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三つの SDGs

 昨年は、日本も世界も観測史上最高の気温を記録しました。「地球温暖化」ではなく「地球沸騰」の時代を実感しました。人類は、現状を見つめ直し、Sustainable Development Goals (SDGs) という目標を作りましたが、私は少し違和感を感じているのです。その違和感は何なんだろうと探ってみた結果、日本と欧米における「私」の強度の差異ということが浮かんできたので、少しばかり述べたいと思います。
・「家族の一員としてのあなた」vs「独立した個人としてのあなた」
 日本では、お互いを家族の名称で呼び合うことが多い。一方、欧米では、個人に与えられた first name (名) で呼び合う。
・「私は・・・する」vs「私は・・・したい」
 日本語では、食卓にある飲み物を飲みたいと思った時、「これ飲んでいい?」と「私」を省略して言う。一方、英語では "Can I drink this ? " と必ず「私」が入る。
・「みんなで・・・しなさい」vs「あなたは・・・しなさい」
 日本の家屋では、居住空間を壁で区切らず、取っ払えば一つの部屋になる「ふすま」で区切る。兄弟姉妹は一つの部屋を「お互い譲り合って使いなさい」と言われた。一方、欧米の居住空間は、壁とドアで完全に区切られた部屋からなり、子供のころから「独立心」を育てる。
 このように、「私 (意志、私空間) を大事にせよ」をことさらに強調したのが欧米社会ではないでしょうか。生物は、霊長類やイルカなど特殊な動物以外は「私」を意識しません。人類社会もあらゆる社会が同程度に「私」を意識しているとは言えません。その点で日本は、「みんな」「家族」が中心の社会を作ってきたのではないでしょうか。
 グローバル化は欧米社会が大事にしてきた「私」を最大化する方向 Self Development Goals を向いており、皆の共有物である地球を維持していくという Sustainable Development Goals と相反する感じがするんです。
 生物進化の歴史において、ほんの一瞬しか占めていない人類の「私」は、そんなに頼りになるものではありません。ここは効率の良い LED ライトをふんだんにつけて快に浸る生活ではなく、ロウソクの薄明りをありがたいものだと感じる社会を作る方向 Small Development Goals に行くべきではないかなぁ。

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