すべての道は仏教に通ず【#007 ダルマさんは転ばない!?】
「麺壁九年」という名のラーメン屋さん
東京の西の方に「麺壁九年」という名のラーメン屋さんがあります。何度か食べに行きましたが、なかなかのお味です。詳細はよく存じ上げませんが、定休日?には「裏・麺壁九年」として、普段お店では出さないような「攻めたラーメン」を楽しめるんだと。。。私は「裏」の方には伺ったことありませんが。。。
さて、「麺壁九年」という店名ですが、もちろん「面壁九年」から来ています。「麺」と「面」とで、一文字違うだけでだいぶ趣きが異なってしまうものですね。ここからのお話は、ラーメンの話ではありません。「面」壁九年の方です。
みなさんはダルマさんってご存知ですよね?「だーるまさん、だーるまさん、にーらめっこしましょう」とか、「だるまさんが転んだ」というフレーズでお馴染みですが、このダルマさんは禅宗のお坊さんで、、、と言ってもインド人(ボーディダルマというお名前)ですが、晩年中国にわたり、禅の素晴らしさを伝えた方です。その時すでに禅の様式は中国に伝わっていたようですが、まだまだ中国では坐禅というのは一般的な修行法ではなかったようです。このお方が中国の少林寺で無言のまま9年間壁に面して坐禅をし、ついに悟りを得たことに因んで、この故事ができたようです。一つのことをコツコツと諦めずに続けることの大切を今に伝えています。
ところで、ダルマさんは「達磨」さんと漢訳されることが多いですよね。ダルマという言葉自体は、普通のインド語ですから、インド人の名前などにこのダルマという文字はよく使われます。先の「ボーディダルマ」さんもそうですし、「ダルマパーラ」さんもそう、「ダルマキールティ」さんもしかりです。
ダルマさんは転んではならない
だるま市なんかに並んでいて、赤くてぷっくりしていて愛くるしい「だるまさん」、「ダルマさんが転んだ」でお馴染みの「だるまさん」ですが、本来的にはダルマさんは「転んではいけない」のです。それは、ダルマという言葉が、広い意味で「真理」をあらわすインド語だからです。一般的に「法」と漢訳されます。
仏教では、ダルマと言えば、もちろんブッダの「言ったこと、やったこと」を指します。いわゆる「仏の教え」です。その教えを皆に説くことを「説法」と言います。
「説法」といったときの「法」が指し示すものをまず抑えなければいけませんが、永い歴史の中で「ダルマ」の指し示す内容は多岐にわたります。「教義」はもちろん、「法則」とか「真理」などです。後には「事物」という意味まで含み持つようになっていきます。
この「ダルマ」は「真理」なのですから、現在の我々にとっては法律同様、生きていく上での道しるべとなるものです。当時のインドの仏教徒の間では「ダルマ」は実際、法律として重視され、教団の生活に欠かせない規則として守られてきました。
中には「道徳のようなもの」と捉える人がいますが、厳密に言えば道徳ともちょっと違う気がします。道徳というのはその法律が機能している国あるいは時代などによって変化します。しかし「ダルマ」は宗教上の決まり事なので、変化してはいけないのです。場所や時代を選ばず過去から未来に至るまで一貫して正しい内容でなければなりません。
「ダルマ」とはそういう意味で大変に重いものと言えます。そう、「ダルマ」さんは絶対に転んではいけないのです。ましてや「にらっめっこ」するなど、もってのほかなのです。(笑)
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