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無内包の<次元=場>の記述 独在性の<矛盾>と現実性
「そもそもなぜこのような無内包の場の記述が成立し得るのか」という今ここでの私の問いは、<今-ここ>での<私>への問いに移行-変容することになる。<今-ここ>での<私>という<次元=場>こそが、無内包の<次元=場>それ自体だからだ。#哲学 #philosophy
— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) June 28, 2023
本来的に無内包のこの<私>が、その無内包の<私>自身の無内包性を、同様に無内包の(任意の世界の世界内性に無関係に現に偏在的に働く)<現実性> との関係において探究し記述するという不可能な作業 #哲学 #metaphysics
— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) June 28, 2023
〈独在住〉の矛盾に関しては、アキレスと亀が独り二役であることが最重要コア。私の全探究の最重要コアでもある。『独在性の矛は超越論的構成の盾を貫きうるか』19頁注「アキレスと亀が二者に分割して演じて見せている矛盾それ自体は、実際にはつねに一者に内在する矛盾として存在する。」#哲学
— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) June 28, 2023
同「それゆえ登場人物たるアキレスと亀自身にも、じつはふたたびこの矛盾が内在することになる。」 この「じつは」において、〈独在住〉と不可分であると〈同時に〉そこへと〈隙間/裂け目〉を穿つ〈現実性〉の力が働いている。この〈力〉それ自体を把握することは絶対にできない。#形而上学
— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) June 28, 2023
訂正→〈独在性〉
— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) June 28, 2023
把握することは絶対に不可能でも探究することはできる。それこそが形而上学=メタ自然学
— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) June 28, 2023
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