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「生きがい」の違和感

今、「生きがい」について考えています。(3月の対話会のテーマです)

で、神谷美恵子著『生きがいについて』を参考にしているのですが、もちろん、その中で「生きがいとは」と定義づけられているものはあります。

でも、答えをいきなり求めてそこから考えるのではなくて、ちょっと回り道して、今、感じている「生きがい」についての疑問というか、違和感というか…から考えてみたいと思います。

1)生きがいに幻想を抱きすぎじゃないか

いきなりですが、世の中って「生きがい」に幻想を抱きすぎじゃないかな、と思うのですが、どう思われますか?

「生きがい」というと、なんだか立派なものだったり、明確なものだったり、目的がはっきりしていたり、そんなものだという印象はないでしょうか。

立派なものだと思うから、そんな立派なものは掲げていないと「生きがいなんてない」と答えるし、軽くてもいいかな、と思って「これが私の生きがいで」なんて言ったら「え?そんなことが?」なんて反応を受けたりする。

逆に他人の「これが私の生きがいで」と聞くと「え?そんなことが?」と思う瞬間があるかもしれない。

「生きがい」の中に聞いた人を納得させる要素がないといけない、みたいなややこしいことが生まれれているような気がするんです。

他人の生きがいに口出しする必要はないし、私の生きがいを、他人にどうこう言われる筋合いはないと思うんですけど…

2)仕事を生きがいにするな

Kindleをみていたら『仕事なんか生きがいにするな』というタイトルに出会いました。

内容としては最初の方を数ページめくった程度で全然理解していないのですが、タイトルには非常に惹きつけられました。私の中にも、仕事を生きがいにする憧れが潜んでいると思って。

過去を振り返ると、会社員として勤めていたとき、その仕事を好きになれないこと、仕事が嫌だ思っていること自体にも嫌気がさしているというか。

生きがいというと仕事でしょ、仕事が生きがいってかっこいいでしょ、みたいなそんな安直な考えが潜んでいると思って。

結果的に、夢中になれる仕事に出会ってしまって、ついつい、気分転換の旅行にでかけたとしても、仕事に関連することに目を奪われちゃったり、本屋にフラッと出かけて、帰ってきたら、あれ!?仕事に関係する本ばかり買っちゃってる!みたいなことは、健全な気がするんです。

でも、仕事がありきで、この仕事を生きがいにしなければ、いつでも仕事のことを考えなければ…仕事に役立つことを…と躍起になっているのは、「仕事なんか生きがいにするな」と言われるんだろうな、と思いました。

この微妙なニュアンスの違いって、伝わりますか?

3)夢=職業リスト、の違和感

仕事が出てきたところで、ちょっと思いだしたことがあります。

誰がおっしゃっていたか、どこで聞いたか、すっかり忘れたのですが、子どもの挙げる将来の夢リストが、結局職業リストになってるのってどうなん?という話でした。聞いて、めちゃくちゃ、たしかに!と納得したんです。

私自身は物心がつくのが遅かったので、あんまり幼少期の記憶はありません。

でも、保育園のときの、この一瞬は覚えている気がして、将来何になりたいか、絵を描こうという時間だったと思います。何になりたいかってなに?と思って「別になりたくないけど、お花屋さんにしとくか!」と描いたように記憶しています。

「将来何になりたいか?」

そう聞く大人の方も、職業リストを想像しています。でも、大人になるということは、イコール職業ではないはず。

大人になったら仕事するものだよ、という刷り込みをしたいのかもしれませんが、発達心理などに興味を広げている今としては、そんな、職業を聞くよりも大事なことがあるだろうよ、と思ってしまいます。

職業=私ではない。

職業は私の一側面かもしれないけれど、だからといって職業は私を表しているわけではない。

そんなところも「生きがい」に関連してくるのでは、なんて思いました。

うーん、いろいろ書きましたが混迷です。笑
引き続きもっと、神谷美恵子さんの『生きがいについて』などを読み込んでいきたいと思います。

「生きがい」ってなんなのでしょう?あなたはどう思われますか?

(文責:森本菜都美)


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