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マティスと顔の不在
マティス展@東京都美術館
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20年ぶりの大規模なマティス展だという。20年前のやつは見たっけか?正直、マティスには飽きてしまった。が、せっかくの機会なので、酷暑の中わざわざ上野に出かけた。
学生時代に《赤の大きな室内》の大きなポスターを買い、部屋に長年ずっと掛けていた。画家の晩年に近い、その力量が絶頂に達していた時代の作品で、マティスの最高傑作じゃないかと今なお思う。
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室内画だけど、上半分に掛けられた2枚の絵が独特の効果を上げている。絵なのか、鏡なのか、それとも窓なのかはっきりしない。が、これにより視点が分散化され、画面が立体化して、大げさに言えば多元宇宙化している。見飽きない。
こっちは青い部屋。上の赤い部屋ほどの多元性はない。
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観覧料が2200円!しかも予約&前払いなので、要らぬ緊張を強いられる。2時~3時の枠を購入したが、上野「たかはし」で冷やしラーメンを食べていたら遅くなり、2時55分に入館。3時の回を待つ観客が長蛇の列を作っている。それを横目にすんなり入れ、比較的すんなり見て回れた。
美術館側の謳い文句とは異なり、さほどの優品は来ていない。とりわけ大きい作品が少ない。マティスの画家人生を順番に辿るような構成になっている。この画家にかんしては、もうどんな人か解っているので、ざっと20分ほどで見て回った。
マティスは下手な画家だ。法律を学び、法律事務所で働いていた。20歳すぎて画家を志し、エコール・デ・ボザールをめざしたが受験に失敗。ようは下手の横好きだったのだ。が、ギュスターヴ・モローは心の広い、若者を大事にする立派な先生で、その個人指導を受けることができた。
初めて見たけど、その頃はモローの影響をもろに受けた絵を描いている。でも下手。写生を捨て、後期印象派の影響のもと野獣派を創始するが、そりゃそうするしかなかったろうと思う。マティスは《顔》を描けない。顔に固執したピカソとは正反対だ。
同じ野獣派でも、ド・ヴラマンクやアンドレ・ドランが堂々たる形態感覚を持ち、油彩の濃厚な魅惑を漂わす上手な画家だったのに対し、マティスの絵は概して貧弱だ。この弱点を逆手に取り、軽やかな色彩と動きに到達したのが、かれの画業の注目すべき点だろう。顔を捨てることで、マティスの絵は踊り出す。
下はマティス夫人の肖像画だけど、微妙だ……
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本展でも顔を描いている絵があるじゃん!と言われるかもしれないが、これは顔ではない。目を瞑っている。
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マティスは顔を描かない。
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おっぱいしか見てない。
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いかにも下手な絵。なんですか、コレは?ちゃんと顔を描け。ちなみに写真を撮る際、バイオリンを弾く女性の頭に美術館の非常口のサインが写り込んでしまった。
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今回の展覧会で見るべき作品は、ごく初期の1909年から時を措いて1930年まで造られたブロンズ像の連作「背中 I~IV」だろう。文字通り背中から見られた巨大な人物像が4つのブロンズ壁面に彫り込まれている。大作だ。実際に鋳造されたのは画家の死後らしい。事情は解説がないので解らない。
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あくまで背中なのだ!たとえ愛する女性であっても、他人の顔など見たくない、描きたくない。面倒くさいのだ!愛する女の顔を切り刻むように再構成するのに執心したピカソとは好対照をなす。マティスは人間の内面とか人格に関心がなかった。むしろそれが眠り込んでいたり、放心したりしている様子を好んで描いた。
いっそのこと、人間など全然いないほうが好い。マティスはお気に入りのモデルを失ってから、室内情景を好んで描いたが、赤い部屋、青い部屋、そのどれもが傑作だ。
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連作「背中」は1つの頂点だが、それ以外にも初期マティスは彫刻を沢山残している。今回これを見ていて、なるほど!と思った。顔に興味のない彼は、じつは二次元の絵画そのものに居心地の悪さを感じていた。可能であれば三次元の絵画を描きたかったのだと思う。
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三次元の立体的な把握を好む資質の画家には、二次元の平面的な描写を迫られる絵画は苦痛であったろう。日常の立体的かつ運動的な環境において実のところ《顔》など存在しない。それは活動する肉体が見せる1つの相貌にすぎない。そして身体とは動態としての環境のなかの1つの形象にすぎない。別の言い方をすると、身体そのものが《顔》なのだ。顔は動きの中にある。
1909年のブロンズ彫像「背中」のシリーズと、同年の「ダンス(1)」は密接な関わりがある。手をつないで踊る5人の人物たちを絵画は二次元で捉えねばならない。その姿態の動きを全体として表現する上で、画家は試作として三次元の「背中」の像を構想する必要があったのだろう。
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その意味では晩年の切り絵は、絵画と彫刻のあいだの弥縫策のようなものである。マティスに人体の細部は必要なかった。顔は必要なかった。運動を表現するには切り絵でも足りたのである。
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