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悪夢を成就して幸せな夢へ

まずはじめに

ヨーガでは、この世界は、“MAYA”と考えられています。この“MAYA”とは、「幻想」や「迷妄」という意味で、「輪廻転生」という「夢」を繰り返して見ているということです。

前回の「廻る車輪(問題)を成就(完了)する智慧」にて言及したように、繰り返される「問題」も廻る廻る「輪廻転生」も解決方法は同じであるとお伝えしました。

その解決方法とは、「聖音アウンを上に摩擦木として」世界に知覚する問題に対して、まずはじめの「反応」として“AUM(オウ)”と同意することで、間違った思考から生じた結果に成就させるのですが

ここの同意ということについて補足させていただきます。間違った思考から生じた結果に対して同意という言葉を使うと、その思考からの結果を肯定したように思われがちですけども、間違えた思考を選択したことを同意することで、次に新たな「反応」ができる、つまり、同意しないならば以前と同じ繰り返された「反応」しかできないからとなります。

間違えた思考の選択だったことを、そうではない、そんなことはないはずだとの認識だと、同じ「反応」の繰り返しになるだけです。自らの間違えた思考の結果を自分のミスだと認めずによりよい結果を求めるならば、世界や人を変えるしかなくなります。そのようにして成功している人もいらっしゃいますが、長い目で言えば、たとえば、「輪廻転生」のスパンで考えれば、「柳の下のドジョウ」の喩えのようにそう何度も同じ手で得られるものではないと言えます。

ここで何をお伝えしたいかというと、繰り返される「問題」に対して、まずの「反応」として“AUM(オウ)”と同意することは、その「問題」を良しとするのではなく、新たな次の「反応」を生み出す為のものであるというものです。

悪夢から幸せな夢へと移行する為に

■悪夢と幸せな夢

この世界は、“MAYA”だとするヨーガの考え方に当初、私はとても苦しんでいました。というのは、「悪夢」からいきなり目覚めようとするものであったからです。寝てみる夢もうなされるような「悪夢」から目覚める時、目覚めがとても悪いのは誰しも覚えがあるかもしれません。

夢には、「悪夢」と「幸せな夢」というのがあるということを、“A Course In Miracles”から学んで目から鱗が落ちる気持ちでした。それは、「悪夢」から少しずつ少しずつ夢の世界に対しての安全性を実感しながら「幸せな夢」へと移っていく。そして、最終的には、同じ見ている夢でも「悪夢」ではなく「幸せな夢」を見ていることを、夢の世界の登場人物の一人ではなく、夢を見ている登場人物を「観ているもの」としてしばらくその「幸せな夢」を楽しんでから目が覚めるというものとなります。

■悪夢という問題

日々にさいなまれる「問題」は、「悪夢」だと思われることもあるかと思います。ここで提案なのですが、その「問題」が生じる原因が「間違った考え」であるということです。「間違った考え」から生じた「問題」だからこそ、間違っていたことを認識して、いつもと異なった「反応」をしない限り、その「問題」を解くことができないのは、数学の問題と同じかもしれません。

もう一度、たびたび繰り返される問題について思い起こして、自分がどのような反応をしているのか?を調べてみてください。そして、今度は、その繰り返される問題に対して、“AUM(オウ)”と同意してみます。その問題がどのような間違った考えから生じているのかがはっきりとわからなくても良いです。同意したならば、どのような「反応」となるのかを探してみてください。

この瞑想のポイントは、「問題に直面している者」としてではなく、「問題に直面している者を観ている」という視点で、「良い悪い」の判断を脇に抱えて、自由に観察していただければと思います。

■からくり台という夢

アルジュナよ、すべての者の心臓内に宿る主(イーシュヴァラ)は、その迷妄(マーヤー)の力によりからくり台に乗せられた物のように回転させるのだ。

『バガヴァッド・ギーター』第十八章六十一節より引用

人間五蔵説では、食物鞘・生気鞘・意思鞘・理智鞘・歓喜鞘という五蔵の構造になっていて、それらすべてを動かす動力源として真我(アートマン)があると以前にお伝えしました。「すべての者の心臓内に宿る主(イーシュヴァラ)」とは動力源として真我(アートマン)と同じ意味だと考えてください。

迷妄(マーヤー)という夢は、動力源として真我(アートマン)の力によりこの世界は、「からくり台に乗せられた物のように回転させる」のならば、「間違った思考による悪夢」か「正しい思考による幸せな夢」のどちらかをその力を用いて観る能力が私たちには権利として平等に与えられていると言えます。

日々にさいなまれる「問題」が繰り返されることと同様に、「輪廻転生」というお釈迦様も人生の「問題」であるとしたことも、何らかの「間違った思考」によって繰り返されるのならば、小さなことからコツコツと、日々直面する繰り返される問題に対して、“AUM(オウ)”と同意することは、「からくり台」という「夢」を成就するのかもしれません。

最後に

ココで述べられていることは、伝統的な教授法による「シュラヴァナ(聴聞)・マナナ(熟考)・二ディディーヤーサナ(瞑想)」という「仮説」を自らの経験として「検証」したこととなります。

私の観ている「夢」がすべてにおいて「幸せな夢」とはなってはないけれど、かなりの「悪夢」が「幸せな夢」へと移行していることからお試ししても大丈夫ではないかと思っています。なんといっても、ヨーガは五千年以上にわたって人体実験された智慧と技術でもありますので!

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