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はじめまして、まいこです。普段は一児(小学生の息子)のお母さんで、タイの古都チェンマイに住んでいますが、わたしが仏教を学んでいるマハチュラルンコーン大学がアユタヤにあるので、800㎞の間を行ったり来たりしています。

タイに住んでかれこれ15年。2018年まではナモ・チェンマイというヨガスタジオとマッサージスクールを経営していました。

実はタイあるあるのトンデモ話なのですが、2017年に大家さんがテナントを前触れもなく突然売却してトンずら、10年親しんだスタジオを2週間以内に出ていかなければならなくなりました。

それを機に、自分の人生を見直し、『長い間もんもんとしていたこと』を解決しようと思い立ち、会社を閉めて大学院に復学しました。

復学先は国立マハチュラルンコーン仏教大学。95%が袈裟を着たお坊さんという異質な環境に身を投げ入れることとなりました。もちろんクラスで洋服を着ているのはわたしだけ。というよりも大学全体で日本人はわたし一人です。

チェンマイにもキャンパスがあるのですが、インターナショナルの修士・博士課程が存在しないため、アユタヤに通うはめになってしまいました。現在(2020年2月時点)わたしはマハチュラ大のアユタヤキャンパスの中にあるIBSC(国際仏教カレッジ)の仏教科修士課程に籍を置かせてもらっています。

長距離通学してでも放っておけなかった『長い間もんもんとていたこと』とは何だったのかというと、(現在は復学して解決済です)

『我々はどこから来てどこへ行くのか』という、ゴーギャンの絵と同じタイトルの問いでした。

それまでのわたしは、職業柄ヨガを通じてインド哲学に答えを求めていたのですが、簡潔に言うとメジャーな一元論(アドヴァイタ)ではアートマンという個がブラフマンという全体に起因するというところで終わってしまって、じゃあブラフマンはどこから来たのか?ということの答えを考えてしまうのでした。

そしてアーユルヴェーダやヨガ哲学がより所としているサンキャ理論でも、プルシャはどこから来るのか?という問いに長い間もんもんとしていました。

般若心経に慣れ親しんで育った日本人のわたしにとっては、ブラフマンが永遠という発想がどうも腑に落ちないのでした。

ヨガの人気が世界中で増すにつれて、事業が安定するにつれて、わたしのもんもんはどんどん大きくなっていきました。特にわたしの仕事はヨガ哲学の授業がメインでしたから、これを教えていていいんだろうか?という疑念が頭をもたげ、それが限界に達したころ、

テナントの売却事件が起こって、あっけなくすべてが白紙に戻ったのでした。

長年一緒に働いたスタッフや講師のみなが怒りや不安や悲しみでパニックの中、不謹慎にももうこれはチャンスでしかないと思ってしまったのです。

それ以来、はっきり言ってハチャメチャなやり方ではありますが、こんなにも心の中が充実した日々を送れるとは思ってもいませんでした。

クラスメイトであるブータン人のお坊さんにもらった『Words of My Perfect Teacher』という本の中に、

『世の中では仕事という生産と消費の繰り返しにエネルギーを使うことが優先されているけれども、果たしてダーマ(宇宙の法則)を理解することに命を費やすことよりも価値の勝るものがあるのだろうか?』

という一文があり、感動して涙したものです。

それまでは、こんな非生産的な活動に時間を費やすことに対して、どこか罪悪感を感じていました。だけど今はおかげさまで、『我々はどこから来て、どこへ行くのか』を知りたいと思うことが、何よりも価値のあるものだということを胸を張って言えるようになりました。

だからこそ、こうやって自分の時間の限りを費やしてここにシェアしていきたいと思う次第なのです。


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