな時に僕の頭にふと家業のことが浮かんできたのです。自分の会社は10期目でピンチを迎え四苦八苦しているというのに、両方の会社は約70年も続く老舗企業。この会社たちをこのままにしてて良いのか?という素朴な疑問が湧いてきました。
「継ぐ」という選択肢は、継げる会社がなければ取ることはできません。会社を続ける難しさを痛感し、さらには目の前にずっとある会社が2つもあるのに、ボクはなぜその会社を継がないという選択をする必要があるのだろうか?と。
そう思ったボクは正直な気持ちをまずオトンにぶつけました。オトンの回答はNO。もう廣瀬産業は俺の代で終わりや。お前は好きなことをして生きていけば良い。と。(博労町の)おじいちゃんの会社を継ぎたいと思ったなら、その気持ちを正直に話してみたらええやんか。と。
そしてボクは自分の気持ちを、おじいちゃんとおっちゃんに伝えることに。今すぐではないけど、そんなに遠くない未来で、ボクは中島商店の仕事をしていきたい。そう思っていることを話しました。
どこまで本気度が伝わっているか定かではないですが、おっちゃんからは現在取り扱っているタオルの商品データを手渡され、勉強を少しずつ始めることになりました。
現在出ている事業再構築補助金のこともあり、本気でタオルと向き合って可能性を模索してみようとする日々がそこから始まりました。
しかし94歳と70歳では、新しいことに挑戦する意欲も勇気もありません。だって現状維持でも困っていることはないみたいなので。(もちろん景気によって左右されるので大変や!というのが口癖ですが)
卸だけではない、何かタオルで面白いことを考えようとして、仕入先さんを紹介して欲しいとおっちゃんに頼むけど反応は今ひとつ。おじいちゃんに限っては「こんな世の中やのに、新しいことにお金をかけてもしゃーない。今は我慢や!」と、少し怒るくらいの始末。でもそれじゃこの先生きていけないぜと思うボクは、自分でまずは行動してみることにしました。
結果で、おじいちゃんとおっちゃんに認めてもらうしかないなと。
思ったら吉日。まずはタオルのことをお勉強。
ふむふむ。日本は皆様ご存知の愛媛県の今治タオルが国内市場の約6割を占め、その次が大阪泉佐野の泉州タオルで約4割。この二大巨頭で国内市場のほとんどを占める二大巨頭市場だということがわかりました。
今治タオルは2006年よりかの有名なクリエイティブ・ディレクターの佐藤可士和が総合プロデューサーを務め、国内では不動の地位を確立しました。
でも実はタオルの発祥って泉州タオルなんですよ。皆さん知ってました?泉州で技術を学んだ人が今治に持ち帰って、そこから始まったんです。今治タオルが追い抜いたのが1960年。今から60年前に泉州タオルはトップの座を明け渡すことになりました。
そして先日。この泉州タオルの雄、大阪タオル組合の理事長を務める金野タオルさんへご縁があり、ご挨拶&工場見学までさせていただきました。
初対面、そしていきなり現れたタオルの「タ」も知らない松坂世代の僕に、とっても丁寧に、かつわかりやすく色々と教えていただきました。
タオルってめちゃくちゃ可能性を秘めてると思っていて。もはやインフラだと思うんです。ないと困るというか。トイレットペーパーとかと同類。
街中で見渡す人全てが、タオルって使ってると思うんです。結婚式をしてない人なんて、もはや世の中の1/3はいるのに。
ただ色々と話を聞いて、いくつかの問題点もわかってきました。
・元々贈答文化の象徴だったから、自分で買ったことがない人も多い
・機能性で差をつけることが難しい
・外国製品の輸入によって、国産タオル市場が縮小
などなど。
僕はタオルに無限の可能性を感じているので、泉州タオルの持つ良さや技術を活かした新しいモノや企画を考えることに精を出そうと思います。
まずは自分の家のタオルをどこで買っているのか?それを嫁さんに聞くことから始めようか。
皆さんは、どこでタオルって買ってますか?そして買う時に気にしているポイントは何ですか?価格?肌触り?吸水性?オシャレ?ブランド?
これからはタオルのことをやたら聞くタオルおじさんになろうと思います。絶対にどこかに活路を見い出すヒントは転がっているはず。
さぁ、やるぞ。
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