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序文 <私>と現実性へと向かって 第1章 無内包性と形式性 Ⅰ アリストテレス『形而上学』…
『<私> は0と1の<狭間>で不断に振動している』 の序論の位置づけを持つ本論考は、『純粋…
『本論』 序文 <私>と現実性へと向かって 『序論』での探究を前提とした以後の記述におい…
現在執筆中の『形而上学 <私>は0と1の<狭間>で不断に振動している』本論第1章Ⅰの「附論」…
『本論』 序文 <私>と現実性へと向かって 『序論』での探究を前提とした以後の記述に…
インターフェイス仮説
永井 均氏のツイート 以下転載開始 永井均『独在性の矛は超越論的構成の盾を貫きうるか』発売中@hitoshinagai1 しかし「繋がりうる」ものと「語りうるもの」とはじつは同じことなのかな。A版の演繹論でいえばじつは3番目の「概念における再認の総合」から全てが始まるのだとすれば(そしてB版は実質的にはそう言っているのだとすれば)そうなるのでは? 以上転載終了