見出し画像

『シン・エヴァ』の演技。林原めぐみさんの「焦げたパンケーキ・メソッド」

『シン・エヴァ』観てきました!

凄かったですね。画としての美しさも、アニメーションする動きの美しさも存分に体験できる至福の2時間半。声優さん達の演技も素晴らしかったです。

まず冒頭のパリ市街戦のシーンのマリの演技、よかったなあ。

以下の画像を見ていただければわかると思うのですが、画面上に描かれているマリはかなり勇ましくてキリッと真剣な方向に振り切れた演技をしているのですが、そこに声優さんの坂本真綾さんが「てい~っ!にゃーは!」とか「ありゃ」とか 雑多な心の動きのディテール を音としてどんどん足していって、それが結果的に勇ましいだけの演技よりも、逆にマリの戦士としての有能さが際立っていました。さすが。

アニメにおける声優さんの仕事は2次元のキャラにディテールを与えて3次元に生かすこと・・・まさにコレですよね。

画像1

画像2

画像3

『エヴァ』って昔から意外と芝居らしい芝居が少なくて・・・それはセリフでほとんどすべての感情が語られてしまうからなんですが、なのでそのシーンに登場している声優さんの技量によって、単調なシーンになってしまったり、説得力のあるディテールたっぷりの芝居になったりするんですね。

先ほどのパリ市街戦のシーン、マリの発するセリフが心の動きのディテールたっぷりであるのに対して、ピンクの髪の女の子のセリフはそこに心の動きのディテールが無いので、残念ながらどんなにキャラを出しながら大声を張り上げても単なる説明セリフにしか聞こえませんでした。そういうことなんです。

そんな中、綾波レイのセリフはそれがどんなに説明セリフであっても聞いている観客の心を揺り動かします。 感情を込めずに演じられている筈の綾波レイのセリフがこんなにも胸に刺さるのは、なぜなのでしょうか・・・じつは『エヴァ』の登場人物の中で群を抜いてディテールが多いのは無感情なはずの綾波レイのセリフなのです。

画像4

画像5

画像6

画像7

『シン・エヴァ』序盤の第3村の農村シーンで、レイ(仮称)が猫や赤ん坊や苗などいろんな初めて見るものに触れてゆくっていう一連のくだりがあるじゃないですか。あそこ、アニメーション的にはレイ(仮称)はほとんど止め絵で黒目だけがうるうるアニメしている(「アルプスの少女ハイジ」方式!w)だけでその「初めて見ている」が描写されているんですが・・・ちゃんとレイ(仮称)の心の微細な動きが客席に伝わってくるんです。
もちろんここでもレイ(仮称)は感情を込めずにセリフをしゃべっているのに、でもそこにディテールがちゃんと存在するから心の動きが伝わってくるんです。 不思議ですよね。「ディテール」とはいったい何なんでしょうか?

1995年にテレビアニメ版が始まって以来、綾波レイの衝撃は無数のフォロワーキャラを生みました。いろんなアニメが真似したし、当時みんなモノマネしましたよね、綾波喋り。男も女も(笑)ボクもやりました(笑)
綾波喋りは「小さな声で、ボソボソっと、途切れ途切れに」・・・真似しやすいんですよ。でもそれだと音を真似ているだけで実際には林原めぐみさんの綾波レイのセリフにはならないんですよね。
真似して喋ってる人の綾波声はすぐに埋もれちゃうんですよね、周りが静かにしないと。でも本家林原さんの綾波レイのセリフは戦闘中の轟音の中でもしっかり聞こえてきます。それは綾波レイの声がただ単に「小さな声で、ボソボソっと、途切れ途切れに」喋っただけ声ではないからです。

林原さんの綾波レイの演技の凄いところは、あの「小さな声で、ボソボソっと、途切れ途切れに」喋った言葉がシンジの心を徹底的にかき乱したり、アスカを逆上させたり、ゲンドウすら動揺させるところです。

「小さな声で、ボソボソっと、途切れ途切れに話す」って、いじめられっ子とか内向した人間を表現する時によく使われるメソッドで、演技としては内向しやすいんです。だから例えばもしその内向するメソッドで「初号機には私が乗る」という短いセリフを喋ったとしたら、それは自分語りの独り言になりやすいし、だからそれを聞いた相手にとっては「え?どういう意味?」という刺さらないセリフになりやすいんですね。

ところが、実際に病院のシーンで林原さんの綾波レイが「初号機には私が乗る」と言った時、その短い言葉はシンジの心を深くえぐります。観客もドキッとします。・・・これが林原さんの芝居の凄さです。

