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過去から未来への影法師を手放し今現在のアートマン(真我)を見出す


まずはじめに

今回は、前回の「苦しむ私とは過去からの影法師...」の続きという感じになりますので、ここからお読みの方は前回をご参照の上にお読みくださいますればと思います。

真に知覚するとは?

真に知覚するとは、自分自身の実相であるアートマン(真我)の自覚を通して実相のすべてを自覚するということではあるのですが

しかし、このように知覚するためには、いかなる形態としての影法師、つまり、幻想であっても、自らの視界に入ってはならないはずです。

真の知覚による実相は、光そのものであると譬えることもできるので、いかなる影の余地も、すなわち、いかなる過去からの誤りの余地をも残さないことは必須となります。

このことが意味することは、私たちは、他の人や世界を、今現在に対して見える通りにしか、過去の誤りを原因とした影法師としてしか、つまり、今現在を、知覚していないということになりますので

誰であれ、どのような状況であれ、過去というものは現在においては実在性がないので、私たちにとって、過去は見えないはずなのですが

過去に示した反応もそこにはないながら、過去の反応のままに反応するとしているのならば、人や世界の状況に対して、大切に固執している過去に決断したイメージ(虚像:サムスカーラ)を見ていることになっている。

ここで何を言いたいのかといえば、今現在の人や状況を見る代わりに、過去からずーっと伸びている影法師とここでは譬えているイメージ(虚像)を見ているだけだということです。

私たちは、今現在の何らかの状況を判断するための参照基準として、過去の経験を用いることがごく自然なことだとする考えがすべてであるとしていますが

しかし、もしも、影法師となる幻想を疑問視してこれではないと手放す際に、この過去のものを今現在のものとして知覚することは、本当に、真に正気なことかどうかを、今、しっかりと自問する必要があります。

アートマンを再誕生させるとは?

もしも、今まではごく自然なことであるとしていたことが、妄想的で不自然なこととして、誰かの過去であれ、自分自身の過去であれ、自分が知覚する通りの過去(影法師)をまったく引き合いに出さずに、今現在のままの人や状況を眺めることを学ぶとき、今現在に自分が見ていることからたくさんのことを学べるようになる可能性があるでしょう。

なぜならば、本当のあなたが、つまり、実相であるアートマンであるあなたが、光を恐れているのでない限り、過去がその影を投じて現在を暗くするということはできないからです。

恐れている場合にのみ、あなたは影を生み出す闇を持ち歩くことを選択し、その結果として、闇を自分の心の中に保持することで、闇が影となり暗雲となって、他の人や状況をも包み込んで、それらの実相をあなたの視界から隠蔽した世界を見ることになっています。

もしも、隠蔽した世界を見ているのならば、この闇はあなたの中に保持していることになります。

しかし、あなたの真の実相たるアートマン(真我)には過去は無い。そして、また、罪悪も無く、罪悪感の雲が立ち上ってアートマンを覆い隠したことさえも一度も無かったのである。

ただし、私たちの中で闇を保持していることで、今現在にアートマンを自分自身の中に見ることもなく、出会うすべての者の中にアートマンが姿を顕すことはない死んだかのようなものとしてしまっています。

だから、今こそ、アートマンを自らにそしてすべての者の中に再生するためには、過去から未来への影法師を手放し、今現在を咎めをもたずに見る訓練を百ある状況の中から一つでも見れるように、これではないこれではないと継続して気長に解放していきましょう!

最後に

今回は、後半部分に関しては、若干、闇を保持している自分ではなくアートマン視点からの文章だったような気がしますが、わかりやすければよしとしています。

インド思想的には、識別智が無いものを盲目、つまり、目が見えていないと譬えることがありますが、今回の内容から見えているのに眼を自分でふさいで過去の反応を壊れたレコードのように繰り返していたんだと直面し、しっかりと心の眼つまりヴィジョンを知覚するように、つまり、アートマンをみれるようにしましょう!

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