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680日経ちました

2020年3月17日、シンガポールからマレーシアに一旦入り、深夜便で脱出。翌18日、成田空港に到着。以来今日(2022年1月27日)まで、680日=1か年+10か月+9日間、ずっと日本に滞在しております。こんなにずっと日本に滞在し続けるのは、1987年以来のこと、33年ぶりです。思い返すと「ノマディック nomadic 遊牧民、放浪者的な」人生を送ろうと思ったわけではないけれど、1988年に留学しインドに魅了されて以来、ずっと海外での生活を主にしておりました。いま、現状に異議申し立てをしようとしてもどうしようもなく、今年は満で60歳になることもあり、置かれた状況に柔軟に対応するつもりで、「祖国日本での私」作りをしようと頭を切り替えました。

873日

昨年2021年は宗門史上、日蓮聖人佐渡配流(佐渡法難)750年の年でした。日蓮聖人が佐渡に流されたのは、文永八年十月二十八日(1271年12月01日:ユリウス暦)。赦免され佐渡を発たれたのは、文永十一年三月十三日(1274年04月21日:ユリウス暦)、873日=2か年+4か月+21日後のことでした。佐渡入り初期の困難、念佛者との問答にも生命(いのち)の灯(ともしび)が消えることはなく、佐渡からたくさんのお手紙をお書きになって支援者とのつながりがあり、さまざまな御給仕を頂いて、『開目抄』、『観心本尊抄』などを述作。大曼荼羅御本尊を図顕され、日蓮ブディズムの真髄を開かれました。まさに、800年の日蓮宗の伝統の礎が築かれた時でした。

1365日

困難に耐える、という意味での数字としては、アジア太平洋戦争(第二次世界大戦)があります。1941年12月1日、御前会議で「開戦」を決定、12月8日、真珠湾攻撃「宣戦布告」、日米戦争がはじまりました。そして、1945年9月2日、ミズーリ号上で降伏文書に調印、戦争が終わりました。この間が1365日=3か年+8カ月+26日。今回のC禍大災害は、この日数を超えないうちに終わりにして欲しいです。

873日は、私の場合、2022年8月7日にやって来ます。どこまで自分を高められるか(これまでの自分をまとめられるか)、目標を持って、この note を書いていこうと思います。

立場の違う3人の私のために

実を申し上げますと、これまでメールマガジンやブログを何度か立ち上げ、書いてきました。私自身の置かれた立場が微妙に変わっていったので、それぞれ終了させてしまいました。書き直して思い出として復活させることもありでしょうか。私の中に立場の違う『私』がいくつも存在するので、それぞれに発言してもらうために、今回は、この note を最初から3つ開設していこうと思います。

note 聖河微笑 https://note.com/dharmadas
インドにどっぷりつかってしまい、インド色に染まった私の人生の体験談。


note 明窓浄机 https://note.com/japanisadhu
インドでお題目に出会い、日蓮宗僧侶となり、現在、日蓮宗国際布教師としてマレーシアペナン一念寺に赴任しています。「インドにどっぷりつかることができたのも『お題目』という心柱があったから」と言ってもいいと思います。そんな、わたしのお題目観、日蓮ブディズム観について。


ダルマダースの日本探訪 https://note.com/agiledas
私の大学生時代は「バブル経済真っ盛り」の時代。何事にもイケイケムードでしたので、その勢いでインドとがっぷり四つに組んでいたら、30年経っておりました。渡印を繰り返している間に「バブル後の日本」はどんどん右肩下がりに落ちていって、今や先進国とは言えない、むしろ「インド」や「マレーシア」「東南アジア」の方がよろしいんじゃないですか、と感じる事柄がたくさんあります。海外での生活体験(生活実感)と比較して、日本に長期滞在、監禁状態中に感じるもろもろの思い(不合理、不条理、不都合)を、書いて吐き出しておこうと思っております。

この note は、私の精神状態を健全に保つことを目的にし、誰かに読んでもらうことは前提にしないつもりで、書いて(描いて)いきましょう。

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日本/東南アジア/インドを彷徨するノマド型僧侶[修行者]。人生前半の回想録を書いています。出会った人々、出会った書物、得難い知識、生きる技など、思い出したら直ぐに、ここに書き置きいたします。