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髪の色と第一印象

おはようございます^^
しゃー!
子ども達は今日から学校給食が始まるそうです。
しゃー!
昼過ぎの下校らしいです。
少しずつ、私のおうち時間が増えそうです。
去年の学校プリント&教科書&ドリルの整理がゆるりとできそうです。


「あなたのお話を聴くだけ」活動(改2)。

3月から始めた「あなたのお話を聴くだけ」活動の今後。
まずは自分の家族と生活圏内の方々のお話を聴くことに専念します。
が、活動を公にし続ける理由は2つあります。
1つ目は、活動の実績が何もないからやる。
2つ目は、まず相手に興味を持つことを意識し、お話に耳を傾ける。
対話では、ついつい『自分自分』と喋りがちになるので、改善していきたいという思いがあります。
でも、活動を始めるきっかけ、経緯、思いは変わらないです。
下記noteをご覧いただけると嬉しいです。

髪の色を変えるチャレンジ

見た目って、大事ですよね。
私はファッションにあまり関心がなく、着心地最優先です。
汚れてなかったら良いかなという感じです。
髪の毛は短髪過ぎると扱いにくいし、長くてもポニーテール一択だし。
基本美容師さんにお任せで、ボブらへんを行き来しています。
で、最近、染めています。
2ヶ月に1回ほど、かわりばんこでいろんな色に。
私が…私が!?そう、私が。

私は昔から優等生ぶっていました。
規則だいじ、元気よく挨拶、それなりに点数をとり、周囲がやりたがらないことを率先してやる。
なんでって?
母に褒められたいから。
母にとって良い子でいたいから。
だから、学校では先生に良い子ちゃんアピールをして、良い子ポイントを貯めて、先生からその貯まったポイントカードを母に見せてもらい、母に褒めてもらう作戦。
子どもなりに知恵を絞った承認欲求でした。
母には「(良い子ちゃんでいることは)当たり前やろ」
と一蹴されて、まぁ、褒めてもらえずに終わります。
当時の私は都度落ち込み、もっと頑張ったら次は褒めてもらえるはず!
諦めの悪さを刷り込まれている私は、「もっともっと」と、良い子ちゃんをやめませんでした。ほんと、ごく最近まで。
今、振り返れば褒めてもらえないのは想定内。

母のために生きていたと言っても過言ではない約40年。
母に褒めてもらうため、私の関心は容姿へとうつります。
ある時、母に言われました。
「男の子がほしかったのに」
そこからは、私がイメージする男の子みたいなデザインや色の服を選び、ピアノの発表会等ではザ☆女子なワンピースを着せられ、当然似合わない。
私、着せ替え人形じゃねぇよ?
普段はズボンがほとんどなので、鏡を見た自分に嫌悪しかない。
ちなみに、髪型はベリーショートでした。
週2回スイミングへ通っており、「髪の毛を乾かすのに楽でしょ」
と、面倒くさがりな母が決めていました。
でも、七五三や、学校行事の式典や、発表会があると、母の指示で髪を伸ばしていました。

ある年のピアノの発表会。母は、
「知人に(舞台用)メイクをお願いした」
と言って、私は『鬼滅の刃 遊廓潜入』時の炭子・善子・猪子の顔になる。
こんがり肌に白粉、バチバチのアイメイクと、ケバケバの赤い口紅。
当時、私は『たらこくちびる』とからかわれていたので、ガチガチのコンプレックスの塊のぷっくり唇が、隠したいのにめちゃ目立つ。
会場に着くまでも、入ってからも、私は視線を集めてクスクス笑われる。
周りは少し髪型をいつもと違う雰囲気にセットアップ、季節にあった色鮮やかなワンピースの一方、顔もワンピースもタイツも真っ白。
そして、小学生の友人達は誰もメイクしてない。
イヤイヤ通っていた上手くもないピアノ。
客席100名程のミニホールのミニ発表会。
どんなに素敵に仕上がったのかと楽しみに鏡を見た瞬間の絶望感。
この舞台で、このメンバー。
うん、小学生にメイクは要らないと思う。
外面の良い、満足げな母の笑顔…何も言えねぇ。

しぶとい私は、それでも諦めない。
母に認めてもらうまで、褒めてもらうまで。
30歳頃まで、親にいただいた身体を傷つけてはいけない!
許可なく勝手にあれやこれやしてはいけない!
と、今となってはびっくりするくらい本気で思い込んでいました。