画像8

画像9

それは声の出し方の技術ではなく、セリフを喋る際の「そのセリフを喋る動機や衝動」のコントロールの技術です。

綾波レイの喋りはつねに「自分が喋りたくなったから喋る」という動機で生まれていません。 セリフを喋る前、レイはいつも対象をじっと観察しています。たとえばシンジやアスカのことを。そして「相手に何かを喋ってあげなければならない必要に駆られて・・・で喋る」のです。小さな声でボソボソっと。

そう。綾波レイの言葉はつねに対象の観察から発生していて、つまり「自分発信」ではなく、じつは常に「相手発信」なんですね。相手の状況を呑み込んだうえでの発言になる。だからその言葉を向けられた相手の心にグサッと刺さるんです。

そして同時に視聴者の心にもグサッと刺さる。それは「初号機には私が乗る」というセリフの中にあるディテール「じゃああなたは必要ないです。さようなら」的な言葉を投げかけられた経験が視聴者たちにもあるからです。

これを言われた視聴者の気持ちは「え?どういう意味?」などではなく、「ちょっと待って!」です。激しく動揺する。そう、綾波レイのセリフは感情を排して発せられてはいるんですが、ディテールは溢れていて、そのディテールが人の心をかき乱すんです。

これが綾波レイが視聴者に衝撃を与えた理由、みんなが綾波レイに夢中になった理由、そして『エヴァ』が大ヒットした原因の一端だったんじゃないかなー、とボクは思ってます。

さて。ボクが林原さんの演技について注目し始めたのは去年の春、YouTubeで、とあるインタビュー動画を見てからです。
その時ボクは外国映画の吹替の音響監督(ディレクター)を始めたばかりで、吹替の技術について勉強しまくっていたんですが、このインタビューでの林原さんの言葉は、あまりに突飛で、そしてあまりに説得力に満ちていました。

「キャラの表情に声を当てたらダメ。 そのキャラが見ている状況を見る!」

つまり、日本語吹き替えの現場で画面の中でキャラがパンケーキを焦がしてしまって「オーマイゴッド!」と叫んでいるからと言って、その表情に声を当てちゃうと演技が大げさになってしまう。違う。大切なのはその焦げたパンケーキを見た時の心の状態の方だ。

なので声優は「自分のキャラを見るのではなく、自分のキャラが見ているものを見て」・・・つまりこの場合は焦げたパンケーキを見て、その悲惨な状況のディテールを観察して・・・結果発したくなる声を出すべき。

これを「林原めぐみの『焦げたパンケーキ・メソッド』」と命名しましたw。

自分の演じるキャラの「自分発信」の感情で喋るのではなく、自分のキャラが向かい合っている「相手発信」で声を出す・・・これって外国映画の日本語吹き替えをするときにすごく重要な技術なんです。

そしておそらく林原さんのアニメーション作品でのセリフもこの「焦げたパンケーキ・メソッド」で動機づけられています。『エヴァ』の(演出上)ほとんど止め絵の綾波レイに林原さんの声が乗ると、あれだけの凄みをもってリアルにそこに存在することが出来る。それは彼女の声に含まれた圧倒的なディテールの力でしょう。

また林原さんは別のインタビューではこう言っています。

「アニメは2次元だから、声優は3次元を生きないと。いろんな感情をかみしめて味わってほしい」

「声にならない気持ちを味わってほしい。声にならないくらい強く深く感じて、おもわず「きれい…」って口に出ちゃうような」

画像10

この林原めぐみさんの「焦げたパンケーキ・メソッド」ってボクが外画吹替の音響監督をやる時にすごく重要視している技術なんですよねー。
すべての声優さんがこの技術をマスターしてくれたらいいのになーって思うくらい大切なメソッドなんです。

『シン・エヴァ』序盤のあまりにも長い長い農村エピソードがまったくダレずに見ていられたのは、声優さんたちのこのディテール豊かな名演の賜物だと思います。
正直『Q』にはダレ場がいくつもあったんです。それは冬月やカヲル君が、各々のシーン中ずーっと同じトーンの芝居をしていて単調だったせいだとボクは思います。演技がずっと内向していたのでディテールが発生しなかったんですね。

    +     +     +     +

というわけで『シン・エヴァ』、そのディテールの量と確かさにボクは心を動かされっぱなしでした。ラストの駅のくだりとか泣いちゃいましたよ。よいフィナーレだったと思います。

いや~アニメーション作品の音響監督も一度やってみたいなあ。

小林でび <でびノート☆彡>



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?