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生きてる理由が見つかった日~ビルから飛び降りて17年程~

2022年11月…私の発案でみんなを巻き込んで始まった執筆活動をとある出来事をきっかけに再開しようと思いました。

前回書いた記事は、大反響でした。
様々な方からメールを頂いたり、amebloのほうに至ってはアメトピに掲載されPVが凄いことになり、リアルでも反響があり、やむに已まれずお引越ししました。


ここに、慣れないノートパソコンまで持ち出して執筆しようと思ったのは、大事件が起きたからです。
それは結末に書きますが、どこまで書いたかというと、飛び降りて助かった、というところまででしたよね?
私は、この10月で41歳になりました。


飛び降りたのは何年も前の話で、当時の記録とかを(カルテとか)遡ろうかと思っています。
後、この話は伏せてたんですけど、とある出版会社から、あなたのblogを本にしてみないかという声がかかり、説明を聞いてみたんですが、自費出版だったため、50万も出版費用を捻出するのは大変、と考え、noteの執筆活動を考えたわけです。


「心療内科の五階から飛び降りても助かった私」は、お陰様で6700㎴となり、これからは有料記事とします。
実はあの記事は、私の当時の友人が、私の文章を読みやすく編集したものでした。


それは、やり方としては間違ってはいませんが、本望ではありません、今では。
私は、詳しく文章を長文で書けば伝わるのかなと思い、ペンをとった次第です。



……目を開けると、そこは病院だった。



退院した後、私は大きな精神科に通うようになる。
入院中、目覚めると集中治療室のライトが照らすような気がして…


Z病院。診た医師は私の飛び降りなんてと暴言を吐き、小さいクリニックを紹介する。


ここで、始まったのがドクターショッピング。
大学病院側は、自殺未遂なんてして、心配だからと大きな精神科を紹介したんだろうけど、20年ほど前等、精神疾患のある患者に人権なんか無かったから。


私は思った、飛び降りて地面に落ちたとき、何で見つかって救急車を呼ばれてしまったんだろう、と。
何度も思った。


何度か転院を繰り返して、飛び降りる前に一度入院したことのある精神科を紹介される。


そこで、17年程長い間診察してもらうことになる主治医と出会う。



私は、主治医とぶつかりながらも、17年間色々なことを乗り越えて地域生活に馴染んでいこうとしました。


一番主治医が悲しそうな顔をしてたのは、私が赤ちゃんとお別れをした時の話をした時です。


いつも真面目で、真剣な話をしているイメージなんですが、涙を見せていました。


5年後。
私は、父の残していた降圧剤をODして自殺未遂をします。


色々な困難な負けそうになったからです。


私は、総合病院で処置を受けたあと精神科に運ばれました。
そこに現れたのは、色々あって精神科から転院して主治医が変わった私に久しぶりにあう先生でした。


先生は、そこで、取り乱して医療保護入院を決めた。



また、その精神科に通うことになった私は、また困難に立ち向かえるように、支援者のバックアップがつきました。


しかし。


そこで、主治医は変わることになり、後で知ったのですが、私が飛び降りたクリニックに変わることになりました。



それから一年。


あの先生は、そのクリニックの院長先生になったとか。



ところで私はというと。
これから生きていくために、音楽や色々なことに力を注いでいきますね。



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