髪染めは、一度自分でしてみたけどしっくりこず。
母が、染めの薬品が身体に毒というから、ダメだ。
ピアス?わざわざ穴を開ける必要はないし、開けてはいけない。
母が、穴から何かに感染するかもしれないというから、ダメだ。
たばこ?なぜ、わざわざ寿命を縮めようとする?
母が、たばこの煙が嫌いというから、ダメだ。
これらは私にとって、校則・法律禁止事項のワル代表であった一方、憧れの代名詞みたいなところもありました。

私も、もう30歳中頃。
2人産んだし、2人の母で十分大変だし、、、いいよね?
と、何かにビビりながら、ピアスとたばこにチャレンジしました。
ファッションにあまり関心がない私に、ピアスは続きませんでした。
身体に毒と言いながら、私は赤ちゃんの頃から吸っていたんですよね。
父が超ヘビースモーカーだったので、家の中はいつも副流煙まみれ。
久しぶりのたばこのにおいは、なんとなく懐かしかった。
でも、選んだ種類があまりあわなくて、たばこは続きませんでした。

そんな中、唯一続いているのが髪染めです。
私の髪の毛は、極太、ボリューム満点のザ☆黒。
歴代、染めにくいだの、パーマはかかりにくいだの、親の観念もあり、ずっと避けていましたが、結婚して約10年でようやく私の自由の象徴です。
夫が長年通うヘアサロンの美容師さんが、私の真逆で、めちゃ面白い方。
いつも良い感じに、私の髪を遊ばせてくれる。
「いいっすね!いきましょか!」
と、いつも後押ししてくれる。
こちらの希望と、どこまで遊んで良いかを確認していただいた上で、私の雰囲気にあった、髪質的に扱いやすい良いヘアスタイルに。
内側を金にしたり、全体を青っぽくしたり、メッシュでピンク、緑、などなどなど、で今はオレンジに落ち着いています。

実家を出て、物理的に精神的に離れて、やっと呼吸ができるようになる

髪は私の生き方の象徴でした。
「綺麗なしっかりした黒い髪やね。大事にしぃや」
両親、親戚一同、いつも口を揃えて、私に言いました。
『そうか、そうなんだ』
と、それを鵜呑みにして、三十数年。

その黒い髪と、この顔で、損したと感じたことはあまりなく、むしろ、得したことが多かったです。
ここに学歴が加わると、なぜか私へ期待のハードルがエベレスト級になり、期待に応えられなかった時の落差は半端なく、その方が辛かったです。
習い事でも、仕事でも、何の役割でも。
なんせ、裏口 内部進学で勉強そっちのけな下位ポンコツの私は、受験で入学してきた方との学力差は、月とスッポン。
出会いには感謝していますが、受験して自分の実力相応の学校へ行く努力をする方が良かったな、と今は思います。
アラフォーにもなれば、学歴から縁遠くなるので、少しホッとしてます。

この黒髪と、この顔で、ザ☆真面目な印象を与えている一方でで堅苦しさも与えていて、人とは見えない線を引いて、距離を作りがちでした。そもそも、私の生き方(性格)が歪んでいたので、そうなっても『どうせ自分なんて』と思っていました。

髪の色で私の印象を変えられるなら、安いもの。
実際、人と話しやすくなった感じがしています。
髪色を変えたことで自分の意識が変化したのかな。

でも、色を変えたら変えたで、
「え?あなたで大丈夫??」
「つまり、どういうこと?その色は何なん??」
と、いろんな反応があり、
「私は私でいいな」
と改めて思いました。

何をしても、受け取り方は人それぞれ。
少なくとも、あの時の息苦しさ&窮屈さ&期待のハードルは感じなくなりました。
これが一番大事。

なんでも親の言う通りに歩むもんじゃない。
背伸びなんてするもんじゃない。
これが私の生きる道。

なんとなく髪の色にかけた心情を、有名な二首の上の句と下の句でがっちゃんこしてみました。
「髪の色は うつりにけりな いたづらに われても末に 逢はむとぞ思ふ」
”どんなに美しいと褒められたつやつやの黒髪も、染めてみたいという好奇心だけでむだに衰え色あせてしまった。その髪の色のせいで、あの人と今は意見を違えても、いつかはあいたいと思っている。”
なんてねー。

今日も愛のある穏やかな一日となりますように~^^
最後までお読みいただき、ありがとうございます!


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