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メンタルタフネスへの秘訣は平等観

メンタルタフネスへの必要性

■メンタルタフネスについて

ビジネスシーンやアスリートの世界に限らず専業主婦も教師や学生もひいては芸術家そして研究者などなどにおいても、心が強くちょっとやそっとではへこたれずにきれないメンタルのタフさは是非に身につけたいものの一つだと思います。

メンタルタフネスとは、一般的にはストレス耐性という意味で用いられる言葉となり、ストレスやプレッシャーの下や人間関係や状況において悪条件が重なる中でも、高いパフォーマンスを発揮できる人に対して用いられる言葉とも言えます。

特に、現代においては、環境の変化や価値観の変化などがめまぐるしく次々とわき起こる中で、技術としても必要なのかもしれません。

メンタルタフネスへの秘訣

■現状に対しての印象が記憶に残りパターン化した行動となる

ヨーガとは心素の働きを止滅させることである。

『ヨーガ・スートラ』第一章第二節

心素とは、ごく簡単に言えば、過去の記憶の倉庫みたいなもので、その記憶に反応して自動的な行動となる間違った働きを止めることがヨーガであると著者であるパタンジャリが教えているとすると

私たちは、ある欲望を抱き、その欲望の結果として苦楽(快楽と苦痛)という刺激を受けることになります。それらの刺激の繰り返しによって印象を心素(チッタ)という記憶の倉庫に保管することになります。

ごく小さな子供時代からの積み重なる経験により、現在の私たちは、外の世界で起きたとする状況ではなく、過去において積み重ねられた印象の記憶に対して反応してしまっていると言えます。つまり、心理学で言われるようなパブロフの犬のように、犬にベルを鳴らしてえさを与え続けると、ベルを鳴らしただけで犬がだ液を分泌するようになっている条件反射が生じてしまっているのです。

前回に学んだように、このような行為の繰り返しが習慣となり、習慣が性格となり、性格から運命にたどり着くこととなってしまうのですが…

■行為の目的が何かを知ること

現在の状態が運命となっているのは、自らの行為の結果であるのならば、自分が望む未来の状態とは、今現在の行動によって生み出されるはずなので、今、どのように行為するのかを学ぶことが大切であることがわかりました。

そこで、前回のティアーガという行為の結果の放棄の復習にもなることですが、行為の動機について知ることも大切となります。何のための行為なのか?そして、行為の目的は何か?その動機は利己的なのか?それとも利他的なのか?を知ることとなります。

働くことに対して、私たちは権利を持つが、そこから生まれた果実(結果)に対しては権利を持たない。

スワミ・ヴィヴェーカナンダ講話集『カルマ・ヨーガ』より引用

行為の動機が利己的であればあるほどに私たちは果実という結果を要求し得られなければ怒り、期待し要求した果実を得るほどにより利己的になってしまうのではないでしょうか?

逆に、利他的な目的の純粋な行為ならば、人助けをする時に、相手が自分に対する態度がどのようであるべきだとは考えないし、偉大な仕事か良い仕事をしたいと思うのならば、結果がどうであろうと心配して考えない、というのがヴィヴェーカナンダ師の伝えたいこととなります。

理想的なカルマ・ヨーギとは、最も深い沈黙と孤独の最中に最も強烈な活動を見い出し、最も強烈な活動の最中に砂漠の沈黙と孤独を見い出す人であり、彼は自らの欲望を支配し往来頻繁な大都会の街中を歩きながらその心は物音一つ届かない洞穴の中に居るかのように静かです。

スワミ・ヴィヴェーカナンダ講話集『カルマ・ヨーガ』より引用

仕事が来るにしたがって引き受けて、毎日少しずつ自らの仕事をしつつも自分を促している動機を見い出し、利己的な動機を気づく(発見する)とき、自分を非利己的に根気よく続けることで利己心は少しずつ消え、本当に無私の心で働くことができる。

スワミ・ヴィヴェーカナンダ講話集『カルマ・ヨーガ』より引用

ティアーガという行為の結果の放棄とは、利他的な動機による行為への集中であり、毎日少しずつ自分を非利己的にしていき、自分を動機づけているものが何であるのかを発見し、利己的な心を少しずつ消していき無私の心で働けるようにすることになります。続けていく内に結果に対する恐れが少なくなり行為に集中できるメンタルタフネスに近づけると思います。

■どのような結果であれ同じものとして観る平等観

ティアーガという行為の結果の放棄という行為の結果に対しての無執着となる行為によってのメンタルタフネスということですが、これは、「私の」や「私のもの」という結果への恐れや行動の障害となる執着を消していける行為についての智慧となります。

どのような結果であれ同じものとして観る平等観とは、成功や失敗という二極の対立する結果を同一のものとして観ること、もしくは、感じるということになります。

何らかの目標を設定して計画を練って行動するにあたり、その成果が望ましいものであっても悲惨なものであっても、目標を目指す行為にほぼ100%集中できるために、この平等観をマスターしたならば、成功しようが失敗しようが次々に目標を設定して計画を練ることが継続できるでしょう。

そして、この平等観があれば、よりティアーガという行為の結果の放棄にも助けとなることがわかります。

■ティアーガと平等観のための訓練

以前にお話しさせていただいたアーサナにおいての等尺性運動によって、意図的な刺激としての緊張と弛緩を与える中での、その肉体の刺激から離れて客観視して観察することが、ティアーガと平等観のための訓練となります。

肩のストレッチ運動

たとえば、上記の画像のような肩のストレッチ運動があります。これを等尺性運動として行うことができます。

上記のように右肘を左手の平で固定したまま、右肘を下に降ろそうとするのを固定した左手で引っ張りながらあらがうのです。短く「あー」と発音しながら五回の間にあらがって、五回目に「あー」の音を長く発音しながら右手と左手の力を抜きながら、両腕を下に降ろします。

この時に大切なのは、眼を閉じたまま緊張した部位とそこが弛緩するのを観察します。この時、力加減は半分か七割ぐらいにして、判断比較をしないで今ココを観る感じです。

「あー」と発音は、呼吸をするためのものなので、無音でも自然呼吸を五回繰り返すのでも良いです。ほとんどのストレッチ運動を等尺性運動とすることができますので、仕事中でも椅子に座りながらティアーガと平等観のための訓練ができます。

最後に

この世からストレスを無くすことはできないのですが、しかし、ストレスの耐性を日々の訓練として、小さなことからコツコツと何十年もかかりますが強くなれることは私の体験からもお約束できます!

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